ピアノソナタ (リスト)

ピアノソナタ ロ短調 S.178

フランツ・リストが作曲したピアノソナタ ロ短調 S.178は、彼の創作活動において現存する唯一のピアノソナタ作品として知られています。ドイツ語ではKlaviersonate h-mollと呼ばれます。

概要

このソナタは1852年から翌1853年にかけて作曲されました。ただし、現存する最も古いスケッチは1849年に遡り、同年には初期の形が演奏された可能性も指摘されています。完成後の1854年にはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版され、ロベルト・シューマンに献呈されました。シューマンへの献呈は、彼からの『幻想曲 ハ長調』への返礼という意味合いがありましたが、皮肉にもシューマンは献呈譜を受け取る直前に自殺未遂を図り、そのまま精神病院に入院することになります。作曲された時期は、リストがピアニストとしての演奏活動から退き、ヴァイマルの宮廷楽長として創作活動に最も力を注ぎ、充実していた時期にあたります。作品の公開初演は、1857年1月27日にベルリンで、弟子のハンス・フォン・ビューローによって行われました。

このピアノソナタの最も顕著な特徴は、複数の楽章に分かれる従来のソナタ形式とは異なり、明確な楽章の区切りを持たない単一楽章として構成されている点です。また、曲全体が一貫して「主題変容」という技法によって有機的に支配されています。これは、提示された主題がその構成要素を基に変幻自在に変化し、ある時は荒々しく、またある時は流麗で美しい旋律へと展開していく手法です。このような技法を用いることで、楽曲全体に高い統一感とドラマチックな変化がもたらされています。

興味深いことに、リストの大規模作品としては珍しく、作曲者自身による具体的な標題は一切残されていません。ピアニストのアルフレート・ブレンデルはこのソナタについて「標題を必要としていない」と述べています。しかしながら、様々な標題的な解釈が提案されており、中でもゲーテの『ファウスト』に関連づける解釈については、著名なピアニストであるクラウディオ・アラウが「リストの弟子たちの間で当然のこととされていた」と語るなど、ある種の共通認識があった可能性が示唆されています。

発表当時の評価とその確立

この作品が発表された当時、その革新的な形式や内容を巡って評価は大きく分かれ、長期にわたる議論の的となりました。出版直後には、リストと親交のあった音楽評論家ルイス・ケーラーが『新音楽時報』誌上でこのソナタを高く評価しました。彼は主題の「美しさと遠心力」、鮮やかな対比、主題変容の巧みな用法、そして作品全体の芸術性を称賛しています。また、作曲家アントン・ルビンシテインはこの曲が提起した新しい形式上の問題の重要性を理解し、リヒャルト・ワーグナーはリストへの手紙で、このソナタを「あらゆる概念を超えて美しい、偉大で、愛嬌があり、深く、高貴な作品」と絶賛しました。

一方で、ロベルト・シューマンの妻であり、自身も優れたピアニストであったクララ・シューマンは、夫の自殺未遂から間もない時期の日記（1854年5月25日付）に、このソナタに対する苛立ちを率直に綴っています。「単なる目的のない騒音に過ぎない。健全な着想はどこにも見当たらず、すべてが混乱しており、明確な和声進行が全く見出せない」と記しながらも、「彼に作品のお礼を言わないわけにはいかないが、それは全く面倒なことだ」と、複雑な心境を吐露しています。また、リストらの「新ドイツ楽派」に批判的だった音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックは、1881年のビューローによる演奏を聴いて新聞に酷評を掲載しました。「ロ短調ソナタは、ほとんどいつもむなしく動いている天才の蒸気製粉機であり、ほとんど演奏不可能な音楽の暴力である。これほど支離滅裂な要素が狡猾かつ図太く連結された音楽を、私はかつて聴いたことがない」とまで言い切り、聴いて良いと思うような人は「もうどうすることもできない」とまで述べています。初演を聴いたグスタフ・エンゲルによる辛辣な批評に対しても、ビューローが紙上で反論するなど、激しい論戦が繰り広げられました。

しかし、時が経ち、リストの弟子たちやフェルッチョ・ブゾーニといった優れたピアニストたちが繰り返しこのソナタを演奏するにつれて、徐々にその価値が理解されていきました。1920年代には演奏会で頻繁に取り上げられるようになり、リストの最も重要な代表作となっただけでなく、19世紀のピアノ音楽史全体における極めて重要な作品の一つとして認められるに至ります。現代においても、このソナタは多くの著名なピアニストにとって重要なレパートリーであり、数々の名演奏が生まれています。ブレンデルは「ベートーヴェンとシューベルトのソナタに次いで最も独創的で力強く知性に溢れたソナタであり、大規模な構成を完全に制御しきった規範ともいうべき作品である」と称賛し、音楽学者のケネス・ハミルトンは「ロ短調ソナタ以外のリストの全ての作品が失われたとしても、このソナタ一つだけでリストを最も偉大なロマン派の作曲家の一人に位置付けるに十分だろう」とまで述べています。

構成

リストのピアノソナタの構造は、現在に至るまで多くの音楽学者や演奏家によって様々な分析が提唱されており、議論が絶えません。これは、場面ごとの継ぎ合わせが極めて入念に行われていること、そして冒頭で提示された主題（動機）が全曲にわたって絶えず展開され続けるという作品の性格に起因しています。提示部の中ですら、主題が現れるやいなや、すぐにその要素が展開されていくような性格を持っています。

しかし、大まかな理解としては、1972年にウィリアム・S・ニューマンによって提唱された「二重機能形式（double-function form）」という解釈が広く受け入れられています。これは、単一楽章でありながら、全曲を覆う大きなソナタ形式と、その内部に複数の楽章形式（提示部が第1楽章、展開部前半が緩徐楽章、展開部後半がスケルツォ、再現部とコーダが終曲に相当するなど）が重ね合わされているという考え方です。分析者によって細かい違いが生じるのは、内部に含まれる楽章数（4部と見るか、3部と見るかなど）や、全体を覆うソナタ形式と内部の多楽章形式との厳密な対応関係の把握においてです。

こうした革新的な構成には、フランツ・シューベルトの『さすらい人幻想曲』からの影響が指摘されています。シューベルトの作品も、限られた数の音楽的要素から大規模な4楽章構成の楽曲が生まれ、終楽章にフーガが置かれるなど、類似の試みが見られます。この曲を愛奏し、自身も編曲を手掛けたリストが影響を受けたことは十分に考えられます。また、このピアノソナタの形式が完成に至る以前から、リスト自身が同様の構成実験を重ねていた痕跡が、2つのピアノ協奏曲や『ダンテを読んで』、『スケルツォとマーチ』、『大演奏会用独奏曲』といった他の作品にも見られます。

楽曲詳細

演奏時間は約30分前後の単一楽章で書かれています。ここでは、音楽学者のアラン・ウォーカーによる全体を四つの部分に分ける整理に基づいて楽曲の内容を概観します。

第1部

多楽章形式における第1楽章に相当し、全体を覆うソナタ形式の提示部の役割も担います。

冒頭には、作品全体の基盤となる三つの主要な動機が現れます。下降する音形を持つ動機aは、教会旋法のような神秘的な響きを帯びており、後の大きな区切りの終結に用いられます。広い音程を一音ずつ力強く刻むユニゾンの動機bと、狭い音域で密集して順次進行する動機cは、「垂直性」と「水平性」という対照的な性格を持ちます。リストは、動機aのスタッカートを「鈍いティンパニの音」、動機cの同音連打を「ハンマーの打撃」と表現したと伝えられています。

この冒頭部分は調性が曖昧で、変則的なフレージングや断片的な主題の提示が特徴です。ハミルトンは、こうした開始方を見れば、19世紀の聴衆の一部がこの作品を極めて難解に感じたのも無理はない、と述べています。続く経過句の後半で、動機bと動機cが力強く提示され、これが導入部を締めくくります。主調であるロ短調が確立される第32小節からは、全体における第一主題部が始まります。ここでは、動機aのリズムと動機b、動機cが巧みに組み合わされた楽想が展開されます。ブレンデルはこの楽想を「交響的主要動機」と呼んでいます。

長大で展開性の高い推移部では、オクターヴによる激しいパッセージの後、持続するイ音の上で動機aが現れます。このイ音が属音としての機能を持ち、第105小節からニ長調で雄大な第二主題が提示されます。その後、動機cと動機bの変形がニ長調で続けて現れ、これらが雄大な第二主題と組み合わさって、大規模かつ複雑な第二主題群を形成します。特にこの部分では、力強い動機bから優雅な側面が引き出されたり（第125小節）、動機cが秘めていた「歌謡的で感情豊かな」性質が露わになるなど（第153小節）、主題変容の妙技が光ります。

第297小節からは、短調に変化した第二主題と、動機bの逆行形によるレチタティーヴォが交互に現れ、緊張が高まります。動機cの反復と動機bの拡大形によって徐々に混乱が収まり、次の部分へと滑らかに移行します。

第2部

多楽章形式の緩徐楽章に相当し、全体構成では展開部の前半にあたります。ウォーカーはこの部分を三部形式と見ていますが、ソナタ形式と分析する研究者もいます。

第331小節からテンポがアンダンテ・ソステヌートに変わり、嬰ヘ長調でこの部分の中心となる新しい主題が静かに提示されます。ブレンデルはこの主題の登場を「より良き世界の幻のようにわれわれを打つ」と表現しています。続いて、第1部で登場した主題素材（譜例6にあたる楽想、動機b、第二主題など）が次々と回想され、その頂点で冒頭の新しい主題が再び現れます。ハミルトンが「静かで、烈しく心を動かす」と評する和声的な経過を経て、再び嬰ヘ長調で譜例6にあたる楽想が奏されます。最後に、冒頭の動機aが嬰へ音（冒頭より半音低い）上で静かに現れ、次の部分へ繋がります。

第3部

スケルツォ楽章に相当し、全体構成では展開部の後半、そして再現部への準備の役割を果たします。ウォーカーはこの部分を「悪魔的」と描写しています。

第460小節で再びアレグロ・エネルジコへとテンポが戻り、動機bと動機cに基づく主題を用いて、冒頭より半音低い変ロ短調で三声のフガートが展開されます。ウォーカーは、19世紀においてフーガをソナタ形式の中にこれほどまでに成功裏に組み込んだ例は非常に限られていると指摘しています。フガートの終盤、第509小節からは動機bの反行形と、リズムを変えた元の形が同時に演奏され、緊張感が高まります。

第4部

フィナーレ楽章に相当し、全体を覆うソナタ形式の再現部にあたります。第533小節から、第1部の音楽がさらに変容した形で再現されていきます。古典的なソナタ形式の慣例に従い、第1部でニ長調だった第二主題群は、ここでは主調であるロ短調の同主長調、ロ長調で再現されます。

第673小節で現れる動機aは圧縮されて連続的に反復され、熱狂的なコーダへと突入します。再度のクライマックスで第二主題が力強く奏されますが、鍵盤の全域を使った属七の和音によって唐突に中断されます。劇的な静寂の後、ロ長調で第2部の中心主題が回想され、動機c、動機b、動機aが弱音で静かに回帰し、最後はロ長調の和音で穏やかに全曲を閉じます。

この静かな終結については、ニューヨークのモルガン・ライブラリーに収蔵されている手稿譜の研究から、リスト自身がかつて華やかな終結も構想していたものの、それを削除し、現在の静寂に満ちた結末を選んだことが明らかになっています。ケネス・ハミルトンは、この新しい終結が作品をはるかに優れたものにしたことに疑いはない、と述べています。

演奏と録音

リストのピアノソナタ ロ短調は、発表当初は賛否が分かれましたが、現在では19世紀のピアノ曲の中でも特に多く録音されている作品の一つとして知られています。1999年に作成されたディスコグラフィでは、ピアノロールを除いても239種類の録音が確認されるほどです。最初の全曲録音は、リストの弟子であるアルトゥール・フリードハイムによる1905年から1907年のピアノロール録音と考えられています。レコードによる最初の録音は、1929年のアルフレッド・コルトーによるものでした。以来、アルフレート・ブレンデル、ウラディミール・ホロヴィッツなど、多くの名ピアニストたちがこの作品を取り上げ、歴史に残る名演奏を残しています。

編曲

リスト自身は、このソナタのピアノ独奏版以外の編成への編曲を残していませんが、他の作曲家や編曲家によって様々な形で演奏されています。有名なものとして、カミーユ・サン＝サーンスによる二台ピアノ版や、ヴェイネル・レオーによる管弦楽版があります。また、バレエ「マルグリットとアルマン」の上演のためにハンフリー・サールが編曲したピアノ協奏曲版も存在します。その他にも、管楽合奏版、オルガン版、無伴奏ヴァイオリン版、無伴奏チェロ版などが作られています。

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