紀長谷雄

紀長谷雄（きの はせお）：平安の世を彩った文人官僚

紀長谷雄は、平安時代前期にその名を馳せた公卿であり、文人でもありました。典薬頭・紀国守を祖父に、弾正大忠・紀貞範を父に持ち、その生涯は学問と政治の世界で輝かしい足跡を残しました。特に、文学においては『竹取物語』の作者候補の一人として、また、自身の名を冠した『長谷雄草紙』の主人公としても知られています。

学問への志と才能の開花

若い頃から学問に強い関心を抱いていた長谷雄は、18歳にして文章を操る才能を開花させました。しかし、当時の学問の世界は、菅原氏や大江氏といった名門が中心であり、長谷雄は有力な後ろ盾を持たず、学問を指導してくれる人物にも恵まれませんでした。そのような中、文章得業生であった都良香に師事し、詩文を学ぶことになります。良香は神仙的人物として知られ、長谷雄は彼から神仙や怪奇譚の影響を受けました。

ある夜、紀伝道を学ぶ学生たちが集まり、「幽人春水に釣す」という題で詩作を競い合った際、良香はただ一人、長谷雄の詩を「綴韻の間、甚だ風骨を得る」（韻の綴り方が非常に優れている）と激賞しました。この一言がきっかけで、長谷雄は名を知られるようになりますが、同時に同門の者から妬まれ、讒言によって師との関係が疎遠になってしまうという苦難も経験しました。

官僚としての頭角

32歳という遅咲きながら、長谷雄は文章生に補せられ、字を紀寛と称しました。その後、文章得業生となり、次第に菅原道真の人柄に惹かれ、道真と同門の党を結ぶようになります。右衛門大尉・坂上茂樹と共に渤海客使を務め、対策では丁科で及第し、三階昇進を果たしました。讃岐掾や少外記を経て、従五位下に叙爵しましたが、これは道真の推挙によるものとされています。

宇多天皇の時代には、図書頭、文章博士、式部少輔といった要職を歴任し、その才能を発揮しました。寛平6年には右少弁、翌年には正五位下、さらに従四位下と急速に昇進を重ね、その間には式部少輔、大学頭、文章博士を兼任するという栄誉にも浴しました。また、道真の推薦により、最後の遣唐使では副使に任じられる予定でしたが、道真の提言によって遣唐使は中止となりました。

宇多上皇は、長谷雄の知識や政務能力、そして人柄を高く評価しており、醍醐天皇に与えた御遺戒の中で、藤原時平、菅原道真、藤原定国、平季長と並べて、長谷雄を「心をしれり、顧問にも、そなわりぬべし」、「博く、経典に渉り、共に大器なり」と評し、その才能を絶賛しています。

昌泰の変と道真への想い

醍醐天皇の時代に入ると、左右大弁という重要な役職を務めました。しかし、昌泰4年に発生した昌泰の変によって、師と仰ぐ菅原道真が失脚し、大宰府へ左遷されるという事態に直面します。この変において、長谷雄がどのような態度をとったのかは明らかではありません。しかし、道真に対して深い同情を抱き、無念の思いを抱きつつも、宇多上皇に慰留されたため、目立った行動を起こすことはなかったと推測されています。それでも、密かに道真を慰め、援助していたとも言われ、道真もその誠意に感じ、配所で作った詩集『菅家後集』を長谷雄に贈っています。

長谷雄は道真に心を寄せていましたが、醍醐天皇や藤原時平も長谷雄の才能を無視できず、延喜2年には参議に任じ、公卿に加えました。その後、約10年間左大弁を務め、その優秀な官人ぶりを示しました。その後、従三位・権中納言、そして中納言へと昇進を重ね、醍醐天皇の侍読を務める一方、『延喜格式』の編纂にも携わるなど、その才能を多方面で発揮しました。延喜12年、68歳でこの世を去りました。

人物像と説話

長谷雄は、漢詩文集『紀家集』を残し、和歌も『後撰和歌集』に4首入集しています。また、前述の通り、『竹取物語』の作者候補の一人としても知られています。

長谷雄の祖父である紀国守は医道を家業としていましたが、国守の遺言によって、紀氏の衰退を打破するために、後継者には紀伝道を学ばせることになりました。しかし、国守の子である貞範はその遺言を果たすことができず、長谷寺に参籠し、文才に優れた子を授かることを祈願しました。満願の日、御帳の中から童が現れ、「吾は汝の子とならん」と告げました。貞範はその童を長谷観音に因んで「長谷雄」と名付けたという説話が残っています。

官歴

• - 貞観18年（876年）春：文章生
• - 時期不詳：従八位下
• - 元慶5年（881年）2月15日：文章得業生、讃岐権少目
• - 時期不詳：従八位上
• - 元慶6年（882年）4月2日：掌渤海客使
• - 元慶7年（883年）12月27日：従七位下（対策丁科及第）
• - 元慶8年（884年）5月26日：讃岐掾
• - 仁和2年（886年）正月16日：少外記
• - 仁和4年（888年）11月25日：従五位下
• - 寛平2年（890年）正月28日：図書頭
• - 寛平3年（891年）3月9日：文章博士
• - 寛平4年（892年）正月26日：兼尾張介、5月23日：兼讃岐介
• - 寛平5年（893年）2月21日：式部少輔、兼官如元
• - 寛平6年（894年）正月7日：従五位上、8月16日：右少弁
• - 寛平7年（895年）8月13日：正五位下、大学頭、式部少輔・文章博士・讃岐介如元（三職兼帯例）
• - 寛平8年（896年）正月21日：聴雑袍、12月16日：従四位下
• - 寛平9年（897年）5月25日：式部大輔、文章博士如元、6月19日：兼侍従
• - 昌泰2年（899年）2月11日：右大弁、兼官如元
• - 昌泰3年（900年）5月15日：左大弁、侍従如元
• - 延喜2年（902年）正月26日：参議、左大弁如元
• - 延喜3年（903年）正月7日：従四位上、1月11日：兼讃岐権守
• - 延喜7年（907年）正月13日：兼讃岐守
• - 延喜8年（908年）正月7日：正四位下
• - 延喜10年（910年）正月13日：従三位・権中納言
• - 延喜11年（911年）正月13日：中納言
• - 延喜12年（912年）2月10日：薨去（中納言従三位）

系譜

• - 父：紀貞範
• - 母：不詳
• - 妻：文室氏の娘
• - 生母不明の子女

- 長男：紀淑望（?-919）
- 次男：紀淑人
- 三男：紀淑光（869-939）
- 四男：紀淑信
- 五男：紀淑行
- 六男：紀淑間
- 七男：紀淑方
- 八男：紀淑久
- 九男：紀淑江


紀長谷雄は、学問、文学、政治、それぞれの分野でその才能を発揮し、平安時代前期を彩った重要な人物の一人です。彼の生涯は、才能と努力、そして時代の流れの中で、複雑に絡み合った人間関係を描き出し、私たちに多くの示唆を与えてくれます。

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