オシリスとイシスの伝説

オシリスとイシスの伝説は、古代エジプト神話の中でも特に広く知られ、ファラオの王権や、死と再生という根源的なテーマに深く関わる物語群です。紀元前24世紀にはその原型が形成されていたと考えられていますが、古代エジプトで語り継がれた物語の全てが現存しているわけではありません。今日私たちがこの伝説について知る多くは、紀元1世紀にギリシャの歴史家プルタルコスが記した『イシスとオシリスについて』に基づいています。プルタルコスはエジプトの神々をギリシャ名に置き換えて記述していますが、ここではエジプト名に沿って物語を解説します。

物語の中心人物は、兄弟であるオシリスとセト、そしてオシリスの妻であるイシス、そして彼らの息子ホルスです。兄であるオシリスが王位を継承したことに対し、弟のセトは激しい嫉妬心を抱き、ついにはオシリスを殺害します。しかし、イシスとホルスは協力し、セトに復讐を果たしてオシリスの跡を継ぎ、ホルスがエジプトの正当な王位に就くという展開が描かれます。

神々の誕生と王位継承

天地を司る神、大地神ゲブと天空女神ヌトの間には、四柱の神々が生まれました。長男オシリス、長女イシス、次男セト、次女ネフティスです。それぞれの神々は配偶者を得ていました。

時が経ち、太陽神ラーは地上世界の王権をオシリスに譲ります。伝説によれば、セトは本来自分が王位を得るはずだったと考えていました。一説には、セトは通常の誕生ではなく、母親の腹を突き破って生まれたとされ、この異例な誕生にもかかわらず、兄オシリスが先に生まれたために王位を逃したという因縁があったとも語られます。また、当初は兄弟で国土を分治していたものの、セトの妻ネフティスがオシリスと不倫関係を持ったことが、両者の間に決定的な亀裂を生じさせたとも言われています。具体的な時期は定かではありませんが、セトはオシリスから王位を奪うことを決意します。

セトによる陰謀とオシリス殺害

セトは、ある日オシリスが居城を留守にしている間に、72人の共謀者と共に兄の暗殺を企てます。オシリスが帰還した際、セトは宴会を開き、特別に作らせた豪華な木棺にぴたりと収まった者には褒美としてこの棺を与えると発表しました。この棺はオシリスの体に合うよう精密に作られていましたが、何も知らないオシリスは興味を引かれ、自ら棺の中に横たわります。彼が快適に身を落ち着けた瞬間、共謀者たちが素早く蓋を閉め、隙間に溶かした鉛を流し込んで棺を密閉しました。そして、オシリスが閉じ込められたままの棺は、セトたちによってナイル川へと流されてしまいます。

イシスによる探索とオシリスの蘇生

夫を失ったイシスは深い悲しみに沈み、オシリスの行方を追って旅に出ます。流れ着いた棺は、地中海を渡り、フェニキアのビブロスに漂着しました。棺はその地に生えたヒースの木に包み込まれ、やがて伐採されてビブロス宮殿の壮麗な柱材として利用されてしまいます。イシスは卓越した魔術を駆使し、老女に変身して宮殿に潜入しました。そこで王子たちの乳母となったイシスは、世話をしていた赤子に不死の力を与えようと炎の中に入れるという秘術を行い、自身はツバメに変身してオシリスが封じられた柱の周りを悲しげに飛び回りました。ある日、王妃がこの光景を目撃して驚き、イシスは正体を明かして事の次第を説明します。王家の人々はイシスの事情を理解し、柱を彼女に与えました。イシスは柱をエジプトに持ち帰り、秘密の場所に隠しました。

しかし、その隠し場所を知ったセトは、執念深く棺を見つけ出し、オシリスの遺体を実に14の部分に切断してしまいます。そして、バラバラになった遺体をエジプト中にばら撒いてしまいました。イシスは再び夫を救うべく立ち上がり、パピルスの舟に乗って遺体の破片を懸命に探し集めます。彼女はオクシリンコスで魚に飲み込まれて失われた男根以外の全ての部分を見つけ出し、強力な魔力を用いて遺体を繋ぎ合わせ、一時的にオシリスを蘇生させました。しかし、体が不完全であったため、オシリスは現世に留まることができませんでした。彼は冥界へと向かい、そこで死者の王として永遠の支配者となりました。

この時、多くの神々がイシスの探索と蘇生の試みを助けたとされます。遺体を繋ぎ合わせる手伝いをしたのは、ミイラ作りの神アヌビスでした。ナイル川に落ちた遺体を回収するのを手伝ったのは、ワニの姿をした神セベクでした。さらに、智慧の神トトやセトの妻ネフティスも、オシリスの傷を癒すために協力したと言われています。また、オシリスの遺体がばら撒かれた場所は聖地とされ、例えばアビュドスには頭、ブシリスには背骨、アトリビスには心臓、ビガ島とエドフには足が落ちたと伝えられています。

ホルスとセトの王権争い

オシリスとイシスの息子ホルスが生まれると、セトは今度はホルスをも排除しようと企みます。イシスは魔術で息子を守ろうとしますが、セトの攻撃を防ぎきれず、幼いホルスは命を落としてしまいます。しかし、ここでも智慧の神トトが現れ、ホルスを生き返らせることに成功しました。

成長したホルスは、父の仇であり王位を簒奪した叔父セトへの復讐を誓います。ホルスとセトは、どちらがオシリスの正当な後継者であるかを巡り、神々の前で裁きを受けることになります。太陽神ラーがセトを支持したため、当初セトは有利な立場にありました。そこでイシスは策略を巡らせます。老婆に変身したイシスは、裁きが行われる孤島への渡し守アンティに賄賂を与えて島に渡り、次に若い女性の姿になってセトに近づきます。巧みな話術でセトを誘導し、「父の財産は息子が受け継ぐべきであり、それを奪う者は追放されるべきだ」とセト自身に言わせました。これによりセトは自らの正当性を否定することになり、神々の支持を失います。

苛烈な戦いと決着

裁きで不利になったセトは激怒し、イシスに協力した渡し守アンティに残酷な罰を与えました。さらにセトは巨大な豚に変身してホルスを襲撃します。神々の面前でのこの振る舞いにラーは激怒し、「豚は永遠に忌むべき動物とせよ」と宣言しました。機嫌を損ねたラーは裁判官の役割を放棄しますが、愛と美の女神ハトホルが彼を慰め、再び裁きに戻るよう説得します。

しかし、セトは裁定を受け入れず、ホルスと共にカバに変身して川に入り、先に陸に上がった方が負けという勝負を挑みました。イシスは息子を助けるため、銅の釣り針を水中に投げますが、誤ってホルスに針が掛かってしまい、苦しむ息子から針を外させました。次にセトに針が掛かりますが、セトは「私とお前は同じ母から生まれた兄弟ではないか」と訴えかけ、情にほだされたイシスは針を外してしまいます。これに怒ったホルスは母イシスを追いかけ、その首を切り落とすという暴挙に出ます。智慧の神トトはイシスの遺体をラーのもとに運び、雌牛の頭を代わりに乗せて彼女を蘇らせました。ラーはイシスを殺害したホルスに罰を与えようとしますが、その前にセトがホルスの両目を奪い、山中に埋めてしまいます。この目からは蓮の花が咲いたと伝えられています。しかし、ハトホルが雌アカシカの乳をホルスの眼窩に注ぎ込み、彼の目を元通りに回復させました。

その後もホルスとセトの激しい争いは続きました。復活したイシスは再び息子を守ろうとします。この戦いでホルスは左目を失いますが（この左目は後にエジプト全土を旅し、様々な知見を得たと言われます）、トトが月の力を用いて彼の左目を癒しました。神々の助言により、ホルスとセトは一時的に和解し、同じ住居に暮らすことになります。しかしセトが再びホルスに危害を加えようとしたことから、介入したイシスによってセトは両手を切り落とされます（後に復元）。

最後の決着をつけるため、セトは石で作った船で勝負することをホルスに提案します。セトは石の船を用意しましたが、ホルスは杉の木を漆喰で覆って船を作りました。セトの石船は水に沈みましたが、ホルスの船は水に浮きました。なおもセトはカバに変身して水中からホルスを攻撃しようとしましたが、ホルスはセトに槍を突きつけ、その睾丸と片足を奪いました。このようにして、最終的にホルスが勝利し、父オシリスの復讐を果たすことに成功しました。

ホルスの即位と王権の象徴

ホルスがセトに勝利した後、智慧の神トトとの相談の結果、オシリスは地上の王権を正式に息子ホルスに譲位することを認めました。これ以来、エジプトを統治する地上の王、すなわちファラオは、ホルスの地上における化身と見なされるようになります。これはエジプト王権の正当性を象徴する重要な信仰となりました。

後世への影響

オシリスとイシスの伝説は、古代エジプトの美術や信仰に深く影響を与えました。例えば、ウィーン美術史美術館に所蔵されている「ホルエムヘブ王とホルス神座像」は、王とホルス神を同一の石から彫り出し並べた像であり、ホルス神の名には「ホルス、父の仇を打つ者」と神聖文字で刻まれています。また、ホルスがセトとの戦いで失った左目は、古代エジプトで非常に有名な眼のシンボル「ウジャトの目」となりました。セトのような邪悪な存在を退けたことから、ウジャトの目は強力な魔除けや保護の象徴とされています。

この伝説は、ピラミッドの象徴性にも関連づけられることがあります。一説では、ピラミッド上部の四角錐（ベンベン石）はイシスあるいはセトを、下部の四角錐台はオシリスの体を象徴するとされます。イシスがバラバラになったオシリスの体（石）を集めて積み上げたのがピラミッド下部であり、その上にイシス（「ピラミッドの女主人」）が降りてくることで一体化すると考えられています。しかし、イシスたる四角錐がオシリスたる四角錐台に触れる瞬間、その接触面はセトに変異し、下部＝オシリスの体は再びバラバラに崩壊するという解釈もあり、これはオシリスの死と再生、あるいは世界の崩壊と再生のサイクルを永遠に繰り返す様を表しているとされています。このように、オシリスとイシスの伝説は、エジプトの宇宙観や王権、そして生命と死の神秘を理解する上で不可欠な物語と言えるでしょう。

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