宋弘
前漢の終末期から後漢が興る激動の時代に生きた政治家、宋弘は字を仲子といい、京兆尹の長安で生まれました。父の宋尚は成帝の代に少府を務めましたが、哀帝の寵臣である董賢に反抗して処罰されています。宋弘自身は若い頃から穏やかな性格で知られていました。
哀帝から平帝の治世にかけて侍中として仕え、新王朝が成立して王莽が帝位に就くと、かつての少府にあたる共工の職に就きました。新が滅亡し、国内が内戦の混乱に陥る中、赤眉軍が都長安を占領した際、宋弘は彼らが擁立した皇帝（劉盆子）に仕えるよう強要されます。抵抗しきれず長安へ連行される途中、渭橋で機転を利かせて入水自殺を図りますが、使用人に救われました。その後、「入水によって命を落とした」と偽って身を隠したことで、赤眉軍の政権が崩壊した際に巻き込まれることを免れました。
光武帝が赤眉軍を鎮圧し、後漢王朝が確立されると、宋弘は召し出されて太中大夫の地位に就きます。建武2年（26年）2月には、王梁の後任として要職である大司空に昇進し、栒邑侯に封じられました。彼は非常に清廉潔白な人物で、租税や俸給で得たものは全て一族に分け与え、自身の手元には何も残さなかったため、人々はその品行を称賛しました。後に宣平侯に転封されています。また、賢者として名高かった馮翊や桓梁ら30余名の人材を積極的に推挙し、彼らは後に大臣や高官として活躍しました。
建武6年（30年）12月、宋弘は上党太守を不正の疑いで弾劾しましたが、証拠を十分に固めることができず、かえって自身が大司空の職を解任されてしまいました（後任は李通）。その後、故郷に帰って数年後に亡くなりました。子どもがいなかったため、宣平侯の地位は後継者不在となり、所領は朝廷に没収されました。
「糟糠の妻」の故事
宋弘はその政治家としての功績よりも、むしろ「糟糠の妻（そうこうのつま）」という故事成語の由来となった人物として広く知られています。この故事は、『後漢書』の宋弘伝に記されています。光武帝の姉である湖陽公主は夫に先立たれたため、光武帝は姉のために良い再婚相手を探そうと考えていました。朝廷の臣下たちの評判を聞くと、公主は宋弘の人格と器量の大きさを称賛しました。宋弘にはすでに妻がいましたが、光武帝は彼を呼び出し、屏風の陰に公主を隠した上で、遠回しに再婚を勧めました。皇帝は、「ことわざに『高い地位に就けば古い友を忘れ、裕福になれば貧しい時の妻を替える』と言うが、人の情とはそのようなものだろうか」と問いかけました。これに対し、宋弘は厳かに答えます。「私は、『貧乏な頃から苦労を共にしてきた友を忘れてはならず、粗末な食事で支えてくれた妻を軽んじてはならない』と聞いております。」この返答を聞いた光武帝は、「これはもう望みがないな」と諦めたと言われています。
故事の意味
この「糟糠の妻は堂より下さず」（貧しい時に共に苦労した妻を正妻の座から降ろしてはならない）という言葉が、「糟糠の妻」という故事成語として今日まで伝わっています。「糟糠」とは酒粕や米糠のことで、粗末な食事、貧しい暮らしを意味します。「堂より下さず」とは、座敷、つまり正妻の地位から追いやらないということです。先述のように、宋弘と妻との間には子どもがいませんでした。祖先の祭祀を重んじ、子孫に家を伝えることが最高の美徳とされた当時の中国において、宋弘がそれを超えてでも糟糠の妻への情義を選んだことは、非常に特筆すべき行為でした。
その他の有名な逸話
宋弘の人柄や識見を示す逸話は他にも伝えられています。一つは、学識豊かな桓譚の才能を見込んで光武帝に推挙した件です。桓譚は議郎兼給事中に任じられましたが、皇帝が彼に宴席で琴を弾かせてばかりいると知ると、宋弘は推薦を後悔し、桓譚を呼び出して厳しく叱責しました。桓譚は平謝りして許しを請いました。このことを知らない光武帝が再び宴席で桓譚に琴を弾かせようとした際、居合わせた宋弘の前で桓譚はひどく動揺しました。皇帝が理由を問うと、宋弘は冠を脱いで進み出て、「私が桓譚を推挙したのは、その忠誠と正直さで陛下を導くと期待したからです。しかし、ここで鄭国の俗楽で朝廷を乱すとは、これは私の罪です」と謝罪しました。皇帝は宴席の和やかな雰囲気を改めて真剣に宋弘に謝罪し、以後、桓譚に給事中としての実務をさせることはありませんでした。もう一つの逸話は、光武帝に謁見した際のことです。玉座の傍らに新しい屏風があり、美しい女性の絵が描かれていました。皇帝が宋弘との話の最中も何度も屏風の美女に見とれるのを見た宋弘は、真顔で「論語」の一節、「未見好徳如好色者」（いまだ徳を好むこと、色を好むが如き者を見ず。徳を好む人が、美色を好むほど熱心なのは見たことがない）と口にしました。これを聞いた皇帝は直ちに屏風を片付けさせ、「聞義則服」（義を聞けばすなわち服す。正しいことと聞けばすぐに従う）。これでよいか？」と問いかけると、宋弘は「陛下が徳を進められることほど、臣下にとって嬉しいことはございません」と答えました。
一族のその後
宋弘の弟、宋嵩は剛直な人柄で知られ、官は河南尹まで昇りました。宋嵩の子、宋由は太尉にまで至りましたが、時の権力者である竇憲に近づきすぎたため、竇憲が失脚した際に官職を剥奪され、故郷へ追放されて自害しました。宋由には宋漢と宋登という二人の息子がいました。宋漢は文武両道に優れ、地方の総督や軍の指揮官を歴任しました。宋漢の息子である宋則の代には、こんな話が伝わっています。10歳になる息子が、奴隷に弩の弦を引かせようとしたところ、誤って弦が切れ、暴発した矢が息子に当たって即死してしまいました。奴隷は償いとして死を申し出ましたが、宋則は事情を理解して奴隷を許しました。人々はその心根に感服したといいます。もう一人の宋由の子、宋登には「儒林伝」という著書があります。
哀帝から平帝の治世にかけて侍中として仕え、新王朝が成立して王莽が帝位に就くと、かつての少府にあたる共工の職に就きました。新が滅亡し、国内が内戦の混乱に陥る中、赤眉軍が都長安を占領した際、宋弘は彼らが擁立した皇帝（劉盆子）に仕えるよう強要されます。抵抗しきれず長安へ連行される途中、渭橋で機転を利かせて入水自殺を図りますが、使用人に救われました。その後、「入水によって命を落とした」と偽って身を隠したことで、赤眉軍の政権が崩壊した際に巻き込まれることを免れました。
光武帝が赤眉軍を鎮圧し、後漢王朝が確立されると、宋弘は召し出されて太中大夫の地位に就きます。建武2年（26年）2月には、王梁の後任として要職である大司空に昇進し、栒邑侯に封じられました。彼は非常に清廉潔白な人物で、租税や俸給で得たものは全て一族に分け与え、自身の手元には何も残さなかったため、人々はその品行を称賛しました。後に宣平侯に転封されています。また、賢者として名高かった馮翊や桓梁ら30余名の人材を積極的に推挙し、彼らは後に大臣や高官として活躍しました。
建武6年（30年）12月、宋弘は上党太守を不正の疑いで弾劾しましたが、証拠を十分に固めることができず、かえって自身が大司空の職を解任されてしまいました（後任は李通）。その後、故郷に帰って数年後に亡くなりました。子どもがいなかったため、宣平侯の地位は後継者不在となり、所領は朝廷に没収されました。
「糟糠の妻」の故事
宋弘はその政治家としての功績よりも、むしろ「糟糠の妻（そうこうのつま）」という故事成語の由来となった人物として広く知られています。この故事は、『後漢書』の宋弘伝に記されています。光武帝の姉である湖陽公主は夫に先立たれたため、光武帝は姉のために良い再婚相手を探そうと考えていました。朝廷の臣下たちの評判を聞くと、公主は宋弘の人格と器量の大きさを称賛しました。宋弘にはすでに妻がいましたが、光武帝は彼を呼び出し、屏風の陰に公主を隠した上で、遠回しに再婚を勧めました。皇帝は、「ことわざに『高い地位に就けば古い友を忘れ、裕福になれば貧しい時の妻を替える』と言うが、人の情とはそのようなものだろうか」と問いかけました。これに対し、宋弘は厳かに答えます。「私は、『貧乏な頃から苦労を共にしてきた友を忘れてはならず、粗末な食事で支えてくれた妻を軽んじてはならない』と聞いております。」この返答を聞いた光武帝は、「これはもう望みがないな」と諦めたと言われています。
故事の意味
この「糟糠の妻は堂より下さず」（貧しい時に共に苦労した妻を正妻の座から降ろしてはならない）という言葉が、「糟糠の妻」という故事成語として今日まで伝わっています。「糟糠」とは酒粕や米糠のことで、粗末な食事、貧しい暮らしを意味します。「堂より下さず」とは、座敷、つまり正妻の地位から追いやらないということです。先述のように、宋弘と妻との間には子どもがいませんでした。祖先の祭祀を重んじ、子孫に家を伝えることが最高の美徳とされた当時の中国において、宋弘がそれを超えてでも糟糠の妻への情義を選んだことは、非常に特筆すべき行為でした。
その他の有名な逸話
宋弘の人柄や識見を示す逸話は他にも伝えられています。一つは、学識豊かな桓譚の才能を見込んで光武帝に推挙した件です。桓譚は議郎兼給事中に任じられましたが、皇帝が彼に宴席で琴を弾かせてばかりいると知ると、宋弘は推薦を後悔し、桓譚を呼び出して厳しく叱責しました。桓譚は平謝りして許しを請いました。このことを知らない光武帝が再び宴席で桓譚に琴を弾かせようとした際、居合わせた宋弘の前で桓譚はひどく動揺しました。皇帝が理由を問うと、宋弘は冠を脱いで進み出て、「私が桓譚を推挙したのは、その忠誠と正直さで陛下を導くと期待したからです。しかし、ここで鄭国の俗楽で朝廷を乱すとは、これは私の罪です」と謝罪しました。皇帝は宴席の和やかな雰囲気を改めて真剣に宋弘に謝罪し、以後、桓譚に給事中としての実務をさせることはありませんでした。もう一つの逸話は、光武帝に謁見した際のことです。玉座の傍らに新しい屏風があり、美しい女性の絵が描かれていました。皇帝が宋弘との話の最中も何度も屏風の美女に見とれるのを見た宋弘は、真顔で「論語」の一節、「未見好徳如好色者」（いまだ徳を好むこと、色を好むが如き者を見ず。徳を好む人が、美色を好むほど熱心なのは見たことがない）と口にしました。これを聞いた皇帝は直ちに屏風を片付けさせ、「聞義則服」（義を聞けばすなわち服す。正しいことと聞けばすぐに従う）。これでよいか？」と問いかけると、宋弘は「陛下が徳を進められることほど、臣下にとって嬉しいことはございません」と答えました。
一族のその後
宋弘の弟、宋嵩は剛直な人柄で知られ、官は河南尹まで昇りました。宋嵩の子、宋由は太尉にまで至りましたが、時の権力者である竇憲に近づきすぎたため、竇憲が失脚した際に官職を剥奪され、故郷へ追放されて自害しました。宋由には宋漢と宋登という二人の息子がいました。宋漢は文武両道に優れ、地方の総督や軍の指揮官を歴任しました。宋漢の息子である宋則の代には、こんな話が伝わっています。10歳になる息子が、奴隷に弩の弦を引かせようとしたところ、誤って弦が切れ、暴発した矢が息子に当たって即死してしまいました。奴隷は償いとして死を申し出ましたが、宋則は事情を理解して奴隷を許しました。人々はその心根に感服したといいます。もう一人の宋由の子、宋登には「儒林伝」という著書があります。
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