矢田堀鴻

矢田堀鴻：幕末海軍を支えた知将の生涯

生い立ちと学問

矢田堀鴻（やたぼり こう）は、文政12年（1829年）に江戸で生まれました。父は幕府の小普請方である荒井精兵衛で、彼はその三男として生を受けました。後に、同じく幕府の小普請方であった矢田堀又蔵の養子となり、矢田堀家を継ぎました。幼少期から学問に励み、昌平坂学問所で才能を開花させたとされています。10代の頃から学問に励み、嘉永元年（1848年）には学問御試で白銀を賜るほどの秀才でした。勝海舟も彼を「弱冠にして昌平学校生徒となり、学業日に進み、田辺太一、塚本恒甫と時に三才子の称あり」と評しています。嘉永3年（1850年）に養父が亡くなると、家督を相続し、2年後には甲府徽典館の学頭に就任しました。

長崎海軍伝習所での活躍

黒船来航後の安政2年（1855年）、長崎海軍伝習所が開設されると、矢田堀は勝海舟、永持亨次郎とともに、その筆頭格として伝習生に選ばれました。彼はここで、航海術において卓越した才能を発揮し、めざましい成果を上げました。約2年後、幕府は伝習生を教師として築地に軍艦教授所を設けることを決定。矢田堀はその教授頭に任命され、伝習所長の永井尚志とともに観光丸での航海を成功させ、その手腕を高く評価されました。
翌年には、観光丸が佐賀藩に貸し出されることになり、矢田堀は再び船将として長崎へ回航しました。当時、長崎にいた第2次オランダ人教師団のカッテンディーケは、矢田堀の指揮ぶりを高く賞賛しています。

幕府海軍エリートとしての挫折

文久元年（1861年）、矢田堀は軍艦奉行・木村芥舟によって軍艦頭取に抜擢され、小野友五郎、伴鉄太郎とともに幕府海軍の中核を担うことになりました。しかし、この時期の幕府海軍は、艦船や人員の不足に苦しみ、国内外の情勢も不安定でした。

文久元年12月には、咸臨丸で小笠原諸島へ視察団を輸送する任務に、自ら朝陽丸艦長として参加し、その運航を成功させました。しかし、文久2年（1862年）には、坂下門外の変や生麦事件など、幕府を取り巻く状況は悪化の一途をたどり、海軍も度重なる出動を余儀なくされました。その上、文久3年（1863年）には、軍艦奉行並に昇進したものの、木村芥舟や勝海舟との意見の相違が表面化し、元治元年（1864年）には、勝海舟が設立した神戸海軍操練所の影響で、矢田堀も失脚することになりました。

最後の海軍総裁、そして晩年

鳥羽・伏見の戦いの敗戦後、矢田堀は幕府海軍の総裁に就任しましたが、この時すでに幕府海軍の実権は榎本武揚が握っており、新政府への艦艇引き渡しを拒否して北へ向かいました。矢田堀は徳川家の静岡藩への転出に従い、静岡に移り、沼津兵学校の校長を務めました。その後、東京に出て新政府にも出仕しましたが、海軍関係の職は軽いものばかりで、不遇をかこったといわれています。

晩年は、酒と碁に親しみながら、鬱屈とした日々を過ごしたと伝えられています。明治13年（1880年）には『海上衝突予防規則平仮名附及航法図航海術』、翌年には『英華学芸辞書』を出版しました。明治20年（1887年）に59歳で亡くなり、その生涯を終えました。

矢田堀鴻の功績と影響

矢田堀鴻は、幕末の動乱期において、幕府海軍の中核として活躍しました。長崎海軍伝習所で培った航海術の知識と、実戦での経験を活かし、幕府海軍の近代化に貢献しました。しかし、時代の波に翻弄され、その才能を十分に発揮することができなかったという側面も持ち合わせています。彼の生涯は、幕末という激動の時代における、一人の武士の苦悩と挫折を象徴していると言えるでしょう。

関連書籍

植松三十里『群青 日本海軍の礎を築いた男』（文藝春秋、2008年）
石橋絢彦　『回天艦長 甲賀源吾傳 附函館戦記』
カッテンディーケ、水田信利訳　『長崎海軍伝習所の日々』
文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』
土居良三　『軍艦奉行木村摂津守 近代海軍誕生の陰の立役者』
勝海舟　『海軍歴史』

関連項目

幕末の人物一覧
長崎海軍伝習所

外部リンク

* 矢田堀鴻関連資料：近代デジタルライブラリー

もう一度検索