ダニエル書補遺

『ダニエル書補遺』とは、『ダニエル書』のギリシア語訳に見られる、ヘブライ語聖書には含まれない部分を指します。これは、ユダヤ教や一部のキリスト教教派で正典とは認められていません。これらの部分は、『ダニエル書への付加』とも呼ばれ、3つの短編から構成されています。

概要

『ダニエル書』の補遺は、以下の3つの短編から成り立っています。

アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌
スザンナ
ベルと竜

これらの物語は、元々は異なる時期に成立したと考えられていますが、いずれも主人公がダニエルであるという共通点から、『ダニエル書』のギリシア語訳（七十人訳聖書）の編纂者が追加したとされています。これらの文書は、中間時代（旧約と新約の間）に成立したと推測され、当時の異教に対する姿勢を反映しています。

ギリシア語訳には、七十人訳とテオドチオン訳の2種類があり、「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」では両訳が一致していますが、残りの2つでは内容に大きな差異が見られます。ウルガータ訳の翻訳者であるヒエロニムスは、テオドチオン訳を底本として使用しました。これは、当時七十人訳があまり一般的ではなかったためです。近年では、両方の訳を併記する校訂も多く見られます。

成り立ち

キリスト教の教派によって、『ダニエル書』の扱いには違いがあります。カトリック教会、正教会、英国国教会などは、ヘブライ語聖書にない部分も含めて正典としてきましたが、プロテスタントの多くは、マルティン・ルター以来、ヘブライ語聖書にのみ含まれる部分を正典としてきました。

聖書が各国語に翻訳される際も、各教派の立場が維持されてきました。しかし、共同訳を作成するにあたり、その扱いが問題となりました。1968年に、プロテスタントの聖書協会世界連盟とローマ教皇庁キリスト教一致推進事務局が共同で、「聖書の共同翻訳のための標準原則」を公表し、以下のように定めました。

1. ヘブライ語の『ダニエル書』にある部分のみを『ダニエル書』として旧約聖書に入れる。
2. ヘブライ語の『ダニエル書』にはないが、ギリシア語の『ダニエル書』にある部分だけを『ダニエル書補遺』として旧約聖書続編に入れる。

このようにして、『ダニエル書補遺』が誕生しました。

同様の試みは、これ以前にも見られます。例えば、英国国教会では、欽定訳聖書などに含まれていたこの部分を典礼に使用していましたが、英国聖書協会が「聖書協会が印刷配布する聖書は聖書以外のものと一緒に製本してはならない」という原則に従ったため、これらの部分を含まない聖書が多く普及しました。そこで、英国国教会は聖書協会の聖書と、補遺部分をまとめた『アポクリファ』を併用するようになりました。

各短編の詳細

アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌

この文書は、『ダニエル書』3章に挿入された付加部分であり、元々は特別な題名はありませんでした。燃え盛る炉に投げ込まれたアザルヤ（アベデネゴのヘブライ語表記）が代表として祈る祈りが主な内容です。祈りの前には短い散文形式の導入部があり、その後、3人は炉の中で天使に守られ、神を賛美します。この祈りの形式は、『エズラ記』や『ネヘミヤ記』に見られるものと共通点があります。

この物語は、『ダニエル書』3章「燃え盛る炉に投げ込まれた三人」の変形と見なすことができます。後半の賛美部分は「万物の頌」と呼ばれ、聖公会祈祷書の早祷にも使用されました。

著者問題

この物語には、以下のようないくつかの疑問点が残っています。

2つの小品の著者は同一人物か？
同一人物でない場合、著者の年代は特定できるか？
同一人物でない場合、編集者はどちらか、または第三者か？

これらの問いに完全に答えることはできませんが、祈りの中に現在の災禍への言及があることから、初期のマカベア戦争の頃の記述であると推測されています。そのため、著者もパレスチナのユダヤ人である可能性が高いと考えられています。

スザンナ

あらすじ

この文書は、バビロンのユダヤ人社会を舞台としており、主人公はスザンナという美しい女性です。彼女は有力者のヨアキムの妻であり、律法の知識にも長けていました。あるとき、巡回裁判官に選ばれた長老たちが、水浴びをしていたスザンナを覗き見てしまい、情交を迫ります。スザンナが拒否すると、長老たちは姦淫の罪で彼女を訴えます。しかし、神がダニエルの「聖なる霊」を呼び起こし、ダニエルは「わたしはこの女性の血に責任はない」と叫び、スザンナの潔白を証明します。

解説

「スザンナ」と「ベルと竜」は推理小説としても捉えられ、「最古の推理小説」とも呼ばれています。また、オリゲネスの時代からギリシャ語の語呂合わせの存在が指摘されています。「ダニエル」という名前は「神は我が裁き主」という意味であり、偶然にしては出来過ぎているため、研究者の中には、この物語がもともとあったものをダニエルという名前に置き換えたのではないかと考える人もいます。この物語は、紀元前95年頃に起こったファリサイ派とサドカイ派の間の『申命記』の解釈に関する論争を背景にしていると考えられています。

長老たちが証人（告発人）となりえた理由は、『申命記』19:15に「二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない」とあるためです。しかし、最終的には『申命記』19:18-19にあるように、偽証の罪で処刑されることになります。

画題

スザンナは、美術の画題としてもよく描かれました。中世では祈る姿が、ルネサンス以降は水浴びの場面が描かれることが多いです。特に水浴びの場面は、宗教的な意味合いよりも裸婦としてのスザンナに興味を持って描かれたものです。

ベルと竜

「ベルと竜」は、さらに「ベル」と「竜」の2つの短編に分けることができます。どちらも正典の変形と見ることができます。

ベル

バビロンの人々は、ベル（ベール・マルドゥグ、メロダグ）という偶像を崇拝していました。王もまた、それを礼拝していました。しかし、ダニエルはベルを敬おうとしません。王は、ベルが大量の食料を消費している事実を認めないのかとダニエルを咎めます。しかし、ダニエルはベルが偶像であることを明らかにし、食料を消費しているのは祭司たちであることを突き止めます。その結果、祭司たちは処刑され、ベルの神殿は破壊されることになります。

竜

バビロニア人は、竜（大蛇とも）を信仰していました。ダニエルは王に認められ、ピッチ、脂肪、毛髪で作られた団子で竜を破裂させて殺します。怒った民衆はダニエルをライオンの洞穴に投げ込みますが、ダニエルはそこで7日間過ごし、ハバククに助けられます。この物語は、『ダニエル書』6章「獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル」の変形とされています。

参考文献

『新共同訳聖書』
B.シュナイダー「聖書諸文書の順序と数　特に現代の印刷聖書において」『聖書翻訳研究』25号、日本聖書協会、1991年5月。
『アポクリファ　旧約聖書外典』　聖公会出版、初版1934年2月2日、改訂版1968年4月14日。
『英国国教会が聖書とするもののうち聖書協会の聖書に含まれないものを一冊にまとめた本』の日本語訳。
『ダニエル書』　中央出版社、1990年7月30日、ISBN 978-4805656105
『聖書外典偽典2 旧約外典Ⅱ』　教文社、初版1977年11月20日、ISBN 978-4764219021
榊原康夫　『旧約聖書続編を読む』　聖恵授産所出版部、1999年4月30日、ISBN 4-88077-103-1
秦剛平　『旧約聖書続編講義　ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ文書を読み解く』　リトン、1999年11月、ISBN 4-947668-39-3

関連項目

第二正典
ダニエル
ダニエル書
ネブカドネツァル2世
スザンナと長老たち (ティントレット)

脚注

外部リンク

『スザナの物語　――経典外聖書――』：新字新仮名 - 青空文庫（村崎敏郎訳）
『ベルとドラゴン　――経典外聖書――』：新字新仮名 - 青空文庫（村崎敏郎訳）
ビジュアル宗教史 ダニエル書補遺
* ティントレット スザンナと長老たち

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