小川絵梨子

小川絵梨子：緻密な演出と深い人間理解で観客を魅了する演出家

小川絵梨子（おがわ えりこ）は、1978年10月2日生まれの日本の演出家、翻訳家です。アメリカで演劇を学んだ後、2010年に帰国し、サム・シェパード作『今は亡きヘンリー・モス』の演出で注目を集めました。翻訳劇を得意とし、海外の戯曲に潜む普遍的なテーマや人間の物語を深く掘り下げる演出が特徴です。2018年9月からは新国立劇場の演劇部門芸術監督を務め、日本の演劇界を牽引する存在となっています。

演劇との出会いとアメリカでの研鑽

幼少期から演劇に強い関心を抱いていた小川は、美輪明宏の『黒蜥蜴』に感銘を受け、宮崎駿やミヒャエル・エンデの作品からも多大な影響を受けました。当初は俳優を目指していましたが、高校時代の文化祭で演出を手がけたことをきっかけに、演出の道に進むことを決意します。聖心女子大学卒業後、2001年にニューヨークのアクターズ・スタジオ大学院に留学し、現地の劇団で活動しました。2004年に同大学院を修了し、文化庁の新進芸術家海外派遣制度研修生にも選ばれています。

翻訳劇で頭角を現す

2010年に一時帰国した際、『今は亡きヘンリー・モス』を翻訳・演出したことで、演劇界から大きな注目を浴びます。この作品の翻訳により小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞し、その才能を広く知らしめました。アメリカで演劇を学んだフリーの演出家という、当時の日本では珍しいキャリアの持ち主であることも注目されました。その後も、『12人』『夜の来訪者』『プライド』などの演出で、2012年に読売演劇大賞杉村春子賞を受賞。翌年には『ピローマン』『OPUS/作品』などの演出で紀伊國屋演劇賞と千田是也賞を受賞し、新人演出家として異例の速さで数々の賞を獲得しました。

多様な作品への挑戦と新国立劇場芸術監督就任

小川は、シェイクスピアの翻訳にも挑戦しており、2012年には『シェイクスピア　愛の言葉』を刊行しています。2013年からはシアター風姿花伝のレジデント・アーティストを務め、重厚なストーリーを持つ作品から、コメディや構造の曖昧な戯曲まで、幅広いジャンルに挑戦しています。2018年9月には新国立劇場演劇部門の芸術監督に就任。就任前から新国立劇場演劇研修所で講師を務め、若手俳優の育成にも力を注いでいました。芸術監督就任について、「演出家とは基本的には違う仕事」としながらも、「作品や劇場を通して、社会にメッセージを伝え」るという共通点を見出し、意欲的に取り組んでいます。

作風と評価

小川の演出は、精緻でリアリティを追求した舞台作りが特徴です。読売演劇大賞のノミネート選評では、「正統、異端双方の芝居をこなせる力」、「人間関係の変化を克明に描写する力」、「緻密でタフな演出」が高く評価されています。テンポ感にも定評があり、『スポケーンの左手』では「原語での上演に近いテンポ」を再現し、『クリプトグラム』では「スピードの緩急に力点を置いた」演出が評価されています。また、俳優との対話を重視し、事前に詳細な演出ノートを作成するのではなく、俳優の自由な演技を引き出すことを重視しています。その結果、『トップドッグ／アンダードッグ』では「生々しい演技」が引き出され、『星ノ数ホド』では俳優がより即興的かつ自由に演劇を楽しめるようになったと評されています。

翻訳家としての才能

翻訳劇を得意とする小川は、単なる海外作品の紹介にとどまらず、「作品に表れる普遍性」や「人間の物語」を伝えることを目指しています。戯曲翻訳家としても評価が高く、『いま、ここにある武器』の翻訳では「よく咀嚼された翻訳」と称賛されました。「原文のリズム」を生かした翻訳を心がけているといいます。

日本の戯曲への取り組み

小川は、海外の戯曲だけでなく、日本の戯曲にも積極的に取り組んでいます。劇団イキウメの外部演出家として『ミッション』と『暗いところからやってくる』を演出したほか、新国立劇場の企画「かさなる視点――日本戯曲の力――」では、田中千禾夫の『マリアの首――幻に長崎を想う曲――』を演出しました。

主な舞台公演

2006年　飯島早苗、鈴木裕美『法王庁の避妊法』、演劇ユニットPlug-in、アイピット目白、演出
2008年　『12人』(P・ローズ『12人の怒れる男』翻案)、演劇ユニットPlug-in、脚色・翻訳・演出
2009年　エドワード・オールビー『Zoo Story』、演劇ユニットPlug-in、下北沢・楽園 、翻訳・演出
2009年　永井愛『僕の東京日記』、Artist★Artist (トップコート企画公演)、六行会ホール、演出
2010年　ジョン・パトリック・シャンリィ『ダウト 疑いをめぐる寓話』、響人、千歳船橋APOCシアター、演出
2010年　サム・シェパード『今は亡きヘンリー・モス』、CAT/J.クリップ、赤坂レッドシアター、演出・翻訳
2010年　ライル・ケスラー『オーファンズ～孤児たち～』響人、ザムザ阿佐ヶ谷、演出
2011年　アレクシ・ケイ・キャンベル『プライド』日暮里ｄ―倉庫、演出
2011年　J・B・プリーストリー『夜の来訪者』、響人、翻訳・演出
2011年　『12人～奇跡の物語』(P・ローズ『12人の怒れる男』翻案)、オフィスコットーネ、スペース早稲田、脚色・翻訳・演出
2011年　クワン・タワ『罠』国際演劇協会リーディング公演、演出
2012年　前川知大『ミッション』、イキウメ、シアタートラム、演出
2012年　前川知大『暗いところからやってくる』神奈川芸術劇場、演出
2012年　アーサー・ミラー『橋からの眺め』、響人、中野BONBON、演出・翻訳
2012年　スーザン・ロリ・パークス『トップドッグ／アンダードッグ』、シス・カンパニー、シアタートラム、演出
2013年　マーティン・マクドナー『ピローマン』、名取事務所、下北沢「劇」小劇場、演出
2013年　ハロルド・ピンター『帰郷―The Homecoming―』RunsFirst、シアター風姿花伝、演出・翻訳
2013年 マイケル・ホリンガー『OPUS（オーパス）／作品』新国立劇場、演出
2013年　デヴィッド・マメット『クリプトグラム』世田谷パブリックシアター、演出・翻訳
2014年　マーティン・マクドナー『ロンサム・ウェスト』新国立劇場、演出・翻訳
2014年　アラン・ベネット『ヒストリーボーイズ』世田谷パブリックシアター、演出
2014年　ニック・ペイン『星ノ数ホド』新国立劇場、演出
2014年　オーウェン・オニール、デイヴ・ジョーンズ『ロンドン版ショーシャンクの空に』(スティーヴン・キング原作)、シアタークリエ、翻訳
2015年　アルフレッド・ジャリ『ユビュ王』TCアルププロジェクト、まつもと市民芸術館、上演台本
2015年　テレンス・ラティガン『ウィンズロウ・ボーイ』新国立劇場、翻訳のみ
2015年　長田育恵『夜想曲集』(カズオ・イシグロ原作)、天王洲銀河劇場、演出
2015年　ジョン・ローガン『RED』新国立劇場、演出・翻訳
2015年　マーティン・マクドナー『スポケーンの左手』シアタートラム、演出・翻訳
2016年　マイケル・フレイン『コペンハーゲン』シアタートラム、演出
2016年　ジョン・ペンホール『いま、ここにある武器』シアター風姿花伝、翻訳のみ
2016年 リチャード・グリーンバーグ『テイク・ミー・アウト』DDD青山クロスシアター、翻訳のみ、2018年再演
2017年　ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ『令嬢ジュリー』『死の舞踏』シアターコクーン、演出・台本
2017年　田中千禾夫『マリアの首――幻に長崎を想う曲――』新国立劇場、演出
2017年 トム・ストッパード『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』世田谷パブリックシアター、演出・翻訳
2017年 マーティン・マクドナー『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』シアター風姿花伝、演出・翻訳
2018年 リサン・クロン、ジニーン・テソーリ『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』演出
2018年 ジョージ・オーウェル原作、ロバート・アイク、ダンカン・マクミラン台本『1984年』演出
2018年 マーティン・マクドナー『ハングマン』世田谷パブリックシアター、翻訳のみ
2018年 ジャン＝ポール・サルトル『出口なし』新国立劇場、演出・上演台本
2018年 デヴィッド・ヘアー『スカイライト』新国立劇場、演出のみ
2019年 三島由紀夫『熱帯樹』世田谷パブリックシアター、演出のみ
2019年 アントン・チェーホフ『かもめ』、翻訳のみ（トム・ストッパードによる英語台本が底本）
2019年 マイク・バートレット『Wild』、演出のみ
2020年 ヤスミナ・レザ『ART』、演出のみ
2021年 ジョン・パトリック・シャンリィ『ダウト：疑いについての寓話』風姿花伝プロデュース公演・8、翻訳・演出
2022年 ジェレミー・O・ハリス『ダディ』、演出のみ
2022年 トム・ストッパード『レオポルトシュタット』、演出のみ
2022年 ハロルド・ピンター『管理人 / THE CARETAKER』、紀伊國屋ホール他、演出のみ
2023年 マーシャ・ノーマン『おやすみ、お母さん』、シアター風姿花伝、演出・翻訳

受賞歴

2010年：小田島雄志・翻訳戯曲賞（サム・シェパード作『今は亡きヘンリー・モス』）
2011年：第19回読売演劇大賞杉村春子賞（『12人』『夜の来訪者』『プライド』）
2013年：第48回紀伊國屋演劇賞個人賞（『ピローマン』及び『OPUS／作品』の演出）
2014年：第16回千田是也賞（『ピローマン』、『帰郷―The Homecoming―』及び『OPUS／作品』の演出）
2013年：第21回読売演劇大賞優秀演出家賞（『ピローマン』、『帰郷―The Homecoming―』）
2014年：第22回読売演劇大賞優秀演出家賞
2016年：第41回菊田一夫演劇賞
2022年：第9回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞（『ダウト：疑いについての寓話』の翻訳・演出）

著書

シェイクスピア『シェイクスピア：愛の言葉』小川絵梨子訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年
トム・ストッパード『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』小川絵梨子訳、ハヤカワ演劇文庫、2017年

小川絵梨子は、その緻密な演出と深い人間理解によって、観客を魅了し続けています。今後の活躍にも目が離せない、現代演劇界を代表する演出家の一人と言えるでしょう。

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