アレートス

アレートス（Ἄρητος / Arētos）

アレートスという名は、古代ギリシア神話において複数の人物に付けられた名前です。長母音を省略してアレトスと表記されることもあります。これらの人物は、それぞれ異なる神話や物語に登場します。

ベブリュケス人の王アミュコスの部下

このアレートスは、黒海沿岸のビーテューニア地方を支配していた、好戦的なベブリュケス人の王アミュコスに仕えていた臣下の一人です。アミュコス王は、彼の土地に立ち寄った英雄イアーソーン率いるアルゴナウタイの一団に対し、乗組員の中で最も腕の立つ者とのボクシング勝負を挑みました。この挑戦を受けたのは、スパルタ王テュンダレオースの子であり、名ボクサーとして名高いポリュデウケースでした。激闘の末、アミュコスはポリュデウケースに打ち破られてしまいます。王の敗北を見たベブリュケス人たちは激昂し、アルゴナウタイに襲い掛かり、乱戦となりました。この混戦の中で、アミュコスの部下であったアレートスは、エウリュトスの子イーピトスに対し、強力な棍棒を振り下ろして攻撃しました。しかし、彼はアルゴナウタイの一員であり、ラピュテース族の英雄であるクリュティオスによって討ち取られたと伝えられています。このエピソードは、アルゴナウタイの冒険譚の中で語られています。

トロイア王プリアモスの子

二人目のアレートスは、強大な都市国家トロイアを統治していた王プリアモスがもうけた多くの息子たちの一人です。ホメロスの叙事詩『イリアス』や、後代の神話集成にその名が見られます。アポロドーロスの記述によれば、彼はプリアモスの正妻ヘカベーの子ではなく、側室から生まれた庶子であったとされています。トロイア戦争の末期、ギリシア軍の最大の英雄アキレウスの親友であったパトロクロスが、トロイアの総大将ヘクトールによって討たれるという悲劇が起こりました。パトロクロスはアキレウスの武具を借りて戦場に出ていましたが、彼の死後、アキレウスの不死の馬を御していたアウトメドーンは孤立してしまいます。アルキメドーンの助けを得て、アウトメドーンがアキレウスの戦車を立て直そうとしていた時、ヘクトールはトロイア第一の英雄アイネイアースを伴い、あの名高い神馬を鹵獲しようと企てました。この企てに、プリアモスの子であるアレートスと、その兄弟であるクロミオスも加わりました。彼らはアキレウスの戦車に迫りましたが、アウトメドーンは勇敢でした。彼は狙いを定めて槍を投げつけ、その鋭利な切っ先はアレートスの構える盾を容易く貫通し、そのままアレートスの下腹部深くに突き刺さりました。アレートスは苦悶の声と共に戦場に倒れ伏し、その命を落としました。アウトメドーンは彼から武具を剥ぎ取り、戦利品としました。また別の伝承によれば、トロイアを救援するために遠路はるばる駆けつけたアイティオピアーの王メムノーンがギリシア軍と戦っていた際、多くの武勲を立てた知将オデュッセウスの手によって討たれたとも伝えられています。

ピュロスの王ネストールの子

三人目のアレートスは、ギリシア本土のピュロスを治めていた、賢明で弁舌に長けた老王ネストールの子の一人です。彼の母親については、クリュメノスの娘エウリュディケー、あるいはクラティエウスの娘アナクシビアーという二つの伝承があります。アレートスには多くの兄弟姉妹がいました。特に有名なのは、トロイア戦争で若くして戦死した勇敢な戦士アンティロコスです。その他にも、トラシュメーデース、ペイシストラトス、ストラティオス、エケプローン、ペルセウスといった兄弟たちや、ペイシディケー、ポリュカステーといった姉妹がいました。ネストールの子たちは皆、トロイア戦争におけるアカイア軍（ギリシア軍）の重要な一員として、あるいは帰国後の物語に登場します。叙事詩『オデュッセイア』の中で、父オデュッセウスの消息を捜し求めて各地を旅していた若きテーレマコスが、老ネストールを訪ねてピュロスに立ち寄った際、アレートスは父や兄弟たちと共にテーレマコスを丁重に迎え入れています。この場面は、古代ギリシア社会における客人歓待の精神（クセニアー）を示す典型的な例として描かれています。

その他のアレートス

上記の三名の他には、あまり詳細なエピソードは伝わっていませんが、「アレートス」という名を持つ人物がわずかに存在します。例えば、遠いインドの地に君臨した王デーリアデースに仕えていた部下の中に、同名の人物がいたと記録されています。また、豊穣と葡萄酒の神ディオニューソスが、その信徒たちを引き連れてインドへの遠征を行った際、その軍勢の中に加わっていた戦士の一人としてもアレートスの名が挙げられています。

これらの人物たちは、それぞれ異なる神話や伝承に登場するため、一般的には同一人物ではなく、同名の別人であると考えられています。ギリシア神話においては、アレートスのように同名の人物が複数登場することは珍しくありません。どの「アレートス」について言及しているかは、文脈によって判断する必要があります。

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