人文地理学の歴史

人文[[地理学]]の歴史

概要

人文[[地理学]]は、人間活動と空間の関係を研究する地理学の一分野です。自然地理学が自然現象を扱うのに対し、人文[[地理学]]は人間の社会、文化、経済活動などが地理的空間にどのように影響を与えるかを考察します。この分野は、19世紀にフリードリヒ・ラッツェルによって提唱されたとされていますが、それ以前にも人文[[地理学]]的な営みは存在していました。

ラッツェルは、生物学的な視点から地理学にアプローチし、環境が人間の社会や文化に与える影響を解明しようとしました。彼の環境決定論は、後のアメリカにおける地理学に大きな影響を与えました。しかし、彼の理論は批判も受け、その後、環境可能論や、地誌学といった考え方が生まれてきました。

20世紀に入ると、計量革命が起こり、地理学に数学的な手法が導入されました。一方で、計量的なアプローチに対する批判も高まり、行動地理学や人文主義[[地理学]]のように、人間の主観的な世界を重視する分野も登場しました。さらに、ラディカル[[地理学]]やマルクス主義[[地理学]]は、社会構造や権力関係が空間に与える影響を研究しました。

近年では、カルチュラル・スタディーズの影響を受けた文化論的転回や、ポストモダニズム的なアプローチが導入されています。また、アクターネットワーク理論を基盤とした関係論的アプローチが、空間を様々な行為主体が形成するネットワークとして捉えるなど、人文[[地理学]]は多様な視点から空間と人間の関係を捉えようとしています。

人文[[地理学]]成立以前の地理学

一般に、人文[[地理学]]は19世紀のドイツの地理学者、フリードリヒ・ラッツェルによって提唱されたと考えられていますが、人文[[地理学]]的な営為はそれ以前から存在していました。

古代から近世の地理学

「地理学」という言葉は、紀元前3世紀のエラトステネスによって初めて用いられました。古代ギリシャやローマでは、地球の大きさを測ったり、地図を作ったりするなどの地理学的な営為が行われ、ストラボンによる『地理誌』や、プトレマイオスの『地理学』などが著されました。プトレマイオスは、地理学を、地球全体に関する知識を探求する学問と、特定の地域に関する知識を探求する地誌とに区別しました。

中世ヨーロッパでは、地理学は神学的な影響を強く受けましたが、アラブ世界では地理学の研究が盛んに行われました。地図作成技術が発達し、イブン・ハルドゥーンは人間と環境の相互作用について論じました。

ルネサンス期には、プトレマイオスの再評価や、羅針盤の使用による航海技術の発達によって、地理的知識が飛躍的に増加しました。ペトルス・アピアヌスはプトレマイオスの地理学と地誌の区別を継承し、『コスモグラフィア』を著しました。この書は、当時のヨーロッパにおける知識の集大成として評価されています。

近代地理学の成立

17世紀に入ると、ニコラウス・コペルニクスによる宇宙観の変革や、宗教改革などによって、人々の知的認識に大きな変化がもたらされました。ベルンハルドゥス・ウァレニウスは、地誌と中世的な地理学から脱却し、法則や理論を求める科学的な地理学を目指しました。彼の著書『一般地理学』は、アイザック・ニュートンによって英訳され、150年間にわたって地理学の主要な教科書として使われました。

イマヌエル・カントは、大学で地理学の講義を行った最初期の人物として知られています。カントは、時間と空間を区別し、歴史学が時間を記述する学問であるのに対し、地理学は空間を記述する学問であると論じました。

19世紀には、アレクサンダー・フォン・フンボルトとカール・リッターが、近代地理学の祖として知られています。フンボルトは、各地を調査旅行し、自然環境の違いによって植生や住民の生活に差異が生じることを明らかにしました。リッターは、地誌研究の成果を比較検討し、帰納的な原理を見出そうとしました。フンボルトとリッターは、フィールドワークとその理論化を重視し、近代科学としての地理学の基礎を築きました。

産業革命や都市化に伴い、地理学への実務的な需要が高まり、各国で地理学会が設立されました。これらの学会は、探検や地理的発見事業の資金調達を支援し、大学における地理学の地位を高める活動を行いました。ドイツ語圏では、多くの大学で地理学講座が設置され、ラッツェルやリヒトホーフェンなどの研究者が活躍しました。

近代の人文[[地理学]]

ラッツェルの人類地理学

フリードリヒ・ラッツェルは1882年に『人類地理学』を出版し、人文[[地理学]]を学問として確立しました。生物学者であったラッツェルは、進化論的な視点から地理学にアプローチし、環境が人間の社会や文化に与える影響を明らかにしようとしました。

ラッツェルは、民族の特性は、その地域特性と密接に結びついていると考え、国家を生物的な有機体として捉える国家有機体説を唱えました。彼は、人文[[地理学]]は、生物としての人類が地表で展開する運動の法則を探求する学問であると述べました。

ラッツェルは、環境決定論の提唱者として知られていますが、同時に、自身の理論には一定の留保をつけていました。彼は、国家を有機体として説明することは困難であり、国家の経済発展に対する自然環境の意義も歴史的に変化すると論じました。

環境決定論の受容と環境可能論の誕生

ラッツェルの環境決定論は、同時代のドイツではあまり注目されませんでしたが、アメリカでは広く受け入れられました。エレン・センプルは、ラッツェルの理論を英語圏に広め、エルズワース・ハンティントンは、気候が文明の発達に影響を与えるという考えを提唱しました。

一方で、フランスのポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュは、ラッツェルの議論を発展させ、環境可能論を提唱しました。ヴィダルは、人間が土地との関係の中で築き上げてきた生活様式や、それが地表に表れた景観を地理学の研究対象としました。彼の考えは、弟子であるリュシアン・フェーヴルによって環境可能論と名付けられました。

20世紀前半のドイツ地理学

ラッツェルとリヒトホーフェンの死後、ドイツ地理学では、アルフレート・ヘットナーとオットー・シュリューターが指導的な役割を果たしました。ヘットナーは、地理学の目標は、地域を構成する諸要素の因果的統一を解明することであり、特定の現象ではなく、地域そのものを研究対象とすべきであると論じました。また、地理学は法則を求めるのではなく、個別記述的な学問分野であると主張しました。

シュリューターは、人文[[地理学]]の研究対象は、集落、交通路、耕地などの景観像を構築するものだとしました。彼は、ヘットナーの考えを批判し、自然的事象と関係しない限り、人文的事象を研究対象としない考え方を退けました。

アメリカ地理学の変容

アメリカでは、センプルやハンティントンに代表される環境決定論的な地理学が優勢でした。しかし、シカゴ大学では、人間生態学としての地理学が提唱されました。カール・サウアーは、ドイツの景観学の方法論を受け入れ、「景観の形態学」を発表しました。サウアーは、文化を自然景観に作用する力として捉え、文化景観という概念を提唱しました。

リチャード・ハーツホーンは、ヘットナーの理論を受け継ぎ、地理学は地域分化を研究する学問であるとしました。彼は、景観論的な考え方を批判し、地理学は地域を記述する学問であると主張しました。

近代日本における人文[[地理学]]の展開

日本においては、1907年に京都帝国大学、1911年に東京帝国大学に地理学講座が開設されました。初期の日本の地理学は、ドイツ地理学の強い影響を受けており、特にラッツェルの『人類地理学』が重視されました。小川琢治は、「居住地理学」を提唱し、石橋五郎は、ラッツェルの影響を受けながら集落の研究を行いました。

辻村太郎は、パッサルゲやサウアーの思想に影響を受け、日本の地理学に景観学を導入しました。彼は、自然科学的な類型論に基づき景観を分類しようとしましたが、歴史的背景を無視する彼の考え方は、批判も受けました。

現代の人文[[地理学]]

現代の人文[[地理学]]は、英語圏が中心となって発展し、世界各国に影響を与えていきました。

シェーファーの例外主義批判と計量革命

1950年代までのアメリカ地理学は、地誌記述を中心とする研究が主流でしたが、フレッド・シェーファーは、地理学の現況を批判し、一般法則を追求する必要性を主張しました。

これを受けて、地域科学が誕生しました。この分野は、経済学者のウォルター・アイザードによって創始され、空間理論の体系化が進められました。また、エドワード・アルマンとウィリアム・ギャリソンは、ワシントン大学で計量地理学を発展させました。計量革命は、アメリカ国外にも広まり、スウェーデンではトルステン・ヘーゲルストランドが空間的拡散の研究を、イギリスではピーター・ハゲットとリチャード・チョーリーが計量地理学を推進しました。

人間主体的な理論の発展

1960年代以降、計量主義的なアプローチに対する批判が現れるようになりました。計量地理学が人間を集計量として扱うことに対し、疑問を呈する動きが広がりました。これに代わるものとして、行動地理学や人文主義[[地理学]]が登場しました。

行動地理学は、人間の行動や認知に焦点を当て、客観的な環境ではなく、人間が主観的に意味を付与した行動的環境を研究対象としました。ギルバート・ホワイトは、災害常習地における住民の環境知覚を研究し、レジナルド・ゴリッジは、メンタルマップの概念を地理学に応用しました。

人文主義[[地理学]]は、哲学的な思想を背景に、人間中心的な地理学を構築しようとするもので、社会現象には一般法則が存在するという考え方を否定しました。イーフー・トゥアンやエドワード・レルフは、人間主義地理学の先駆者として知られています。

ラディカル[[地理学]]

1960年代から1970年代には、社会運動や学生運動が盛んになり、既存の学問に対する疑義が論じられました。こうした背景のもと、ラディカル[[地理学]]が生まれました。ラディカル[[地理学]]は、当初は一定の理論的基盤を持っていませんでしたが、1970年代には、カール・マルクスの理論を基盤としたマルクス主義[[地理学]]が台頭しました。

デヴィッド・ハーヴェイは、都市化の過程における資本主義的矛盾について研究し、ニール・スミスは、ジェントリフィケーションの過程における社会的な不平等について研究しました。また、フェミニスト[[地理学]]は、地理学研究における女性の可視化と、女性地理学者の地位確立を重視しました。

文化論的転回

1980年代後半のイギリス地理学では、カルチュラル・スタディーズの影響を受けた文化論的転回が起こりました。この転回は、文化を固定的なものではなく、社会的な記号のシステムとして捉えることを主張しました。デニス・コスグローヴとピーター・ジャクソンは、従来の文化地理学とは異なる「新しい文化地理学」を提唱し、文化現象が社会的な文脈の中でどのように形成されるのかを研究しました。

文化論的転回は、人文[[地理学]]全体における大きな潮流となり、文化現象が空間に与える影響を研究する動きが広まりました。

ポストモダニズムの受容と差異の地理学

文化論的転回は、地理学における認識的な枠組みを見直すきっかけにもなりました。ロサンゼルス学派の研究者たちは、ポストモダニズム的なアプローチを導入し、従来の地理学が持っていたモダニズム的な前提を否定しました。

フェミニスト[[地理学]]は、男性中心的な地理学の理論的枠組みを批判し、女性を排除することを正当化する理論的な基盤を問い直しました。ジェンダー、階級、人種、セクシュアリティなどの多様な差異が、空間の形成にどのように影響を与えるかという問題が、研究課題になりました。

ポストヒューマニズムと関係論的地理学

ポストヒューマニズムは、言語によって世界が構築されるという前提を問い直し、人間以外の存在も行為主体であるとしました。アクターネットワーク理論は、人間と事物や自然の相互作用を重視し、空間を様々な行為主体が形成するネットワークとして捉えました。

ピーター・ジャクソンは、物質を人間の諸関係を作り出す能動的な存在として捉え、ドリーン・マッシーは、空間は独立したものではなく、関係性の中で絶えず変化するプロセスであると主張しました。また、サラ・ワットモアは、世界は人間だけでなく、事物や自然によっても形作られると論じ、ナイジェル・スリフトは、情動的・感性的な身体的実践に焦点を当てました。

しかし、キー・マクファーレンは、関係論的な思考は、政治、コンフリクト、可能性の場としての空間を十分に捉えられていないと批判しました。

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