チンギス統原理

チンギス統原理とは

チンギス統原理とは、14世紀以降の中央ユーラシアのモンゴル・テュルク系遊牧民社会において広く見られた、王権の正統性に関する思想です。この原理は、民衆の支配者たるカアン（ハーン）の地位が、チンギス・カンとその男系子孫であるアルタン・ウルク（黄金の氏族）によってのみ継承されるべきとする血統原理を指します。

遊牧国家における血統原理

中央ユーラシアの遊牧国家では、古代の匈奴の頃から、同一の男系に属する氏族のみが君主になることができるとする血統原理が存在していました。チンギス・カンが建てたモンゴル帝国もその例外ではありませんでした。

しかし、モンゴル帝国が元朝、チャガタイ・ハン国、ジョチ・ウルス、イルハン朝など、いくつかの地域的なまとまりに解体・再編され、それぞれの地域でチンギス・カンの血を引かない有力者が実力を持つようになった14世紀後半以降も、モンゴル帝国の支配した地域では、「チンギス・カンの血を引くものでなければカアン（ハーン）になることはできない」という観念が長く残りました。

各地域におけるチンギス統原理

モンゴル高原

元朝がモンゴル高原に追いやられた後、一時的にチンギス裔の権威が低下し、15世紀中頃にはチンギスの血を引かないエセン・ハーンが即位するなど、チンギス統原理の原則が脅かされました。しかし、16世紀初頭にチンギス・カンの末裔を称するダヤン・ハーンがモンゴル高原を再統一してからは、再びダヤン・ハーンの子孫たちによってチンギス統原理によるハーン位の継承がなされました。

17世紀以降の清の時代、清朝皇帝の宗主権に服したモンゴルにおいても、ハーンの称号を名乗ることができたのは、モンゴル貴族の中でもダヤン・ハーンの男系子孫に限られていました。20世紀の独立運動では、ダヤン・ハーンの血を引く王侯たちが、チベット仏教の活仏であるジェプツンダンバ・ホトクトをボグド・ハーンとして擁立し、チベット仏教の権威がチンギス統原理を上回る大義とみなされました。

青海・ジュンガリア

モンゴル高原の西部から青海・ジュンガリアにかけての地域では、14世紀にチンギス・カンの血を引かない首長を擁するオイラト部族連合が形成されました。しかし、オイラトにおいてもチンギス統原理は生き続け、彼らは長らくハーンを称することはありませんでした。唯一の例外であるエセン・ハーンも、即位後間もなく内紛で殺害されています。

17世紀には、チンギス・カンの弟ジョチ・カサルの後裔を称するホシュート部族からオイラトで初めてハーンの称号が名乗られるようになりましたが、そのハーン位はダライ・ラマによって授与されるものでした。

トルキスタン

中央アジアのトルキスタンでは、チャガタイ・ハン国の東西分裂後、チンギス・カンの血を引かない有力者が台頭し、チンギス統の存続が危機に瀕しました。東チャガタイ・ハン国では、チンギス家の落胤とされるトゥグルク・ティムールがハーンに立てられ、チンギス統原理に基づくハーン位の世襲制度が復活しました。一方、西チャガタイ・ハン国で新政権を開いたティムールは、チンギス・カンの血を引いていなかったため、生涯ハーンに即位することはありませんでした。

キプチャク草原・ロシア

キプチャク草原のジョチ・ウルスでは、14世紀中頃にバトゥ家などの有力な家系が断絶した後も、別の家系がハーン位を称し、チンギス統原理が保たれました。14世紀後半から15世紀前半には、チンギス・カンの血を引かない有力者も現れましたが、彼らはいずれもハーン位を称することはありませんでした。

ジョチ・ウルスの東部では、カザフの間でチンギス・カンの末裔たちが諸部族の領主階層として君臨し続けました。一方、早くにロシアに征服されたジョチ・ウルスの西部でもチンギス・カン一族の権威が長く生き続け、チンギス・カンの血を引くモンゴル貴族がロシア貴族に加わった場合には、皇子や公として処遇されました。クリミア・ハン国では、チンギス・カンの血を引くギレイ家の構成員のみがハーンに即位する権利を独占しました。

まとめ

チンギス統原理は、モンゴル帝国崩壊後も中央ユーラシアの遊牧民社会に深く根付き、王権の正統性を支える重要な思想として機能しました。しかし、チベット仏教の浸透やイスラム教の権威の高まりなどにより、その影響力は徐々に変化していきました。

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