キン・ニュン

キン・ニュン

キン・ニュン（1939年10月11日 - ）は、ミャンマー軍に所属した軍人、政治家です。階級は大将にまで昇進しました。軍事政権下で国家平和発展評議会（SPDC）の第1書記、後に首相を務め、政権内で重要な役割を担いました。シンガポールの元首相リー・クアンユーからは「もっとも聡明な人物」として言及されたことがあります。祖先は中国広東省梅県区出身の客家系とされています。

生い立ちと初期

1939年10月11日、ヤンゴンのチャウタン郡区で7人きょうだいの末子として生まれました。弁護士だった父の仕事が安定せず、家計は貧しかったため、姉たちが物を売って家計を支えました。キン・ニュン自身も、イギリス兵に卵を売って缶詰と交換するような物々交換をして生活の足しにしていました。幼少期には国軍部隊の駐屯地近くに住んでいたことから戦闘に巻き込まれた経験もあります。学生時代は成績優秀で、信仰心が篤かったといわれています。

1956年にヤンキン大学（現ヤンキン教育大学）に入学し、物理学、化学、数学を専攻しました。寮生活を送り、政治活動には関わりませんでしたが、後にビルマ共産党（CPB）に入党し、党幹部にまでなる者や粛清される者も同じ寮にいました。家族への学費負担を気遣い、大学を卒業する前に士官訓練学校を受験し合格。大学を中退して軍人の道に進みました。

軍歴と情報機関トップ

士官訓練学校卒業後、シャン州南部の歩兵部隊で小隊長として任官。各地の歩兵大隊や軽歩兵師団、軍管区司令部、国防省本部を転々とし、ビルマ共産党やシャン州の少数民族武装勢力との戦闘を経験しました。かつては敵対していたCPB議長タキン・タントゥンが部下に殺害された際、その遺体を発見し埋葬したこともあります。小隊長から始まり、中隊長、大隊長、参謀長と順調に昇進しました。後のSPCD議長であるタンシュエとは、陸軍参謀本部時代に親しくなり、政治について語り合ったり、共に土地を購入したりする間柄でした。ラカイン州シットウェで大隊長を務めていた時期には、ロヒンギャのバングラデシュへの最初の大量流出を引き起こした「ドラゴン・キング作戦」に関与しました。

1983年12月30日、軍情報局（MIS）局長に就任しました（後に国防省情報局 DDSI に再編）。ネウィン議長は当初キン・ニュンを知りませんでしたが、かつて警備を担当した産業大臣の推薦があったといいます。前任者がラングーン事件発生時にゴルフをしていたことで更迭されたため、キン・ニュンは上司からゴルフ禁止令を受け、以後一度もゴルフをしなかったとされています。

キン・ニュンはすぐにネウィンの信頼を得て、外遊に同行し、欧米諸国を訪問しました。この経験は、政権幹部の考え方を知り、外国の要人との付き合い方を学ぶ上で役立ったといいます。ネウィンを「父」と呼んで深く尊敬し、スイスの隠し口座に関する噂を否定しています。

1988年民主化運動と軍事政権

1988年、小さな喧嘩をきっかけに始まった民主化運動は全国に拡大しました。DDSI局長として、キン・ニュンはこの事態の収拾に奔走しました。当初平和的だったデモは略奪や放火を伴う暴力行為にエスカレートし、国軍のスパイと疑われた市民が殺害される事件も多発しました。CPBが混乱に乗じて政権を掌握しようと工作員を潜入させている情報や、アメリカの戦艦が領海侵犯したという情報も入手しました。事態を憂慮した国軍総司令官ソウマウンとキン・ニュンはネウィンに相談し、クーデターを決行するよう促されました。9月18日、国軍はクーデターを決行し、国家秩序回復評議会（SLORC）を設置、ソウマウンが議長に就任しました。

キン・ニュンはクーデターではなく、国家の安全と安定、法の支配確立のために軍が介入したと主張しています。2003年の首相就任演説では、1988年の騒乱は政治的利益を求める者や外部勢力に扇動された者、民主主義を装った左翼主義者が不満を持つ人々を取り込み、無法行為を引き起こした結果であり、国家崩壊の危機だったと述べました。

SLORC/SPDC第1書記時代

SLORCの第1書記に就任し、1997年にSLORCが国家平和発展評議会（SPDC）に改組された後もその地位に留まりました。2002年には大将に昇格し、軍事政権内で序列第3位となりました。職務は複数の省庁間の調整が中心で、武装勢力との和平交渉、国境地帯開発、治安・諜報活動、文化・宗教関連に裁量権がありました。経済制裁下で予算に制約がある中、様々な改革を進めました。

CPBの崩壊と停戦合意

長年の敵であったCPBの下級兵士が離脱を望んでいる情報を得て、密かに会談を行いました。彼らが反乱を起こしてCPBが崩壊すると、丸腰で彼らの元へ赴き信頼関係を築き、停戦合意を締結しました。その後、他の少数民族武装勢力とも次々と停戦合意を結び、ミャンマーは独立以来最も平和な時期を迎えます。停戦地域では麻薬撲滅やインフラ整備、代替産業育成に取り組みました。

教育・医療・文化・ヤンゴン開発

教育委員会委員長として、学校や大学を多数新設・改築し、教科書を改訂しました。大学数は大幅に増加しましたが、反政府活動の拠点となったため度々閉鎖され、学生の学力低下と大学の機能低下が深刻化しました。保健委員会委員長としては、病院の新設・改築を進め、医薬品や医療従事者の不足問題に取り組みました。

文化事業にも力を入れ、国立博物館や文化大学、バガンの博物館を建設し、シュエダゴン・パゴダやバガンの遺跡、過去の王朝の王宮などの修復・再建に尽力しました。伝統芸能や伝統ボートの大会も開催しました。

ヤンゴンの景観改善にも取り組み、道路拡幅、公園整備、スラム街撤去と郊外のニュータウン・工業団地建設などを進めました。

麻薬撲滅事業

停戦した少数民族武装勢力との協力の下、麻薬撲滅に尽力しました。ケシ栽培の代替となる産業を支援し、国軍情報部と警察が共同でケシ畑焼却や麻薬密造工場摘発を行いました。ヤンゴンに麻薬撲滅記念館を建設し、啓蒙活動も行いましたが、ミャンマーは現在も主要な麻薬生産地であり、状況は改善していません。

外交

SLORC議長ソウマウンから外交を一任され、タンシュエ議長時代も実質的にキン・ニュンが外交を主導しました。欧米諸国から経済制裁を受ける中、国益を守るために尽力しました。タイのタクシン首相、シンガポールのリー・クアンユー首相、インドネシアのスハルト大統領、緒方貞子国連難民高等弁務官、ラザリ・イスマイル国連事務総長特別代表らをミャンマーの良き理解者として挙げています。欧米の要人とは会談で理解を得ても、本国で共有されず外交が停滞したと感じています。

ディーペン事件

2003年5月30日、スーチーの遊説中に暴徒が襲撃する事件が発生しました。キン・ニュンは遊説中止を求める命令に反対しましたが受け入れられず、この作戦は他の担当者が実行しました。自身は情報を知り得る立場にあったが、事件には関与していないと主張しています。

首相就任と失脚

2003年8月25日、首相に就任しました。第1書記職からは外れましたが、SPDC委員およびDDSI局長職は継続しました。8月30日の首相就任演説で、民主化達成に向けた7段階のロードマップを発表しました。これは以前タンシュエに却下されたアイデアでしたが、タンシュエの意向で実現しました。リー・クアンユーらから早期の民主化移行を勧められ、密かに温めていた構想でした。

自身は「他の国の民主主義をそのまま模倣することはできない」とし、その国の歴史的背景や地理的条件に基づいた民主主義が必要との考えを示しました。

2004年10月7日、自宅に戻るよう告げられ、家族とともに自宅軟禁下に置かれました。その後、汚職の罪で起訴され、2005年7月12日に禁錮44年の有罪判決を受けますが、情状酌量により自宅軟禁の措置が取られました。DDSIは解体され、多くの職員が逮捕や左遷されました。キン・ニュン自身は自伝でDDSIの腐敗を認め謝罪しています。

失脚の理由は、マウンエイSPCD副議長との確執が有力視されています。マウンエイによる戦略研究室（OSS）廃止や、ネウィン親族によるクーデター計画疑惑などが背景にあるとされます。情報機関のトップであったキン・ニュンとDDSIが「国家内国家」を築き巨額の富を蓄積したことが失脚の理由との指摘もありますが、キン・ニュンは自身の蓄財については自伝で一切言及せず、自宅軟禁中は読書や瞑想、庭の手入れなどをして質素な暮らしを送り、家財や庭で育てた蘭の花を売って収入を得たと述べています。

釈放後

2012年1月13日、テインセイン大統領による恩赦により自宅軟禁を解かれました。釈放後はヤンゴンに移り住み、退職金や年金がないため、自宅で画廊、土産物屋、喫茶店を経営して生計を立てながら、瞑想や慈善活動を行っています。

2015年には自伝『私の人生にふりかかった様々な出来事―ミャンマーの政治家 キン・ニュンの軌跡』を出版しました。これは軍政下では出版できませんでしたが、テインセイン政権下で言論の自由が認められてからの出版となりました。

2021年12月にはミンアウンフラインの訪問を受けましたが、アルツハイマー病を患っており、ミンアウンフラインを認識できなかったといいます。2021年クーデター後、国家行政評議会（SAC）はキン・ニュンの元部下たちに支援を求めているとの情報もあります。

人物像

ビルマ族観

自伝の中で、ビルマ族の特徴として「素直さや公明正大さに欠ける」「自分一人さえ良ければ良いという気持ちが強い」「地位を得ると他の人に譲りたくない気持ちが強い」「同僚とそりが合わないことが多い」と述べています。

国家観

「ミャンマーは決して工業国にはなり得ない」「農業や畜産業を基本とした産業を盛んにすべき」という、農畜産業中心の国家観を持っています。経済の自由化や工業化を推進したテインセインとは対照的です。

反共思想

CPBとの戦闘経験から、強い反共思想を持っています。8888民主化運動におけるCPBの活動を詳細に批判し、自伝でもCPBの思想が新たな形で国民に浸透する可能性に警告を発しています。

大国不信

他の国軍幹部と同様、イギリスの植民地時代の分割統治が民族対立の原因と考え、経済的に豊かな国がミャンマーを搾取していると見ています。「中国はミャンマーの天然資源で発展した」「タイは天然資源を盗み密輸で利益を上げている」「日本の中古車を過剰輸入し、外貨が流出している」といった見解を示しています。

外国文化フォビア

民政移管後の外国文化流入、特に韓国ドラマや映画が若者の服装や貞操観念に悪影響を与え、ミャンマーの伝統文化が廃れていることを嘆いています。

ロヒンギャ観

ロヒンギャはバングラデシュからの移民であり、バングラデシュの人口圧力によりラカイン州への移住が進んでいると考えています。ボートピープルの大半もロヒンギャを偽装したバングラデシュ国民であると主張しています。

私生活

医師のキンウィンシュエとの間に2男1女をもうけました。長男は軍人となりましたが、父とともに逮捕され、釈放後は零細事業を営んでいます。次男は医師からIT業界に転身しましたが、彼も逮捕され、釈放後は喫茶店を経営しています。長女はコンピューター大学卒業後、結婚しましたが、父の逮捕とともに夫も逮捕され、現在は造花制作をしています。妻のキンウィンシュエはミャンマー母子協会などで女性の地位向上や保健医療に尽力しました。

略歴

1959年 - ヤンキン大学卒業
1960年 - 士官訓練学校卒業、少尉任官
1983年 - 国軍情報部局長就任
1988年 - 国家法秩序回復評議会（SLORC）第1書記就任
1992年 - 国家平和発展評議会（SPDC）第1書記に名称変更
2003年 - 首相就任
2004年 - 失脚、自宅軟禁下に置かれる
2012年 - 自宅軟禁解除、釈放
* 2015年 - 自伝出版

参考文献

キンニュン『私の人生にふりかかった様々な出来事―ミャンマーの政治家 キン・ニュンの軌跡〈上・下巻〉』三恵社、2020年。

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