ウイルス学の歴史

ウイルス学は、主に19世紀末から始まった、ウイルスという微小な存在と、それが引き起こす様々な感染症に関する科学的な探求の歴史です。この分野が確立される以前にも、感染症の原因に対する研究は行われていました。

例えば、狂犬病に対するワクチンを開発したルイ・パスツールや、天然痘の予防法を確立したエドワード・ジェンナーのような先駆者たちは、病原体が非常に小さいことを推測していましたが、ウイルスの具体的な姿や性質を認識していたわけではありませんでした。

ウイルスの発見：黎明期の濾過実験

ウイルスの存在を科学的に証明する最初の明確な証拠は、特殊なフィルターを用いた実験からもたらされました。

1884年、フランスの微生物学者シャルル・シャンベランは、細菌すら通過できないほど微細な孔を持つフィルターを発明しました。これにより、溶液中の細菌を完全に除去することが可能になりました。

このフィルターは、タバコモザイク病の研究に用いられました。1876年、アドルフ・マイヤーは、この病気が感染性を持つことを示唆しましたが、その原因は特定できませんでした。1892年、ロシアの生物学者ドミトリー・イワノフスキーは、シャンベランのフィルターを使って感染したタバコの葉の抽出液を濾過しましたが、濾過後もその液体に感染性が残ることを発見しました。これは、病気の原因が細菌よりもはるかに小さいことを示していました。

続いて1898年、オランダの微生物学者マルティヌス・ベイエリンクは、イワノフスキーの実験を追試・発展させ、この濾過性の感染因子が生きている細胞内でのみ増殖することを観察しました。彼はこの未知の因子を「contagium vivum fluidum」（生命を持った感染性の液体）と呼び、「ウイルス」（virus、ラテン語で「毒」の意）という言葉を再導入しました。このベイエリンクによる研究が、近代ウイルス学の始まりと広く見なされています。

同じ年、フリードリヒ・レフラーとパウル・フロッシュは、口蹄疫の原因が同様のフィルターを通過する因子であることを示し、動物ウイルスの最初の発見となりました。

黄熱病に関する研究も初期のウイルス学に貢献しました。1881年、キューバの医師カルロス・フィンライは蚊が黄熱病を媒介することを示唆し、1900年にウォルター・リードらがこれを証明しました。この知見に基づき、ウィリアム・ゴーガスは蚊の駆除によって黄熱病の抑制に成功し、パナマ運河建設にも寄与しました。黄熱病ウイルス自体は、1932年にマックス・タイラーによって単離され、ワクチン開発へとつながりました。

ウイルス粒子の可視化と構成要素の解明

初期のウイルス研究者たちは、ウイルスの姿を直接見ることはできませんでした。光学顕微鏡での観察（J. Buistら）では、ウイルスが集まった凝集体（封入体）らしきものが見られたものの、個々の粒子の詳細な構造は不明でした。

状況が大きく変わったのは、1931年にドイツの技術者エルンスト・ルスカとマックス・クノールが電子顕微鏡を発明してからです。電子顕微鏡によって、ウイルス粒子、特に細菌に感染するバクテリオファージなどが初めて詳細な構造を持つことが明らかになりました。これにより、濾過実験から推定されていたウイルスのサイズが確認されるとともに、その大きさには多様性があることが分かりました。

ウイルスの化学組成も重要な研究対象となりました。1935年、ウェンデル・スタンリーは、タバコモザイクウイルスが主にタンパク質で構成されていることを発見しました。さらに1939年には、スタンリーらによってウイルスがタンパク質と核酸からなることが示され、その核酸がRNAであることが同定されました。当時、フレデリック・グリフィスによる細菌を用いた実験からDNAが遺伝子の本体であることが示唆され始めていた時期であり、ウイルスに核酸が存在するという事実は、その生物学的実体を理解する上で非常に重要な知見でした。

バクテリオファージの研究とその影響

細菌に感染し、内部で増殖するウイルスであるバクテリオファージは、ウイルス学、そして分子生物学の発展に大きな役割を果たしました。

バクテリオファージの存在は、20世紀初頭にイングランドの細菌学者フレデリック・トウォートによって観察されましたが、さらに遡ると1896年にはアーネスト・ハンキンがガンジス川の水にコレラ菌を殺菌する因子があることを報告していました。

1917年、フランス系カナダ人の微生物学者フェリックス・デレーユは、細菌の培養プレート上に細菌が死滅した領域（プラーク）が生じる現象を発見し、その原因が濾過性の「見えない敵役」にあることを突き止めました。彼はこれが新しいタイプのウイルスであると認識し、「バクテリオファージ」（細菌を食べるものの意）と名付けました。デレーユはバクテリオファージを定量する方法も開発し、腸チフスやコレラなどの細菌感染症に対する治療（ファージセラピー）への応用を提唱しましたが、ペニシリンなどの抗生物質の登場により一時的にその注目度は下がりました。しかし、抗生物質耐性菌の出現により、現代では再びファージセラピーへの関心が高まっています。

初期のバクテリオファージ研究においては、その実体を巡る議論もありましたが、1930年代以降の様々な研究や、1940年に撮影された最初の電子顕微鏡写真によって、バクテリオファージが紛れもないウイルス粒子であることが証明されました。

第二次世界大戦後、マックス・デルブリュック、サルバドール・ルリア、アルフレッド・ハーシーといった科学者たちによって「ファージグループ」が結成され、バクテリオファージを用いた研究が分子生物学の発展を牽引しました。特に1950年代に行われたハーシーとマーサ・チェイスによる実験は、DNAこそが遺伝物質であることを決定的に証明する重要な成果となりました。彼らのバクテリオファージ研究は、ウイルスの複製メカニズムや遺伝子構造の理解に大きく貢献し、遺伝子の調節や遺伝子組換え技術の基礎原理の解明にもつながりました。デルブリュック、ルリア、ハーシーは、これらの業績によりノーベル賞を受賞しています。

植物ウイルス研究の進展

ウイルス学の始まりにおいて重要であったタバコモザイク病は、その後も植物ウイルス研究の中心的なモデルとなりました。

イワノフスキーやベイエリンクの研究によって、タバコモザイク病の原因がウイルスであると認識された後、他の様々な植物病もウイルスによるものであることが判明しました。1922年、ジョン・スモールは昆虫が植物ウイルスを媒介することを発見し、この分野の理解を深めました。

タバコモザイクウイルス（TMV）は、発見された最初のウイルスであるだけでなく、最初に結晶化され、その構造が詳細に解析されたウイルスでもあります。1941年にはX線回折像が得られ（ジョン・バナールら）、1955年にはロザリンド・フランクリンが回折像に基づいてウイルスの全体構造を解明しました。さらに同年、ハインツ・フレンケル＝コンラートとロブリー・ウィリアムズは、精製したTMVのRNAとタンパク質が試験管内で自律的に集合して機能的なウイルス粒子を形成することを示しました。これは、ウイルスが宿主細胞内でどのように組み立てられるかを示唆する重要な発見でした。

現代の農業において、植物ウイルスは依然として大きな問題となっています。1939年にはフランシス・ホムズによって129種の植物ウイルスが記載されるほど知見は蓄積されていましたが、集約的な栽培環境はウイルスの蔓延を助長します。現在、国際ウイルス分類委員会は900種以上の植物ウイルスを認めています。

20世紀：培養技術の確立と主要ヒトウイルスの発見

初期のウイルスは生きた動植物個体でしか増殖させられませんでしたが、20世紀に入るとin vitro（生体外）での培養技術が進歩しました。1906年ロス・ハリソンによる組織培養法の開発を皮切りに、スタインハルトらはモルモットの角膜組織で、マイトランドらは鶏の腎臓細胞懸濁液でワクシニアウイルスの培養に成功しました。これらの技術は、後のワクチン製造、特にポリオワクチンの大量生産に不可欠となりました。

ウイルスの定量法も開発されました。ジョージ・ハーストは、特定のウイルスやウイルスに対する抗体が赤血球を凝集させる現象を利用した赤血球凝集反応アッセイを開発しました。

20世紀には、人類の健康に大きな影響を与える多くのウイルスが特定されました。

インフルエンザ: 1918-1919年のパンデミックは壊滅的な被害をもたらしましたが、当初原因は細菌（インフルエンザ菌）だと誤解されていました。真の原因であるインフルエンザウイルスが特定されたのは1930年代になってからです。アーネスト・グッドパスチャーは孵化鶏卵を用いたウイルス培養法を確立し、ハーストはインフルエンザウイルスの持つ酵素活性（ノイラミニダーゼ）を発見しました。また、フランク・バーネットらの研究により、インフルエンザウイルスが高頻度に遺伝子組換えを起こすことが明らかになりました。
ポリオ: ポリオウイルスは多くの人に軽微な症状しか引き起こさないことが、1949年にジョン・エンダースらがヒト胚細胞を用いた培養に成功したことで明らかになりました。この培養技術は、ジョナス・ソークによる不活化ワクチンの開発を可能にし、20世紀半ばに増加したポリオの発症を劇的に減少させる道を開きました。
* EBウイルス: アフリカの小児がんに多いバーキットリンパ腫の原因を調べていたデニス・バーキットから検体を受け取ったマイケル・エプスタインらは、1964年にこの腫瘍細胞からヘルペスウイルスに似た粒子を発見しました。これがエプスタイン・バール・ウイルス（EBウイルス）であり、ヒトのがんを引き起こすことが初めて示されたウイルスとしてウイルス学の歴史に刻まれました。

20世紀後半は、ウイルスの発見が爆発的に進んだ時代です。牛ウイルス性下痢ウイルス、馬動脈炎ウイルスといった家畜の重要な病原体、水痘・帯状疱疹ウイルス、麻疹ウイルス、ライノウイルスなどのヒトウイルスが次々と発見されました。1963年にはB型肝炎ウイルスがバルーク・ブランバーグによって特定されました。1970年にはハワード・テミンとデビッド・ボルティモアが独立に逆転写酵素を発見し、レトロウイルスの増殖機構を明らかにしたことは、後の抗ウイルス薬開発に極めて大きな影響を与えました。1983年にはリュック・モンタニエらのチームがヒト免疫不全ウイルス（HIV）を単離し、1989年にはC型肝炎ウイルスが発見されました。

科学者たちの長年にわたる努力により、多くのウイルスの正体が明らかになり、診断法や治療法、ワクチンが開発されてきましたが、SARSやニパウイルス、そして新型コロナウイルス感染症（COVID-19）のように、新たなウイルスやその変異株は常に人類に新たな脅威と課題を突きつけ続けています。ウイルス学の研究は、現代においても極めて重要であり、その歴史は現在進行形で紡がれています。

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