蟹江城合戦

天正12年（1584年）6月に発生した蟹江城合戦（かにえじょうかっせん）は、同年の小牧・長久手の戦いにおける局地的な軍事衝突であり、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営が尾張国南西部を舞台に戦った。特に蟹江城を巡る攻防が中心となったため、蟹江合戦とも呼ばれる。

合戦の経緯

小牧・長久手の戦いが始まった天正12年4月以降、尾張北部の戦線は堅固な陣地構築により膠着状態に陥っていた。家康は清洲城、信雄は桑名城、秀吉は大坂城へと、それぞれの拠点に戻っていた。

尾張北西部では、羽柴勢が5月4日以降、美濃の加賀野井城、奥城、竹ヶ鼻城などを大軍で包囲し、水攻めなどによって次々と攻略を進めた（竹ヶ鼻城水攻め）。しかし、家康は清洲城から動かなかった。

一方、尾張南西部の状況打開を図る秀吉は、既に剃髪していた滝川一益とその子・一忠をそれぞれ3千石、1万2千石の知行を与えて再び召し抱え、この方面での諸城攻略を命じた。一益は、織田信雄配下の水軍を率いる九鬼嘉隆とは、過去に多くの戦場で苦楽を共にした間柄であった。

当時、織田方の蟹江城主・佐久間信栄は、信雄の命を受けて伊勢国の萱生に砦を築くため、蟹江城を留守にしており、城の守りは叔父の佐久間信辰と、連携する前田城主・前田長定（種定）に託されていた。

当時の蟹江城は、家康の清洲城と信雄の長島城からそれぞれ三里程に位置し、三重の堀を備える堅固な城郭であり、大野城、下市場城、前田城の三つの支城と連携していた。蟹江は海に面し、熱田や津島と並ぶ尾張有数の港湾都市でもあった。前田種定は、滝川一益と同じく加賀前田家の親類筋にあたる。また、滝川一益自身も過去に桑名城主や蟹江城主を務めた経験があった。

蟹江合戦の経過

天正12年6月16日午前、安宅船を従えた九鬼水軍と滝川一益が率いる兵3千が蟹江浦に出現した。前田長定は、旧知の間柄であった滝川一益の調略に応じ、蟹江城に入城。城にいた佐久間信辰を本丸から退去させた。これと同時に、長定の弟である前田長俊（利定）が守る下市場城、そして長男・前田長種の守る前田城も秀吉陣営へと転じた。しかし、大野城の山口重政は、母親を人質に取られながらも調略には応じなかったため、滝川、九鬼、前田勢は16日夕刻から大野城への攻撃を開始し、城を陥落寸前まで追い詰めたという。

蟹江城が落ちたとの報せを受けた長島城の織田信雄は兵2千を率いて同日夜のうちに大野城へ急行した。清洲城の徳川家康も手勢を率い、翌17日早朝には戸田村に本陣を構えた。信雄が大野城に入城したため、大野城攻めに失敗した滝川勢は蟹江城へ、九鬼勢は下市場城へ退き、それぞれ篭城の構えを取った。

翌18日、家康と信雄は合わせて2万の兵を率いて、蟹江城、前田城、下市場城の三城を完全に包囲した。

同日、織田・徳川勢は下市場城に集中的な攻撃を加え、これを落とし、前田長俊を討ち取った。19日には舟入の戦いで九鬼嘉隆が敗北したことで、織田・徳川陣営による海上封鎖が確立された。

20日、織田・徳川勢は蟹江城への総攻撃を開始。家康隊が東から、信雄隊が南と西から城を攻めた。21日、秀吉は美濃から近江の佐和山城へと移動した。22日には、織田信雄と徳川家康が再び蟹江城に総攻撃を仕掛けた。

22日の激しい攻防では、大手口（海門寺口）を担当していた酒井忠次の部隊は連日の激戦で疲労困憊していたため、夕刻には榊原康政、松平家忠らの部隊と交代した。滝川一益は守備兵を二の丸に集約すべく、夜陰に乗じて各城門から城外へ打って出た後、三の丸を放棄して二の丸へ撤収しようとした。しかし、海門寺口では苦戦を強いられ、谷崎忠右衛門率いる城兵は城外で敵に包囲されてしまった。滝川一益はこれを見て激怒し、自ら門役を務めてこの城兵を二の丸に収容したが、谷崎忠右衛門はこの時の鉄砲傷がもとで3日後に亡くなったと伝わる。前田口では、滝川一忠が二の丸への撤退における殿（しんがり）を務め、攻め手の水野勝成と激しく切り合い、互いに傷を負ったという。

23日、石川数正と阿部信勝が攻めていた前田長種の守る前田城が開城し、徳川家康は榊原康政を伴って入城した。24日、秀吉は一益の蟹江城攻略の報を受け、近江の土山へ移動。25日には伊勢の椋本に移り、信濃の木曾義昌に対し、尾張西側からの総攻撃を計画していることを伝達した。

29日には和平交渉が開始され、7月3日に蟹江城は徳川・織田勢に引き渡された。しかし、和睦が成立したにもかかわらず、城を退去中の前田長定が殺害された。滝川一益は殺害を免れて伊勢に逃れた。後世の書物には、滝川一益あるいはその甥が前田長定を討ったとする記述も見られるが、詳細は定かではない。一益は伊勢神戸城に逃れたものの、守将の富田一白に怪しまれ、入城を拒否されたという。秀吉は伊勢に羽柴秀長、丹羽長重、堀秀政ら6万2千の兵を集め、7月15日に尾張西側からの総攻撃を計画していたが、蟹江城の落城に間に合わず、中止となった。

合戦後と影響

7月5日、家康は桑名城に入城。12日には、起用の際の約束通り、秀吉から滝川一益に3千石、子の一時に1万2千石の知行が与えられた。13日、家康は清洲城に帰還。29日、秀吉は美濃の大垣城から大坂城に帰還した。

蟹江城合戦は、結果として秀吉が合戦において家康に勝利する最後の機会となり得た戦いだったが、秀吉は長久手の戦いに続き、この戦いでも主力の投入に遅れ、結局攻勢に出ることはなかった。当時の秀吉政権は、蒲生氏郷、佐々成政、丹羽長秀、堀秀政、前田利家といった旧織田家臣団の寄せ集めという側面があり、加えて紀伊国の雑賀衆・根来衆の北上、四国統一を目指す長宗我部元親の圧力、九州での島津氏の台頭など、他の方面にも注意を払う必要があり、前線に集中しきれなかった。これに対し家康側は、日照りによる秀吉軍の補給困難という幸運も味方につけつつ、家臣団の統率が取れており、さらに後方の関東では北条家とも利害が一致していたため、常に迅速な行動を取ることが可能であった。

この戦いによって、尾張前田氏本家は城主と居城を失った。前田城を守っていた前田長種は、妻の実家である前田利家を頼り、後に加賀藩二代藩主・前田利常の養父となった。結果として、織田信雄は家臣の津川義冬、岡田重孝、浅井長時に続き、前田一族までをも失うことになった。滝川家は、この戦いにより大名への復帰を果たしたが、嫡男の一忠は後に追放処分となった。一方、家督を継いだ次男の一時は、この時の働きが家康の目に留まり、後に家康から2千石を与えられている。九鬼嘉隆はこの戦いを機に秀吉に直接仕えることとなり、翌年には従五位下大隅守に叙任された。また、若年ながら大野城を守った佐久間家臣の山口重政は、この戦いで徳川氏との縁を得たことが、その後の波乱万丈を経て常陸牛久藩初代藩主となる礎となった。

後世の評価

滝川一益に対する評価は、同時代においても後世においても分かれる。徳川秀忠は、慶長8年（1603年）に一益の子・一時が死去した際に「勇者（一益）の子孫は殊更扶助すべきであったのに、不幸にして世を早くした」と述べており、秀忠は一益を高く評価していたことが窺える。江戸前期の儒医・江村専斎は、「賤ヶ岳の戦いは太閤（秀吉）一代の勝事、蟹江の戦いは東照宮（家康）一世の勝事也」と記し、蟹江城合戦こそが徳川家康の生涯で最も重要な勝利であったと評している。一方、江戸中期以降に成立した『小牧戦話』や江戸後期の『尾陽雑記』などでは、和平時に前田長定を討ったとされる一益に対し、「命惜しさに敢えなく（前田長定を）切って…滝川これよりいよいよ浪人となり、終に餓死したと聞える」といった記述が見られ、その行動に厳しい評価を与え、晩年の悲惨さを強調している。昭和の小説家・海音寺潮五郎は、一益の蟹江城攻略戦略自体は優れていたと評価しつつも、「浪人していたために良い部下が少なく、時運にも恵まれず、不運に見放された結果」と分析している。

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