弦楽のためのレクイエム

『弦楽のためのレクイエム』

『弦楽のためのレクイエム』（Requiem for Strings, Requiem pour orchestre à cordes）は、武満徹が1955年から1957年にかけて作曲した弦楽合奏曲であり、彼の初期の代表作として知られています。この作品は、武満が結核を患っていた時期に、親交のあった作曲家、早坂文雄の死を悼むとともに、自身の死をも意識しながら書き進めたもので、早坂文雄に献呈されました。

初演の2年後、ストラヴィンスキーがこの作品にコメントしたことが、作品の評価を高め、国内外における武満の名声を確立する上で重要な役割を果たしました。単一の楽章で構成され、演奏時間は約9分です。

作曲の経緯

武満と結核

1950年にピアノ曲『2つのレント』で作曲家としてデビューした武満でしたが、1953年に喀血し結核と診断されます。肺に鶏卵大の穴が開くほど病状が進行していたため、慶應病院に入院治療を受けますが、完治しないまま1954年3月に退院しました。6月には同じく結核を患っていた劇団四季の女優、若山浅香と結婚しています。

療養生活を続ける中で、武満は以前から親交のあった作曲家、早坂文雄の自宅に再び出入りするようになり、『七人の侍』のオーケストレーションなどを手伝いました。早坂もまた重度の結核を患っており、喀血を繰り返しながら作曲を続けていました。武満も病状は思わしくなく、微熱と倦怠感が続き、ひどいときには箸の上げ下ろしができないほどでした。しかし、その一方でミュージックコンクレートの仕事のために徹夜でスタジオに籠もるなど、無理を重ねていました。

『弦楽のためのレクイエム』は、このような状況の中で作曲されることになります。武満の病状が快方に向かうのは、新しい薬を使った治療を受けるようになった1958年以降のことです。

劇団四季の劇伴

『弦楽のためのレクイエム』は、武満が劇団四季の公演のために書いた音楽の一部を発展させて作られています。その元となった作品については、1956年の『せむしの聖女』とする説がありますが、武満は立花隆のインタビューに対し、1955年5月に劇団四季の第4回公演で上演された『野性の女』であると答えています。

当時、武満は自身の死も意識しており、「ちゃんとした作品を一曲も書かないで終わっては、死んでも死にきれない」という悲痛な思いを抱いていました。その中で、『野性の女』の開幕の曲として書いたトランペットのモチーフを武満自身が気に入り、これを別の「ちゃんとした作品」に発展させようと考えました。その作品の形態として、管楽器を使ったオーケストレーションの難しさを痛感した経験から、弦楽合奏を選んだのです。

早坂の死

作品のタイトルについて、武満は「レクイエム」とするか「メディテーション（瞑想）」とするかを決めかねていましたが、1955年10月15日に早坂文雄が結核のため41歳の若さで亡くなったことに衝撃を受け、作品を「レクイエム」として書くことを決意しました。初演当時、武満はプログラムノートに「特定の人の死を悼んで書いたのではない」と記しましたが、後に「早坂さんへのレクイエムであると同時に、自分自身のレクイエムであるとはっきりとらえて書き出した」と語っています。

ただし、当時の武満はモーツァルトやフォーレなどのレクイエムを聴いたことがなく、「レクイエム」という言葉には西洋の宗教音楽から切り離された「死者の追悼のための鎮魂の音楽」というイメージしか持っていませんでした。後年、武満は偶然耳にしたジャズピアニスト、レニー・トリスターノの曲「レクイエム」（1955年録音）に感動したことも、作曲の動機の一つになったと述べています。

東京交響楽団の委嘱

1957年1月、武満は東京交響楽団から作曲の委嘱を受けました。当時、上田仁が常任指揮者を務めていた東京交響楽団は、定期演奏会で日本人作曲家の作品を積極的に取り上げており、武満にも白羽の矢が立ったのです。

その背景には、武満と親交のあった秋山邦晴が、東京交響楽団の機関誌『シンフォニー』の編集長を務めており、上田に武満を紹介したことがありました。一方、武満自身は、横須賀線の車中で楽譜の手直しをしていた時に、偶然上田に声をかけられ楽譜を見せたことがきっかけであると述べており、関係者の証言には食い違いがあります。

武満は、1955年から少しずつ書き進めていた『弦楽のためのレクイエム』でこの委嘱に応えることとし、委嘱を受けてから4か月後の1957年5月に完成させました。スコアの浄書と複数の筆写譜の作成は、病床にあった武満の代わりに、妻の武満浅香が行いました。

初演

1957年6月20日、日比谷公会堂で行われた東京交響楽団第87回定期演奏会で、『弦楽のためのレクイエム』は初演されました。この時の演目は以下の通りでした。

武満徹 『弦楽のためのレクイエム』
アルベール・ルーセル 『小管弦楽のためのコンセール』
フランツ・シューベルト 『交響曲第5番』
セルゲイ・ラフマニノフ 『ピアノ協奏曲第3番』

初演後の評価

初演に対する聴衆の反応は芳しくなく、批評も一部を除いて冷ややかなものでした。前衛的な要素が理解されなかったわけではなく、評論家の園部三郎は「意外に素直な作風で驚かされた」と評しています。

武満自身は、後に『弦楽のためのレクイエム』を「私が作曲家として書いた最初の作品」と位置付けていますが、初演直後には作品に満足しておらず、不満を抱いていました。

このような不満を背景に作曲されたのが、翌1958年の『ソン・カリグラフィ』です。『弦楽のためのレクイエム』とは対照的に厳格な書法で書かれています。

ストラヴィンスキーのコメント

『ペトルーシュカ』や『春の祭典』などで知られる作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーが1959年に来日した際、『弦楽のためのレクイエム』の録音を聴いて次のようにコメントしました。

「これは本物だ。」

ストラヴィンスキーは、日本の作曲家の作品を知るため、様々な作品のテープやスコアにあたっていた際、この発言をしました。この時、福島和夫によるアルト・フルートとピアノのための作品『エカーグラ』にも賛辞を送ったのですが、これが『弦楽のためのレクイエム』へのコメントと混同され、「ストラヴィンスキーが武満の『弦楽のためのレクイエム』を激賞した」と誇張されて伝わりました。しかし、このことが結果的に武満に対する世間の評価を一転させることになり、翌1960年に行われた第1回東京現代音楽祭では、再演された『弦楽のためのレクイエム』がドイツ大使賞を受賞しました。

また、ストラヴィンスキーのコメントは1971年にヨーロッパで武満が特集された際にも引用され、「ストラヴィンスキーに認められた」と作曲家として紹介されるようになりました。一方、アメリカでは、ストラヴィンスキーの来日前後から、ソア・ジョンソンが演奏会で『弦楽のためのレクイエム』を頻繁に取り上げ、1960年代には小澤征爾も積極的に取り上げるようになりました。

実演だけでなく、1960年代には、岩城宏之指揮によるNHK交響楽団、若杉弘指揮による読売日本交響楽団、小澤征爾指揮によるトロント交響楽団などによる録音も行われています。

出版

楽譜は1962年に音楽之友社から出版され、その後1970年にフランスのサラベール社が武満と出版契約を結んで音楽之友社から版権を買い取りました。

出版譜にはいくつかの間違いがあることが指摘されており、その中には浅香夫人が作成した筆写譜段階でのミスも含まれています。作曲家の川島素晴は、現行の出版譜、武満浅香の筆写スコアのコピー、東京交響楽団が初演当時に使用していたパート譜の書き込み、秋山和慶が校訂を加えた楽譜などを比較検討し、詳細な校訂報告を行っています。

楽器編成

第1ヴァイオリン 10
第2ヴァイオリン 9
ヴィオラ 8
チェロ 7
コントラバス 7

曲の特徴

概要

武満は初演時のプログラムノートで、「はじめもおわりもさだかでない、人間とこの世界とをつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然にとり出したもの」と述べているように、この作品は静寂から生まれ、静寂へと帰っていくような、独特な時間感覚を持っています。

冒頭は、弱音器をつけた第一ヴァイオリンによるピアニシモの嬰ヘ音で始まり、他の楽器が加わって重く沈んだ和音の響きを作り出します。そこにチェロのソロとヴィオラが「内的独白」のような旋律を奏でます。佐野光司は、この旋律に含まれる音の動きと、後に『遠い呼び声の彼方へ!』や『海へ』などの作品で使われる「海のモチーフ」との共通点を指摘しています。

この旋律を中心に、葬送を表すような沈痛な面持ちで曲は進行していきます。一部を除いて非常に遅いテンポで演奏され、テンポは加速したり減速したりと絶え間なく変化します。また、三連符が多用されており、遅いテンポと相まって規則正しい拍節がないような印象を与えます。武満は、この作品独特の時間感覚について、「＜拍（ビート）＞に対する概念が西欧のそれとは全く異なっています。言うなれば、One by One のリズムの上に曲は構成されています」と説明しています。小野光子はこの「One by One のリズム」について、能におけるリズムの揺らぎのようなものと解釈しています。

構成

全75小節の構成について、武満は「自由な三部形式で、速度の配置は Lent - Modéré - Lent となっています」と述べており、ピーター・バートは、A-B-Aの三部形式をもとに5つの部分に分けています。各部分の結尾部には独奏が置かれており、構造の理解を助ける目印となっています。

武満自身は「単一の主題」であると述べていますが、バートは音楽的な素材を6種類に分類しています。

a: 冒頭の旋律主題
b: 上行する三連符で始まる動機
c: フォルテで奏されるコラール風の重く暗い和音
d: 主題よりも遅いテンポで奏される短い動機の繰り返し
e: 中間部の Modéré で使われるリズミックな音型
f: 中間部の結尾でヴィオラのソロによって奏でられる動機

中間部はテンポが上がりますが、すぐに元の遅いテンポに戻ります。このことについて、武満は「中間部では、一度、時間が速く流れると、また緩やかな流れに戻っていく。そういう時間の流れです。」と説明しています。

東日本大震災の犠牲者への追悼として

武満の「パーソナルな感情を単純に表現」した『弦楽のためのレクイエム』は、2011年の東日本大震災後、多くの犠牲者に対する普遍的な追悼の音楽として、世界各地で演奏されました。

ニューヨーク・フィルハーモニックやピッツバーグ交響楽団などの主要なオーケストラが、震災直後からこの曲を演奏に取り入れ、犠牲者を悼みました。また、ドイツのハンブルクでは、日本救援を目的としたチャリティーコンサートで演奏されました。その後も、ロンドン、パリ、サンパウロ、ヘルシンキなど、世界各地でチャリティーコンサートなどの演目として取り上げられ、東日本大震災の追悼曲としての役割を担いました。

東京交響楽団は、初演から60年後の2017年にも、被災地復興支援チャリティーコンサートでこの曲を演奏しています。

関連項目

映画『スパイ・ゾルゲ』：武満が音楽を担当する予定でしたが、彼の死去に伴い池辺晋一郎が担当しました。作中では、『弦楽のためのレクイエム』が使用されています。

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