世界の記憶

世界の記憶：人類の記録を未来へつなぐユネスコ事業

「世界の記憶」(Memory of the World, MoW)は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が1992年に開始した事業です。戦争や災害、自然劣化などによって失われゆく危機にある歴史的記録物、つまり人類の貴重な文化遺産を保護し、広く世界に公開することを目的としています。2022年末時点で、地域登録を含め490件以上の資料が選定されています。

なぜ「世界の記憶」が必要なのか？

歴史的記録物は、人類の文化や歴史を理解するために不可欠な存在です。しかし、それらは脆く、容易に失われてしまう危険性があります。文化的な意図による破壊や、単なる老朽化、災害など、様々な要因が記録物の存続を脅かしています。

「世界の記憶」事業は、こうした危機的な状況を打開するため、世界的に重要な記録物を特定し、適切な保存方法を奨励することで、未来世代への継承を確かなものにすることを目指しています。デジタル化による情報アクセス促進や、世界各国への普及も重要な活動内容です。

誤解されやすい点と名称

「世界の記憶」という名称から、歴史的出来事そのものが登録対象だと誤解されることもありますが、対象となるのは、それらの出来事を裏付ける一次資料です。歴史的事実を検証、顕彰できる証拠となる記録物が選定の対象となります。ユネスコ内部でも「the documentary heritage」と称されるように、「世界の記録」や「記録遺産」の方がより正確なニュアンスを伝える名称と言えるかもしれません。しかし、国際連合の6つの公用語においては「記憶」に相当する語が用いられており、現在の名称が維持されています。

選定の手続きと基準

「世界の記憶」への選定は、厳格な手続きに基づいて行われます。

まず、政府機関や非政府機関など、あらゆる個人や団体が申請を行うことができます。ただし、2021年の制度改革により、申請は原則として各国政府に限られるようになりました。申請された資料は、ユネスコ本部で書類審査を受け、その後、専門家から成る国際諮問委員会(IAC)による審査が行われます。最終的にはユネスコ事務局長、または制度改革後には「世界の記憶執行委員会」が選定を決定します。

選定基準は、世界史に重大な影響を与えた出来事、時代、場所、人物、主題、形態、社会的価値などを有する一次資料を対象としています。資料の真正性、客観性も重要な評価要素となります。

世界各地の登録物件

「世界の記憶」には、世界各地から多様な記録物が登録されています。例えば、ヨーロッパ・北アメリカ地域ではグリム童話、バイユーのタペストリー、マグナカルタ、アンネの日記など。アジア・オセアニア地域では、朝鮮王朝実録、訓民正音解例本、山本作兵衛炭坑記録画など。他に、中国の甲骨文字、インドの『リグ・ヴェーダ』、タイのラーマ5世に関する文書などが選定されています。

日本における「世界の記憶」

日本は当初、この事業への関与が低かったものの、2011年に山本作兵衛炭坑記録画が国内初の選定物件となりました。その後、『御堂関白記』『慶長遣欧使節関係資料』『舞鶴への生還』『東寺百合文書』『朝鮮通信使に関する資料』『上野三碑』などが登録されています。2023年には『智証大師円珍関係文書典籍』も登録されました。

制度改革と今後の課題

「世界の記憶」事業をめぐっては、選定手続きの透明性や政治的利用への懸念から、制度改革が行われました。2021年の改革では、申請内容の公開、異議申し立て制度の導入、各国間の対話促進などが盛り込まれ、より公平で透明性の高い選定を目指す方向性が示されました。

「世界の記憶」事業は、単なる選定事業であるため、世界遺産のような法的拘束力はありません。この点が、今後の課題の一つと言えるでしょう。しかし、この事業を通じて、世界中の貴重な記録物が保存・公開され、人類共有の財産として未来へと受け継がれていくことは、疑いようのない事実です。

関連事業と未来への展望

ユネスコは、「世界の記憶」事業に加え、世界視聴覚遺産の保護にも取り組んでいます。韓国では、「直指賞」を創設し、記録遺産の保存とデジタル化に貢献した個人や団体を顕彰しています。

近年、新型コロナウイルス感染症やウクライナ紛争といった世界的な出来事の記録保存の重要性も認識され、「世界の記憶」事業の役割はますます重要性を増しています。未来においても、この事業が、人類の記憶を未来へつなぐ重要な役割を果たし続けることが期待されます。

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