リチャード・タッカー

リチャード・タッカー（Richard Tucker, 1913年8月28日 - 1975年1月8日）は、アメリカのテノール歌手です。ルーマニア系ユダヤ人の家庭に生まれ、本名はルービン・ティッカー (Rubin Ticker) といいます。幼少期はシナゴーグでボーイ・アルトとして歌い、音楽への関心を深めました。

成人後は家業を手伝いながら、ブルックリンのシナゴーグでカントール（ cantor, cantor ）としての職を得ます。その美しい歌声は、地元メトロポリタン歌劇場（Metropolitan Opera, Met）の支配人、エドワード・ジョンソンの耳に届き、タッカーはメトと契約。1945年1月25日、ポンキエッリ『ラ・ジョコンダ (La Gioconda) 』のエンツォ役で、31歳にしてオペラ歌手としてデビューを果たしました。端役を経験せず、いきなり大劇場の主役としてデビューするのは異例でしたが、第二次世界大戦の影響でヨーロッパ出身の歌手が不足していたという背景もありました。

1947年には、アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭で再び『ラ・ジョコンダ』のエンツォ役を歌い、イタリアデビューを飾ります。この時の共演者は、同じくニューヨーク出身のギリシャ系ソプラノ歌手、マリア・カラスであり、カラスにとってもイタリア初舞台でした。

1950年代から60年代にかけて、タッカーはメトの中心的な歌手として活躍し、イタリアやフランスのオペラの主役を数多く歌いました。30年間のキャリアの中で30演目、700回以上の舞台に出演し、特にヴェルディやプッチーニの作品でその才能を発揮しました。トスカニーニ指揮、NBC交響楽団演奏によるオペラ全曲盤の録音にも参加しています。

惜しまれる点として、ヴェルディの『オテロ (Otello) 』のタイトルロールを歌うことがなかったこと、またアレヴィの『ユダヤの女 (La Juive) 』のエレアザール役をメトで歌わなかったことが挙げられます。特に後者は、ユダヤ系のタッカー自身が強い共感を抱いていた役でしたが、メトでの同役初舞台を控えた1975年1月8日、リサイタルのため訪れていたミシガン州カラマズーで急逝しました。舞台リハーサル後、ホテルの自室で休憩中に心臓発作を起こしたということです。

エピソード

同じく1940年代から50年代にかけてメトで活躍したテノール歌手、ジャン・ピアースの妹と結婚したため、ピアースとは義兄弟の関係にありました。声質が異なる（タッカーの方がよりドラマティック）二人でしたが、メトを主な活動の場としていたため、互いに意識し合い、兄弟仲は良好ではなかったといわれています。

タッカーは禿頭を隠すためにカツラを常用していました。あるシーズン、レオンカヴァッロの『道化師 (Pagliacci) 』で、演出家のフランコ・ゼッフィレッリは、年老いた座長カニオ役のリアリティを追求するため、有名なアリア「衣装をつけろ」でカニオが頭を掻きむしり、カツラが取れて禿頭が露わになるという演出を考案しました。タッカーは仕方なく、自分のカツラの上に禿頭のカツラ、さらにその上に毛髪のあるカツラという三重の対策を講じて舞台に臨みましたが、アリアの熱演中に3つのカツラが同時に取れてしまいました。事情を知らないゼッフィレッリも観客も、その素晴らしい演出に大満足だったということです。

主な出演オペラ

『ラ・ジョコンダ』エンツォ
『椿姫』アルフレード
『ボリス・ゴドゥノフ』グリゴーリー
『リゴレット』マントヴァ公爵
『蝶々夫人』ピンカートン
『ラ・ボエーム』ロドルフォ
『仮面舞踏会』リッカルド
『カヴァレリア・ルスティカーナ』トゥリッドゥ
『ランメルモールのルチア』エドガルド
『シモン・ボッカネグラ』ガブリエーレ
『マノン・レスコー』デ・グリュー
『トスカ』カヴァラドッシ
『魔笛』タミーノ
『ドン・カルロ』ドン・カルロ
『こうもり』アルフレード
『ファウスト』ファウスト
『コジ・ファン・トゥッテ』フェルランド
『カルメン』ドン・ホセ
『運命の力』ドン・アルヴァーロ
『アンドレア・シェニエ』アンドレア・シェニエ
『ホフマン物語』ホフマン
『エフゲニー・オネーギン』レンスキー
『マルタ』ライオネル
『西部の娘』ディック
『トゥーランドット』カラフ
『イル・トロヴァトーレ』マンリーコ
『アイーダ』ラダメス
『ルイザ・ミラー』ロドルフォ
『道化師』カニオ
『サムソンとデリラ』サムソン

もう一度検索