パストラル

パストラルとは

パストラル（pastoral）は、元々は羊飼いの生活や牧畜を意味する言葉です。そこから転じて、田園風景や牧歌的な生活を理想化して描いた文学、音楽、美術作品を指すようになりました。日本語では「田園」や「牧歌」と訳されることが多く、自然の美しさや素朴な暮らしへの憧憬が込められています。

パストラルの起源と歴史

パストラルの起源は、古代ギリシアの詩人テオクリトスの『牧歌（Eidyllion）』に遡るとされています。テオクリトスは、シチリアの羊飼いの生活を舞台に、恋の歌や日常の会話を詩にしました。その後、ローマの詩人ウェルギリウスが『牧歌（Eclogae）』でこの形式をラテン語に適用し、理想化された田園生活を描きました。ウェルギリウスは、アルカディアという地をパストラルの舞台として初めて描き、後のパストラル文学に大きな影響を与えました。

ルネサンス期に入ると、イタリアの詩人たちによってラテン語でパストラル詩が復活し、その後、ヨーロッパ各地に広まりました。スペインではガルシラソ・デ・ラ・ベガ、フランスではクレマン・マロやピエール・ド・ロンサールなどが活躍しました。イギリスでは、エドマンド・スペンサーの『羊飼いの暦』が金字塔として知られています。

パストラルの文学

パストラル文学は、田園の理想郷を舞台に、羊飼いたちが恋の歌を競い合うという形式をとることが多いです。登場人物は、コリュドンやフィロメーラといったギリシア風の名前で呼ばれ、美しい田園風景の中で、愛や友情、自然への賛美が歌われます。羊の世話などの現実的な雑事はほとんど描かれず、羊飼いたちは余暇の中で恋愛を楽しんだり、詩作にふけったりします。また、パストラル文学には、政治的な寓意が込められていることもあります。

パストラル・ロマンス

パストラル詩と散文の物語を組み合わせたパストラル・ロマンスというジャンルも生まれました。ヤコポ・サンナザロの『アルカディア』が代表的な作品で、ヨーロッパ各地で様々なパストラル・ロマンスが書かれました。

パストラル・ドラマ

ルネサンス期のイタリアでは、パストラル・ドラマ（牧歌劇）も発展しました。アンジェロ・ポリツィアーノの『オルフェオ』がその始まりとされ、トルクァート・タッソの『アミンタ』、ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニの『忠実な羊飼い』などが代表作です。ジョン・リリーの『エンディミオン』は、イタリア様式のパストラル劇をイギリスに持ち込んだ作品として知られています。

パストラルの音楽

パストラルは音楽の分野にも影響を与えました。トルバドゥールがパストゥレイユというジャンルの中でパストラル詩に曲をつけ、イタリアの詩人・作曲家たちがパストラルに関心を寄せました。パストラル詩への作曲は、マドリガルやカンタータ、セレナータといった形式で行われました。オペラが発達すると、劇的なパストラルが舞台に登場し、人気を博しました。

バッハやヘンデルなどの作曲家もパストラルを作曲しており、クリスマス・イヴと関係した楽曲も存在します。ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』は、パストラルな雰囲気を表現した代表的な作品として知られています。

パストラルの美術

理想化されたパストラルの風景画は、ヘレニズム期やローマの壁画にも見られます。ルネサンス期に入ると、ジョルジョーネの『田園の奏楽』などが描かれました。その後、クロード・ロラン、ニコラ・プッサン、アントワーヌ・ヴァトーといった画家たちがパストラルに関心を寄せ、多くの作品を残しました。

近代以降のパストラル

近代化が進むにつれて、自然破壊が進み、田園の現実が厳しくなる中で、パストラルは変容を遂げました。ウィリアム・ワーズワースの『マイケル』では、パストラルの不可能性が表現されています。ヘンリー・デイヴィッド・ソローやジョン・ミューアらの作品は、ポスト・パストラル作品とも呼ばれます。

日本では、国木田独歩が『武蔵野』において都市部の周縁を理想郷として描きました。パストラルは、20世紀以降も環境文学の中に受け継がれているという見方もあります。

パストラルは、自然への憧憬や理想化された田園生活を描いた芸術であり、時代を超えて人々の心を捉え続けています。

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