江戸幕府の地図事業

江戸幕府は、国土の基本図である日本図と、諸藩に作成させた国絵図の編纂事業を積極的に進めました。これらの地図は、単なる地理的記録にとどまらず、幕府の支配体制を強化し、国土を把握するための重要なツールでした。以下に、各時代の地図事業について詳細を記述します。

天正郡絵図

豊臣秀吉は、全国規模の検地を実施した後、天正19年（1591年）に全国の大名に対し、検地結果を記載した御前帳と郡絵図の提出を命じました。この事業は増田長盛が担当しました。天正の郡絵図は現存していませんが、上杉家に伝わる「越後国瀬波郡絵図」と「越後国頸城郡絵図」は、天正郡絵図の写しであると考えられています。郡絵図には、郡内の各村の家数と検地高が詳細に記されていました。しかし、豊臣政権が作成した郡絵図が、最終的に国絵図としてまとめられたかは定かではありません。

慶長国絵図

江戸幕府を開いた徳川家康は、豊臣政権の政策を踏襲し、慶長10年（1605年）に全国の諸大名の領地と寺社領の分布、石高に関する調査を実施しました。この調査には、西尾吉次が東日本、津田秀政が西日本の担当奉行として任命されました。この調査に基づき、慶長国絵図と郷帳が作成されたとされていますが、その後の江戸城火災などで焼失し、正本は現存していません。慶長国絵図の控えや写本は、11ヶ国1島分のみが西日本に限って現存しています。研究者の秋澤繁は、慶長国絵図・郷帳の徴収は全国に及んだのではなく、西国大名政策として西日本に限られていたという説を提唱しています。

寛永国絵図と慶長日本図

三代将軍徳川家光は、寛永10年（1633年）に諸国に巡見使を派遣し、各藩に国絵図の提出を命じました。この際に作成された68国分の絵図は、山口県文書館や秋田県公文書館に保存されており、岡山大学の池田家文庫にも伝えられています。また、江戸時代初期には、「慶長日本図」と呼ばれる日本全国を一枚にまとめた地図が存在していました。従来、これは慶長国絵図をまとめたものと考えられていましたが、研究者の川村博忠は、この地図が寛永年間に作成されたものであると指摘しました。川村は、寛永10年（1633年）に幕府が巡見使に提出された国絵図を基に日本地図を初めて作成し、同15年（1638年）に一部地域を改訂したと主張しました。この説に対し、塚本桂大や海野一雄から反論が出され、議論が続けられています。しかし、川村の指摘により、寛永期に幕府による地図事業が行われていた可能性が高いとされています。

正保国絵図、正保 城絵図と正保日本図

正保元年12月25日（1645年 1月22日）、幕府は諸大名に対し、国絵図、郷帳、城絵図の作成を命じました。正保国絵図は、全国共通の縮尺（6寸1里＝1/21600）で作成されました。正本は江戸城焼失により現存しませんが、写しが各地に存在します。従来、慶安4年（1651年）に北条氏長が全国地図を作成したとされていましたが、近年の研究では、大目付井上政重が作成責任者であったことが判明しました。井上政重が作成した日本総図は、承応年間には完成したとみられていますが、明暦3年（1657年）の明暦の大火で正保国絵図とともに焼失しました。北条氏長の校訂は、諸大名による国絵図の再提出から始まる事実上の新造であったと考えられます。しかし、近年になって、焼失前の地図の写しが国文学研究資料館と島原図書館（松平文庫）で発見されました。

元禄国絵図と元禄日本図

元禄10年4月28日（1697年 6月16日）、幕府は諸大名に対し、再度地図と郷村高帳の作成を命じました。元禄15年、井上正岑や狩野良信らの手により、諸藩の国図を基にした全国地図が作成されました。この地図は、正保以後の変動を詳細に記述していますが、地形の正確さにおいては正保日本図より劣るとされています。また、この地図には、琉球と釜山の和館が記載されています。

享保日本図

[享保]]2年（1717年）、幕府は勘定奉行大久保忠位を責任者とし、佐渡奉行北条氏如に新たな日本地図の作成を命じましたが進展しませんでした。そのため、享保4年（1719年）、8代将軍徳川吉宗は建部賢弘を召して再訂を命じました。建部は、望視（交会法）を用いて203主要地点の位置を確定し、享保8年（1723年）に完成させました。その後、享保13年（1728年）までに離島間の距離や方向を修正しています。この際には、諸大名から近隣の国々の山との望視の成果が求められましたが、国図の提出は求められませんでした。近年、平戸藩主の松浦清]が保管していたとみられる原図が、[[広島県立歴史博物館に寄託された資料から発見されました。この測量図は、北海道南部から九州、種子島付近までが正確に描かれています。

伊能忠敬の地図

伊能忠敬は、詳細な測量に基づいた「大日本沿海輿地全図」を作成しました。この地図は、江戸幕府の地図事業の中でも特筆すべき成果であり、近代的な測量技術を駆使して作成された点が特徴です。

天保国絵図

天保2年（1831年）、幕府は諸大名に対し、地図と郷村高帳の作成を命じました。明楽茂村らの手によって天保9年（1838年）にほぼ完成しましたが、全国地図は作成されませんでした。これは、既に「大日本沿海輿地全図」が存在していたためです。天保国絵図は、大日本沿海輿地全図に欠けていた内陸部を中心とした詳細な記述を行い、明治以降の地図作成に参考にされました。天保国絵図は、国立公文書館に現存し、天保郷帳と共に重要文化財に指定されています。

江戸幕府の地図事業は、各時代の政治状況や技術の発展を反映しており、日本の地理的理解を深める上で非常に重要な役割を果たしました。これらの地図は、歴史研究においても貴重な資料となっています。

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