親指シフト

親指シフトとは

親指シフトは、日本語のかな入力を効率化するために考案されたキー配列規格の一つです。最大の特徴は、一つのキーに二つのかな文字を割り当て、親指によるシフトキーとの同時打鍵で文字を区別することです。この独特な入力方式は、日本語の文章をより速く、快適に入力することを可能にします。

概要

親指シフトは、QWERTYローマ字入力やJISかな入力と同様に、日本語入力の手段として利用されます。JIS配列が1つのキーに1つのかな文字を割り当てるのに対し、親指シフトは1つのキーに2つのかな文字を割り当て、親指シフトキーとの同時打鍵によって使い分けます。このため、「親指シフト」という名称が付けられました。

親指シフトキーボードは、富士通や富士通コンポーネントによって供給され、他社からも販売されていました。

NICOLA

NICOLA（ニコラ）は、日本語入力コンソーシアムが親指シフト規格の一部仕様を変更した規格です。「NIHONGO-NYURYOKU CONSORTIUM LAYOUT（日本語入力コンソーシアム配列）」の頭文字から名付けられました。

操作方式

親指シフトキーボードの最大の特徴は、キーボード最下段中央に配置された左右の親指シフトキーです。

親指の活用

英文入力でスペースキーを多用するのに対し、和文入力ではあまり使用しない親指を、シフト機能として活用します。

同時打鍵

親指シフトキーは、通常のシフトキーとは異なり、打鍵の前後関係なく、一定時間内に文字キーと同時に打鍵されればシフト入力として扱われます。

親指シフトキーは、ホームポジションを崩さずに打鍵できる位置に配置されています。英字モードでは、親指シフトキーはスペースキーとして機能します。一方、かなモードでは、親指シフトキーと文字キーの組み合わせにより、キートップに印刷された複数の文字を使い分けます。

親指シフト規格では、「手の形・文字キーと親指シフトキーとの位置関係」に応じてシフトの意味合いを変えることで、片手で打てば清音、両手で打てば濁音といった規則的な入力が可能です。

キー配列

親指シフトのキー配列は、時代と共に変遷してきましたが、基本的な仕様は変わっていません。以下に、OASYS100の配列と、現在用いられているPC向けのNICOLA規格配列を紹介します。

親指シフト規格（OASYS100）

OASYS100のキー配列の特徴は以下の通りです。

出現頻度の高い読みをホームポジションに配置し、日本語自然文の読みの6割強をホームポジションのみで入力可能
拗音、促音、濁音、半[[濁音]]、長音、句読点などを含むすべての読みを、数字段を除く3段の範囲に収容
数字や記号を入力しない限り最上段を使用しないため、ホームポジションが崩れにくい
連接する頻度の高い読みは、左右の手を交互に使いながら入力する設計
漢字の音読み二音節目の「き・く・つ・ち・い・う・ん」を特に打ちやすい位置に配置し、漢字語を高速入力
最も器用な人差し指の負担を重く、不器用な小指の負担は軽く設定
頻繁に使用する後退キー（左カーソルと同挙動）をホームポジション隣に配置

NICOLA規格

NICOLA規格には、オリジナルのNICOLA配列のほか、JIS化案としてF型、A型、J型のバリエーションがあります。ここでは、JIS化案のJ型配列を元に紹介します。

NICOLA規格の特徴は以下の通りです。

濁音になり得ない文字のキーと左親指シフトキーとの同時打鍵に半[[濁音]]を割り当て、小指シフトキーなしで入力可能
後退キーをホームポジション付近から外した
右手小指で打鍵する領域にキーを追加
JISキーボードにあって親指シフトキーボードになかったキーを追加（英字入力用、日本語入力には使用しない）
親指キー単独打鍵での変換/無変換キーの動作を追加

日本語入力コンソーシアムは、親指キーの配置を「位置」ではなく「領域」で指定しています。富士通のデスクトップ用親指シフトキーボードやノートPCでは、親指左キーと親指右キーを隣接配置し、その右側に空白キーを置くのが一般的です。

派生の独自配列

ユーザーが独自に設計した親指シフト系列の様々な配列も存在します。例えば、JISキーボードで打ちやすいように右手キーを右にずらしたorz配列、清濁別置を目指した飛鳥配列、左右交互打鍵に重点を置いた小梅配列などがあります。これらの独自配列は、「やまぶきR」や「DvorakJ」といったエミュレータを用いて実装できます。

評価

参議院速記者の坂本正剛は、著書の中で親指シフトキーボードを「非常に合理的にキーが配列されていて、私もこの方式を高く評価し」と述べています。彼は、親指シフトはJIS配列と比較して、「毎分60字のスピードに到達する練習時間が約半分ですみ、同じ時間だけ練習すれば2、3割速く打つことができる」と評価し、速記者や入力業者に最適であると述べています。

入力速度

親指シフトは、他の入力方式と比較して、打鍵数が少なくて済みます。これは、親指シフト規格ではすべての読みを1打鍵（シフトキーとの同時打鍵を含む）で入力するのに対し、JISかな入力では濁点・半[[濁点]]を別々に入力するためです。また、親指シフト規格ではホームポジション付近に頻出文字を集中配置しているため、運指距離と運指時間も短縮できます。ただし、親指シフトキーの操作が必要という点は考慮が必要です。

学習の容易さ

日本能率協会の調査によると、キーボード未経験者が親指シフトを練習した場合、入力速度の向上は他の入力方式よりも速いという結果が得られています。これは、ローマ字入力に比べて、親指シフトの方が習熟が早く、より早く効率的な入力ができることを示唆しています。

歴史

開発の背景

かつてのコンピュータは、英数字や半角カナしか扱えませんでした。日本語の漢字かな交じり文を扱うためには、漢字フォントが必要でしたが、当時の技術では実現が困難でした。しかし、1970年代後半になると、日本語処理のニーズが高まり、富士通の神田泰典氏率いる開発チームが日本語情報処理システムJEFを開発しました。JEFは当初社内では期待されていませんでしたが、市場では大きな反響を呼び、富士通の市場占有率を逆転させるほどの効果をもたらしました。

JEFによってコンピュータは日本語を処理できるようになりましたが、日本語を入力する手段はまだ確立されていませんでした。そこで、神田氏らのチームは、キーボードから読みを入力しながら漢字かな交じり文に変換する「かな漢字変換方式」を採用しました。この方式を実現するため、新しいキー配列が必要となり、池上良己氏が親指シフトキーボードの開発を担当しました。

池上氏は、キーの数を削減したローマ字入力応用方式を研究しましたが、同時打鍵の困難さから断念。しかし、「親指と他の指との同時打鍵に限れば、ストレスなく入力できる」ことを発見しました。そして、Dvorak配列の設計手法を手本とし、早稲田大学で収集された出現頻度データを用いてキー配列を決定し、親指シフトキーボードが完成しました。

OASYSの発展と衰退

初期の日本語ワープロは非常に高価で、企業向けの製品でした。しかし、OASYSは親指シフト規格による高い生産性から市場の支持を受け、ビジネスワープロのトップブランドとなりました。OASYSの開発者たちは、より多くの人にワープロを使ってもらうため、パーソナルユースを視野に入れた機種を開発しました。

1980年代半ばには、低価格帯のパーソナルワープロが登場し、OASYSの開発者たちが夢見ていた家電製品として普及する時代となりました。しかし、市場は親指シフト規格に冷淡な反応を示しました。その理由は、親指シフト規格の製品が当初は他社から発売されず、富士通の独自規格という印象があったこと、複数のキー配列を覚える発想が一般的ではなかったこと、当時のワープロの主な利用目的が年賀状の作成など清書に偏っていたことなどが挙げられます。

1990年代に入ると、パソコンの普及によりワープロ専用機の市場シェアが低下し、OASYSシリーズの開発は終了しました。しかし、その技術はWindows用ワープロソフトやIMEに引き継がれました。

新JISキーボード化の失敗

富士通は親指シフト規格の普及を目指しましたが、JIS規格ではないという理由から、官公庁関連での受けが悪く、他社も採用しなかったため、普及に限界がありました。そのため、より効率的な日本語入力規格を求める声に応え、業界を巻き込んだ新JISキーボードの制定作業へとつながりました。しかし、新JIS配列は、既存のJISキーボードのかな配列を改良した規格が採用され、親指シフトは採用されませんでした。結局、新JIS配列は普及せず、JISキーボードが残ることになりました。

日本語入力コンソーシアムの誕生と、NICOLA規格の制定

新JIS化に失敗した後、富士通は親指シフト規格の権利を日本語入力コンソーシアムに譲渡しました。日本語入力コンソーシアムは、親指シフト規格の一部仕様を変更したNICOLA規格の普及を目指しましたが、ローマ字入力が主流となった現在では、親指シフト規格のユーザーが急激に増えるとは考えにくく、以前からの支持者が使用を続けるに止まっています。

富士通製品の64ビットOSへの対応の遅れ

Windowsの64ビット版OSが普及する中、富士通製品の64ビットOSへの対応が遅れました。これにより、親指シフトキーボードのユーザーは、64ビット環境での利用に苦労しました。その後、富士通は64ビット対応のドライバやソフトウェアをリリースしましたが、ユーザーは長らくエミュレータに頼らざるを得ない状況が続きました。

富士通製キーボードの販売終了

2020年、富士通は親指シフト関連のハードウェア・ソフトウェアの終売を発表し、2021年5月にキーボードの販売を終了しました。今後は、エミュレータの活用が親指シフト利用の中心となります。

導入

採用機種

親指シフトは、富士通のワープロ専用機「OASYS」やパソコンのFMRシリーズ、FM TOWNSシリーズなどに採用されていました。また、ソニーのNEWSの一部モデルや、キングジムのデジタルメモ機「ポメラ」にも採用されています。

エミュレータ

親指シフト環境を実現するには、キーボードの論理配列を規定・変更するエミュレータが必要です。エミュレータがあれば、一般のキーボードやノートパソコンでも親指シフトを利用できます。ソフトウェアエミュレータは、複数のOSで実装されており、環境構築や設定の微調整が可能です。また、スマートフォンやタブレット向けのアプリも存在します。

キーボード

専用キーボード:
富士通では親指シフト専用キーボードを販売していましたが、2021年5月に販売を終了しました。
一般キーボード:
エミュレータがあれば、専用機材でなくても親指シフトを利用できます。親指シフト表記付きキーボードや、カスタムオーダーメイド製品で親指シフト配列を選択できるものもあります。また、OADG 109型キーボードやAppleの標準JISキーボードでも、ソフトを利用して親指シフト入力が可能です。

専用機材とエミュレータとの相違

専用の親指シフトキーボードとエミュレータでは、親指シフトキーの機能や同時打鍵の判定に違いがあります。専用キーボードには、親指シフトキーのための専用キーコードがありますが、USB接続のキーボードや一般のキーボードでは、既存のキーに親指シフトキーの機能を割り当てる必要があります。また、同時打鍵の判定についても、専用キーボードでは許容されていた前置シフトが、エミュレータでは調整が必要な場合があります。

エミュレータ一覧

ソフトウェアエミュレータを内蔵した日本語IME:
Japanist（Windows）、Anthy（Linuxなど）、OyaMozc（Android）、もずにっく（iOS）など。
単体ソフトウェアエミュレータ:
親指の友Mk-IIキーボードドライバ、em1keypc、やまぶき、DvorakJ、姫踊子草2、紅皿、Q's Nicolatter 8など（Windows）、Lacaille、Karabiner-Elements、NicolaK Proなど（macOS）など、多数のソフトウェアエミュレータが存在します。
ハードウェアエミュレータ:
OyaConv、かえうち、USB2BT PLUSなど。

親指シフトユーザーの著名人

多くの作家や脚本家、文化人が親指シフトを愛用しています。小森健太朗、辻真先、二階堂黎人、姫野カオルコ、勝間和代、北川悦吏子、高橋源一郎、矢作俊彦、宮部みゆき、曽野綾子、ジェームス三木、猪瀬直樹、宮台真司など、多くの著名人が親指シフトユーザーです。

参考文献

神田泰典『コンピュータ 知的「道具」考』
蕎麦うどん『東プレキーボードで親指シフトなひと』
日本工業標準調査会『JIS X 4064 仮名漢字変換システムの基本機能』
日本工業標準調査会　『仮名漢字変換形日本文入力装置用けん盤配列 JIS C 6236-1986』
古瀬幸広『考える道具　ワープロの創造と挑戦』
渡辺定久『カナタイピストにおける指の運動特性について』

外部リンク

日本語入力コンソーシアム
Happy Hacking Keyboard | キーボードコレクション
OASYS and CAMELLIA homepage
* 『親指シフト』 - コトバンク

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