ウェセックス王国

ウェセックス王国（古英語: Ƿestseaxna rīċe、ラテン語: Regnum Occidentalium Saxonum）は、七王国時代におけるアングロサクソン人の重要な王国の一つであり、今日のイングランド南西部を支配しました。「ウェセックス」という名は古英語で「西サクソン人の王国」を意味し、同様に「サセックス」や「エセックス」もそれぞれ「南」「東」のサクソン人に由来します。デーン人の大規模な侵攻を受けた時代において、他のアングロサクソン王国が次々と征服される中で、ウェセックスは独立を保ち、イングランド統一の中心となりました。また、エグバートやアルフレッド大王といった傑出した君主を輩出し、その文化的な遺産、特に古英語の文献や歴史記録は後世に多大な影響を与えています。

起源とその不確実性

ウェセックス王国の起源については、主要な史料である『アングロサクソン年代記』の記述に不確実な点が多いことが指摘されています。年代記によれば、5世紀末から6世紀初頭にかけて、チェルディッチ（セルディック）とキュンリッチ（シンリック）という名のゲウィサエ族の首長がブリテン島に上陸し、ハンプシャーやワイト島周辺を支配下に置いたとされます。しかし、考古学的な証拠からは、初期のアングロサクソン人の定住がテムズ川上流域やコッツウォルズ周辺にも見られ、当時のウェセックスの中心地が年代記が示す地域よりも北部に位置していた可能性が示唆されています。また、8世紀の歴史家ベーダの記述では、ワイト島にはジュート人が上陸したとされており、この地域がウェセックスの支配下に入ったのは7世紀以降であったことを示しています。これらの矛盾から、年代記の初期の記述は、後世の王権の正当性を高めるために、8世紀から9世紀の王国の支配領域に合わせて過去の伝承を編纂した結果であると考えられています。初期の王たちの系譜についても、年代記の記載には食い違いや編集の痕跡が見られ、その実証性には限界があるのが現状です。

初期ゲウィサエ族の時代

年代記に基づく初期の王統は、チェルディッチに始まり、息子あるいは孫とされるキュンリッチ、そして恐らくはその息子であるチェウリンへと続きます。これらの初期の記述は後世の加筆が多いものの、チェウリンの時代（6世紀後半）にはウェセックスがグロスターシャーやサマーセットの一部を征服し、アングロサクソン勢力の再拡大期を築いたことが伺えます。ベーダの著作では、チェウリンは南イングランドにおける「インペリウム」、すなわち支配権を保持した7人の王の一人として挙げられており、『アングロサクソン年代記』でも「ブレトワルダ」（ブリテンの支配者）と称されています。チェウリンの後、王位は甥のチェオル、兄弟のチェオルウルフと短期間で移り変わり、7世紀初頭にはキュネイルスが即位します。

キリスト教化とマーシアの台頭

ウェセックスの歴史において信憑性の高い年号が登場するのは、キュネイルスの治世（7世紀前半）からです。640年頃、聖ビリヌスによってキュネイルスが洗礼を受け、ウェセックスに初の司教区が設けられました。これは王国初のキリスト教改宗例ですが、すぐに広まったわけではなく、後継のチェンワルフは一時異教徒のまま即位しました。しかし、彼が後に改宗したことで、ウェセックスはキリスト教国家としての基盤を固めます。この改宗には、北方からの圧力を強めるマーシア王国への対抗上、ノーサンブリア王国との連携を意図した側面があった可能性も指摘されています。

実際、7世紀中頃にはマーシア王国、特に強力なペンダ王の圧迫を受け、ウェセックスはテムズ川以北の領土を侵食されます。チェンワルフは一時亡命を余儀なくされ、この時期ウェセックスはマーシアの支配下に置かれました。チェンワルフ復位後もマーシアとの争いは続きましたが、ウェセックスはブリトン人を撃退して南西部への領土拡大を進め、ウィンチェスターに新たな司教区を設置しました。これによりウィンチェスターは王国の事実上の中心地となり、後にイングランド王国の首都へと発展していきます。

王位継承の変遷とイネの治世

チェンワルフの死後、王位は妻サクスブルフ、チェウリン系のエシュウィネ、チェンワルフ系のチェントウィネなど、チェルディッチに連なる様々な系統の間で短期間移譲されました。これは、王権の正当性を血統に求める必要性から生じた現象と考えられています。この混乱期を経て、キャドワラが登場し、短期間ながらサセックスやケント、ワイト島への積極的な軍事行動でウェセックスの領土を大きく拡大しました。彼は退位後、ローマへ巡礼に向かい、そこで死去しました。

キャドワラの後を継いだイネ（在位688年-726年）は、ウェセックスの歴史において重要な長期統治を行いました。彼の治世に編纂された法典は、ケント王国のものを除けば古英語で書かれた最古級の法典です。イネの時代、ウェセックスは西方ドゥムノニア（デヴォン）を併合し、領土を拡大しました。また、8世紀にはウェセックス独自の州制度が確立され、これが後のイングランド王国の地方行政の基礎となります。しかし、8世紀全体としては、北方のマーシア王国が優勢となり、ウェセックスもその影響下に置かれることが多くなりましたが、他の小王国に比べて独立性を保っていました。

ウェセックスの覇権確立

8世紀末から9世紀初頭にかけて、ウェセックス王位の継承に変化が現れます。従来のチェルディッチ系譜の複数の分枝から王が選ばれる形式から、単一の王家による継承へと移行したのです。この転換を象徴するのが、マーシア王オファによってフランク王国に追放されていたエグバート（在位802年-839年）の即位です。彼は825年のエランダンの戦いでマーシア王国軍を決定的に破り、ケント、サセックス、エセックスを支配下に入れ、イースト・アングリアの独立を支援しました。さらに829年にはマーシアをも征服し、ノーサンブリアにも影響力を及ぼしてブレトワルダ（ブリテン諸王の王）の地位を獲得しました。この覇権は短期間で終わりますが、ウェセックスは南西イングランドにおける揺るぎない地位を確立しました。

バイキングの脅威とアルフレッド大王

9世紀に入ると、ブリテン島はデーン人のヴァイキングによる猛攻に晒されます。エグバートの晩年以降、ウェセックスもたびたび襲撃を受けましたが、851年にはエグバートの子エゼルウルフがアクレアの戦いでヴァイキングの大軍を破り、一時的な安寧をもたらしました。エゼルウルフの死後、王位は息子たちの間を巡り、最終的に末子アルフレッド（後のアルフレッド大王）が871年に即位します。この頃、デーン人はノーサンブリアやイースト・アングリアを征服し、ウェセックスに最大の脅威を与えていました。

アルフレッド大王は即位後もデーン人との過酷な戦いを続け、一時は国土の大半を奪われ湿地帯に身を隠す状況に追い込まれます。しかし、彼は不屈の精神で軍を再編し、878年のエサンドゥーンの戦いでデーン人相手に決定的な勝利を収めました。この勝利により締結されたウェドモーアの和議で、デーン人はイースト・アングリアなどにデーンロウと呼ばれる領域を形成し、ウェセックスからの撤退が約束されました。

和議後、アルフレッド大王は王国の立て直しと防衛体制の強化に尽力します。彼は「ブルフ」（Burg）と呼ばれる要塞化された町を国内に網の目のように築き、常備軍を整備し、海軍を創設するなど画期的な改革を行いました。これらの改革は、その後のデーン人の再襲来に対する強力な抑止力となりました。また、アルフレッドは文化・教育事業にも力を入れ、荒廃した学問を復興するために国内外から学者を招き、ラテン語文献の古英語への翻訳を奨励しました。『アングロサクソン年代記』の編纂も彼の指揮のもとで行われ、これによりウェセックス方言が古英語の標準となり、後のアングロサクソン文化に大きな影響を与えました。この時期、アルフレッドはマーシア王国南西部も実質的な支配下に置き、デーン人の侵攻から生き残った唯一のイングランド王として、イングランド統一への道を切り開きました。

イングランド王国への変貌とウェセックスの消滅

アルフレッド大王の死後、その息子エドワード長兄王と、マーシアを統治した娘エゼルフレドは、協力してデーン人支配地域への反攻を進めました。エドワードはロンドン周辺を含むマーシアの一部をウェセックスに組み込み、次々とデーン人を制圧していきました。918年にエゼルフレドが死去すると、エドワードはマーシアの自治権を廃止し、これを直接統治下に置きました。そして927年、エドワードの後継者アゼルスタンがノーサンブリアを征服したことで、イングランド全土の統一が達成され、ウェセックス王国は名実ともにイングランド王国へと発展的に解消されました。

イングランド王国として拡大・効率化されたウェセックスですが、10世紀半ばに一時的にウェセックスとマーシアに再分割された時期もありました。しかし、すぐにエドガー王のもとで再統一されます。11世紀初頭、クヌート大王がイングランドを征服すると、彼はウェセックスを一時的に直轄地としましたが、後にイングランド人の臣下ゴドウィンにウェセックス伯領として与えました。ゴドウィンとその息子ハロルドは強大な権力を持ち、1066年にはハロルドがイングランド王（ハロルド2世）となりますが、同年のノルマン征服によって王位を追われ、ウェセックス伯領も廃止されました。これ以降、「ウェセックス」は行政単位としての名称としては姿を消しました。

今日では、トーマス・ハーディの小説に描かれた地域名として知られるほか、1999年にウェセックス伯爵位が英国王室に復活するなど、その歴史的な名はイングランドの中に今も残されています。

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