郷学

郷学とは

郷学（ごうがく、きょうがく）は、江戸時代から明治初年にかけて存在した教育機関の一種で、郷校（ごうこう）、郷学校（ごうがっこう）、義校（ぎこう）などとも呼ばれます。この言葉は、藩校、家塾、寺子屋に分類されない教育機関を指すために作られた概念であり、その実態は多岐にわたります。大きく分けて、武士を主な対象とするものと、庶民を対象とするものの2種類が存在しました。

郷学の種類

武士教育機関としての郷学:
藩校の延長、あるいは小規模な藩校とも言える存在です。
藩主や重臣が、領地内の家臣のために開設しました。
教育内容は藩校に近いものでした。

庶民教育機関としての郷学:
官（藩主や代官など）が設立・運営に関与したものと、民間有志が設立・運営したものがあります。
寺子屋と同様に庶民教育を担いましたが、幕府や藩の保護・監督を受けていた点が異なります。

郷学の歴史

郷学は、全国に1000校以上あったとされ、特に明治初年に集中して設立されました。寛政期頃から徐々に増え始め、天保期に急増、明治に入るとさらに激増しました。明治維新期には、1872年の学制公布に先駆けて初等教育の普及を担い、学制公布後は多くが小学校へと転換しました。

郷学の研究

「郷学」という用語は中国古典に由来しますが、江戸時代の在郷の教育機関に対して用いられるようになったのは、儒者たちの憧憬を反映した雅称でした。18世紀後半には、庶民教育機関を担った儒者が自称した例も見られます。幕末には、水戸藩が領内に設置した庶民教育機関に「○○郷校」という名称を用いました。

明治期に文部省が『日本教育史資料』を編纂した際、藩立学校、家塾、寺子屋に分類できない学校を「郷学」としてまとめ、現代的な「郷学」の概念が形成されました。この概念は、多様な性格を持つ学校を含むことになりました。

郷学研究の基礎を築いたのは石川謙で、彼は対象による2分類を提唱しました。また、津田秀夫は「第三種郷学」という概念を提唱し、民衆の自主性や内発性を重視する研究も進められました。

江戸時代の郷学

武士教育機関としての郷学

武士を対象とする郷学は、藩主が遠隔地に設けたり、藩主一族や重臣が知行地に設置したりしたものです。重臣が開いたものは「陪臣学問所」とも呼ばれました。教育内容は藩校の延長であり、会津藩、秋田藩、盛岡藩、萩藩、佐賀藩、熊本藩などの大藩に多く見られました。

主な例として、以下のものがあります。

揆奮場（岩手県花巻市）
信成堂（岩手県遠野市）
立生館（岩手県奥州市）
有備館（宮城県大崎市）
久保田藩の10郷校（秋田藩）
講授館（高知県宿毛市）
身教館（佐賀県武雄市）
東原庠舎（佐賀県多久市）
羽白館（長崎市）
伝習堂（熊本県八代市）

庶民教育機関としての郷学

庶民を対象とする郷学は、寺子屋と同様に庶民教育を担いましたが、幕府や藩の保護・監督を受けていた点が異なります。石川謙は、庶民を対象とする学校を、成人を対象とする教諭所と、子弟に初等教育を施す学校とに区分しました。

官が主導・保護した郷学

藩主や代官が設立したり、民間有志が設立して領主が保護・監督したりしたものです。

岡山藩主池田光政が領内に開設した手習所が代表的な例です。
幕府代官早川八郎左衛門正紀が美作久世に典学館、備中笠岡に敬業館、武蔵久喜に遷善館を開設しました。
伊勢崎藩領では、五惇堂が設立され、藩の支援を受けながら運営されました。

これらの郷学の教育は、道徳の向上や農業の奨励など、封建的な教化を目的としていました。

民間の設立・運営による郷学

民衆教育運動の自発性・内発性を評価して「第三種郷学」とも捉えられ、摂津国平野郷の含翠堂がその代表例です。

含翠堂は、平野郷の有力者たちによって設立・運営され、経済的な基盤も有志の共同出資によっていました。
教育内容は儒学が中心でしたが、町人としての実践道徳に重点が置かれていました。
教師は外部から招かれ、専門的な教育が行われました。
大坂の懐徳堂も郷学と見なされることがあります。

主な庶民教育機関としての郷学には、以下のようなものがあります。

水戸藩の15郷校
足利学校（栃木県足利市）
伊勢崎藩の25郷校
五惇堂（群馬県）
正誼堂（群馬県）
講武堂（群馬県）
嚮義堂（群馬県玉村町）
桃渓書院（群馬県安中市）
敷教舎（福島県白河市）
遷善館（埼玉県久喜市）
戩穀堂（さいたま市岩槻区）
会輔堂（東京都）
習学所（石川県小松市）
由学館（山梨県笛吹市石和町）
松聲堂（山梨県）
興譲館（山梨県都留市谷村）
静修館（岐阜県高山市）
主善館（奈良県）
含翠堂（大阪市平野区）
明倫堂（兵庫県伊丹市）
申義堂（兵庫県高砂市）
閑谷学校（岡山県）
典学館（岡山県真庭市）
敬業館（岡山県笠岡市）
廉塾（広島県福山市）

明治初年の郷学校

明治維新後、府県や諸藩はそれぞれの方針で小学校・郷学校の整備を進めました。当時、「小学」「小学校」といった名称は民衆になじみが薄かったため、「郷学校」「郷学所」「啓蒙所」「教導所」などの名称が用いられました。多くの郷学校は、地方住民の有志によって設立・維持され、近代の小学校の前身と見なすことができます。

1872年の学制発布により、多くの郷学校は公教育の中の小学校へと転換していきました。

各府県・諸藩の郷学校

京都の小学校（番組小学校）:
1869年に京都の町衆によって設立された小学校で、学区制によって組織的に設立されました。

神奈川県の郷学校:
1871年に、郷村の組合を単位として全県を27に分け、各地区に郷学校を設立する計画が立てられました。

名古屋県の義校:
名古屋藩は藩校を改革して「小学」を設けましたが、士族中心となったため、1871年に一般庶民向けの「義校」の設置を奨励しました。
額田県でも「郷学校」設立が奨励され、後に愛知県が成立すると「義校」に改称されました。

堺県の郷学校:
強力な行政指導によって設立されたことが特徴で、1872年に寺子屋・私塾の廃止を指示し、各区に郷学校を設置しました。

民衆運動としての郷学校:
武蔵国南多摩郡小野路村（現在の東京都町田市）では、周辺諸村の有力者たちの決議によって小野郷学が開設されました。多くの自由民権運動の地域指導者を輩出したことで知られています。

主な明治初年の郷学校には、以下のようなものがあります。

群馬県: 十八郷学校
埼玉県: 浦和郷学校、岩槻郷学校、蕨郷校、森戸郷学校、飯能郷学校、小鹿野郷学校、川島郷学校、広瀬郷学校
東京都: 太子堂郷学所、太子堂郷学所分校、郷学校、共同学舎、長沼郷学校、小野郷学校、布田郷学校、柚木学校、高幡学校、日野学校、向ヶ丘学校
神奈川県: 富岡村持明院郷学校
岐阜県: 興文郷学校
静岡県: 山名郡第44区郷学所、用行義塾
愛知県: 名古屋領の義校（約400校）、額田県生平郷学校、第9中学区第36番小学西郷学校
三重県：下中之郷学校
京都府: 京都の番組小学校、郷学校広胖堂、三郷学校
大阪府: 河内国八上郡金田村光念寺内郷学校、堀溝郷学校、堀溝郷学校支校、堀溝郷学校中野分校、堀溝郷学校田原出張校、堺県河内国第六区郷学校、堺県河内国第六区郷学校分校、堺県河内国第七区郷学校、堺県河内国第七区郷学校招提出張所、堺県河内国第七区郷学校中宮出張所、堺県河内国第七区郷学校樟葉出張所、堺県河内国第八郷学校、河内国第八郷学校出張所、星田郷学校、堺県第九区郷学校、河内国第九区郷学校、河内国第九区郷学分校、庭窪町郷学校、三ツ島郷学校、河内国第11区郷学校稲田分校、河内国第十三区郷学校、堺県第十五区郷学校、和泉国第三区郷学校、美多弥（みたみ）神社境内郷学校、大鳥郡第四区郷学校、大鳥郡上石津村郷学校分校、春木郷学校、伯太郷学校、伯太郷学校忠岡分校
兵庫県: 明親館、郷学明親館、景徳館
広島県: 福山領の啓蒙所（約160校）
* 徳島県: 郷学校啓育小学校、阿波郡東郷学校

まとめ

郷学は、江戸時代から明治初期にかけて、武士と庶民の両方を対象に、教育の普及に大きな役割を果たしました。その多様な形態は、当時の社会情勢を反映しており、日本の近代教育の発展に貢献しました。郷学の研究は、現代の教育を考える上でも重要な示唆を与えてくれます。

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