ヴィーナスへの奉献

ティツィアーノ作『ヴィーナスへの奉献』

『ヴィーナスへの奉献』（伊: Omaggio a Venere, 英: The Worship of Venus）は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオが、1518年から1519年頃に制作した油彩の神話画です。この作品は、古代ギリシアの著述家フィロストラトスが『エイコネス』で紹介した65の芸術作品の一つを描いたもので、フェラーラ公爵アルフォンソ1世・デステの書斎を飾るために制作されました。現在はスペインのマドリードにあるプラド美術館に所蔵されています。

制作背景

アルフォンソ1世・デステは、エステ城と居館を結ぶ連絡翼の2階にある「カメリーノ・ダラバストロ」（Camerino d'Alabastro）という縦長の部屋を書斎として使用しました。彼は、姉であるイザベラ・デステの書斎を模倣し、この部屋を絵画で飾ることを計画しました。この連作のアイデアは、室内装飾を計画したラファエロ・サンツィオによるもので、当初はフラ・バルトロメオに依頼されました。しかし、バルトロメオが亡くなったため、ティツィアーノが制作を引き継ぎました。ティツィアーノは、フラ・バルトロメオが残したスケッチや指示に基づいて『ヴィーナスへの奉献』を制作し、その後、同じく傑作である『バッカスとアリアドネ』、『アンドロス島のバッカス祭』も制作しました。

主題

本作の典拠である『エイコネス』は、著者がナポリの邸宅で見た絵画作品を解説するエクフラシス（絵画描写）作品です。特に、第6章「エロスたち」が本作の着想源となっています。その中で語られる絵画には、広大なリンゴ園があり、そこには泉が湧き出ています。ニンフたちは泉のそばにアプロディテの神殿を建て、銀の鏡や金のサンダルなどの奉納品を置いています。リンゴが収穫期を迎えると、エロスたちが集まり、リンゴを収穫して女神に捧げ、果樹園の繁栄を祈ります。ピロストラトスによれば、エロスたちはニンフの子供であり、人の愛の数だけ存在するとされています。リンゴ園の木々は整然と並び、草地にはエロスの衣服が散らばっています。エロスたちは空を飛びながらリンゴを収穫し、踊ったり、遊んだり、眠ったりしています。中には、リンゴを投げ合ったり、弓矢の練習をしたり、レスリングをするエロスたちもいます。

作品の特徴

ティツィアーノは、『エイコネス』に基づき、古代芸術の復活を試みました。彼は、フラ・バルトロメオの構想を参考にしつつも、独自の解釈を加えました。例えば、バルトロメオが中央に置いたヴィーナス像を画面右に移動させ、エロスたちの描写に焦点を当てました。この変更は、アルフォンソ・デステの書斎のトータルコーディネートを考慮した結果であると考えられます。2003年にロンドンで行われた書斎の再現では、本作が右側の壁に飾られたことが示唆されました。

絵画には、泉の湧き出る岩とアプロディテの神像が描かれています。ニンフたちは神像に鏡を奉納しようとしており、多くのエロスたちが様々な色（青、紫、金色など）の翼を広げ、リンゴを集めたり、捧げたりしています。柔らかい草の上でエロスたちが遊ぶ様子は、まさに『エイコネス』の記述を視覚化したかのようです。画面手前のエロスたちがリンゴを投げ合ったり、弓矢の練習をしたり、レスリングをしたりする様子も、この記述に基づいて描かれています。なお、ヴィーナス像は、当時ヴェネツィアにあった「ヴィーナス・セレステ」に由来し、エロスたちはヴェネツィア国立考古博物館に所蔵されているクピドの彫刻から派生したと考えられています。

後世への影響

ティツィアーノがアルフォンソ1世・デステのために制作した3作品は、後世の画家たちに大きな影響を与え、多くの模写が制作されました。パドヴァニーノは、3作品をほぼ原寸大で模写し、その模写は現在ベルガモのアッカデミア・カッラーラに所蔵されています。最も有名な模写はピーテル・パウル・ルーベンスによるもので、本作と『アンドロス島のバッカス祭』の模写はストックホルムのスウェーデン国立美術館に所蔵されています。ルーベンスはまた、本作と同じ主題の絵画を制作しました。この作品は、ジョヴァンニ・アンドレア・ポデスタによって版画にもされています。その後も、グイド・レーニ、ニコラ・プッサン、ベラスケスらによって模写されました。

作品の来歴

1598年にエステ家の直系の子孫が途絶えると、フェラーラは教皇領に併合され、アルフォンソ1世・デステの書斎の絵画はピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿によって没収され、ローマに送られました。その後、『バッカスとアリアドネ』はアルドブランディーニ家が所有し続けましたが、『ヴィーナスへの奉献』と『アンドロス島のバッカス祭』はルドヴィーコ・ルドヴィーシ枢機卿の手に渡りました。ルドヴィーコは優れた絵画のコレクターであり、ティツィアーノの他に多くの画家の作品を所蔵していました。ルドヴィーコの死後、絵画は彼の兄弟であるピオンビーノ公ニコロ・ルドヴィージが所有し、1637年にナポリ副王マニュエル・デ・アセヴェド・イ・スニガを通じてスペインのフェリペ4世に贈られました。ドメニキーノは、両作品がイタリアから失われたことを嘆いたと伝えられています。スペインでは、1666年からマドリードのアルカサルで飾られ、その後ブエン・レティーロ宮殿を経て、1821年にプラド美術館に所蔵されました。

ギャラリーと配置

現在、エステ城ではアルフォンソ・デステの書斎が再現されており、右側の壁には『アンドロス島のバッカス祭』、ジョヴァンニ・ベリーニの『神々の饗宴』、『ヴィーナスへの奉献』が並んでいます。

参考文献

イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』、Taschen（2009年）
永井繁樹・佐藤由生子「ティツィアーノとフィロストラトス : 古典図像の再生」、東海大学紀要81（2004年）

外部リンク

プラド美術館公式サイト, ティツィアーノ『ヴィーナスへの奉献』
スウェーデン国立美術館公式サイト, ルーベンス『ヴィーナスの奉献』（摸写）
DigitaltMuseum公式サイト, ルーベンス『ヴィーナスの奉献』（摸写）
アッカデミア・カッラーラ公式サイト, パドヴァニーノ『ヴィーナスの奉献』（摸写）
エステ城公式サイト, カメリーノ・ダラバストロ

関連項目

ピーテル・パウル・ルーベンス
アルフォンソ1世・デステ
バッカスとアリアドネ
* フラ・バルトロメオ

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