市村羽左衛門 (15代目)

十五代目市村羽左衛門：歌舞伎界の貴公子とその波乱に満ちた生涯

十五代目市村羽左衛門(1874-1945)は、大正から昭和初期の歌舞伎を代表する名優の一人です。端正な顔立ちと洗練された芸風で、「花の橘屋」と呼ばれ、数々の名場面を残しました。本名は市村録太郎。屋号は橘屋、定紋は根上り橘、替紋は渦巻、俳名は可江です。

謎に包まれた出生と養子縁組

羽左衛門の出生は長く謎でしたが、里見弴の著書『羽左衛門伝説』で、アメリカ人の外交官チャールズ・ルジャンドルと、松平春嶽の私生児である芸者・池田絲の間に生まれた私生児だったという説が有力となっています。ルジャンドルは南北戦争で北軍大佐を務めた人物であり、日本の台湾出兵にも関わった人物でした。池田絲の父である松平春嶽は、幕末から明治維新にかけて重要な役割を果たした人物です。

数え4歳で十四代目市村羽左衛門に養子として迎えられ、1881年、坂東竹松として初舞台を踏みました。その後、二代目坂東家橘、六代目市村家橘を経て、1903年、九代目市川團十郎の勧めで十五代目市村羽左衛門を襲名しました。

襲名披露公演と「一人口上」

襲名披露公演は、直前に九代目團十郎が急死するという悲劇に見舞われました。誰一人として口上を述べるものがいない中、羽左衛門は九代目團十郎と叔父である五代目尾上菊五郎の遺影を前に、一人だけで堂々と口上を述べました。これは前代未聞のことであり、大きな話題となりました。

歌舞伎界での活躍と「三代目」

羽左衛門は、歌舞伎座を中心に若衆役で活躍し、六代目尾上梅幸と多くの名場面を演じました。五代目中村芝翫、十一代目片岡仁左衛門とともに「三代目」と呼ばれ、大正時代の歌舞伎座を代表する役者として活躍しました。昭和に入っても、帝国劇場から移籍してきた梅幸や、六代目尾上菊五郎らと共に歌舞伎座の中心人物として活躍を続けました。

晩年と死

太平洋戦争末期、東京空襲が激しくなると、羽左衛門は長野県湯田中温泉に疎開しました。1945年5月6日、湯田中温泉の旅館で心筋梗塞のため亡くなりました。その死は、歌舞伎界に大きな衝撃を与えました。彼の死後、歌舞伎座も空襲で焼失しました。

六代目尾上菊五郎は羽左衛門を「上手い役者ではなかったが、良い役者だった」と評しました。これは、技術面だけでなく人間性も含めた評価であり、歌舞伎界における一つの時代の終わりを象徴する言葉と言えるでしょう。

美貌と芸の深み

羽左衛門は類まれな美貌で知られ、観客は常に彼の白塗りの二枚目を期待していました。そのため「永遠の前髪役者」「何をやっても羽左衛門」などと言われることもありましたが、それは決して芸がないという意味ではありませんでした。どんな役柄でも、彼独特の明るさと魅力を感じさせる演技で観客を魅了しました。里見弴は彼を「天才を超えた天品」と評しました。

当たり役と芸風

羽左衛門は数多くの当たり役を持ちました。『与話情浮名横櫛』の与三郎、『雪暮夜入谷畦道』の直次郎、『江戸育御祭左七』の左七などの世話物から、『源平布引瀧』の実盛、『本朝廿四孝』の勝頼、『義経千本桜』のいがみの権太などの時代物まで幅広く演じ、その芸風は後世に語り継がれています。特に、六代目尾上梅幸との共演は有名です。これらの当たり役は「可江集」としてまとめられました。

人物像と逸話

羽左衛門は、粋で情深く、多くの人から慕われていました。三代目市村亀蔵を養弟(義弟説もあり)とし、十六代目市村羽左衛門と十六代目市村家橘を養子に迎えました。オペラ歌手の関屋敏子は姪にあたります。鎌倉山や軽井沢に別荘を構え、華やかな社交生活を送っていました。

数々の逸話も残っています。若手俳優に「どうしたらいいか」と尋ねられた際、「何もしなくていい、どうせ客は俺しか見ないんだから」と答えたというエピソードや、照明をつけなくても彼の存在だけで舞台が明るくなるというエピソードなどは有名です。また、パリのルーブル美術館でミロのヴィーナスを見た際に「手の切れた女にゃァ用はねえ」と発言したという逸話も残されています。

1940年には日本俳優協会会長就任を辞退し、「役者を止める。鎌倉山の百姓をしてもいい、兎に角僕あ嫌だ」と発言したエピソードは、彼の強い反骨精神を示しています。

十五代目市村羽左衛門は、その美貌と類まれな芸風、そして人間性によって、歌舞伎史に燦然と輝く名優として記憶されています。

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