木下保

木下保：多才な音楽家が日本の音楽界に遺した足跡

木下保（きのした たもつ、1903年10月14日 - 1982年11月11日）は、日本の声楽家（テノール）、音楽教育者、指揮者、合唱指揮者、オペラ歌手、音楽評論家、作曲家・編曲家として、日本の洋楽黎明期に多大な功績を残した人物です。彼の音楽活動は多岐にわたり、その才能は日本の音楽界に深く刻まれています。

生い立ちと音楽への道

兵庫県豊岡市に生まれた木下は、幼少期から音楽に親しみ、1920年に上京。ヴァイオリンを川上淳、声楽を澤崎定之に師事し、音楽の基礎を築きました。1922年には東京音楽学校に入学し、本格的に音楽の道へ進みます。1926年に同校を卒業後も研究を続け、ペツォード、ネトケ＝レーヴェに師事し、声楽家としての腕を磨きました。

声楽家としての華々しい活躍

木下の声楽家としてのデビューは、1927年のベートーヴェン「第九」のソリストでした。その後、新交響楽団（現在のNHK交響楽団）をはじめとする主要オーケストラのソリストとして活躍し、その演奏回数は210回を超えるほどでした。1933年からはドイツに留学し、ベルリン音楽大学でヴァイセンボルンに師事。ウィーンやベルリンでの放送出演を通じて、日本歌曲の魅力を海外に伝えました。帰国後は、ドイツ歌曲を体系的に紹介するリサイタルを開催し、戦時中には山田耕筰、信時潔、平井保喜といった日本人作曲家の作品を積極的に取り上げました。1941年にはマーラーの「大地の歌」を日本初演し、1943年には信時潔の「沙羅」全曲を初演、そのレコードは文部大臣賞を受賞しました。

音楽教育者としての情熱

1931年、木下は東京音楽学校の助教授に就任し、後進の指導に当たりました。その後、教授、主任教授と昇進を重ね、多くの優れた音楽家を育成しました。戦後は広島大学、東京学芸大学で教鞭をとり、1967年に東京学芸大学を退官。その後も洗足学園大学、フェリス女学院短期大学、武庫川女子大学、大阪音楽大学で後進の指導に力を注ぎました。彼の門下からは中山悌一、渡邊高之助、畑中良輔、秋元雅一朗など、多くの著名な音楽家が輩出しています。

指揮者・合唱指揮者としての才能

木下は、声楽家としての活動と並行して、合唱指揮者としても活躍しました。東京音楽学校合唱団をはじめ、多くの合唱団を指導し、1940年には信時潔の「海道東征」を初演しました。戦後は、慶應義塾ワグネル・ソサィエティーの指揮者に復帰し、男声合唱の指導に情熱を注ぎました。また、日本女子大学合唱団や東京放送合唱団など、多くの合唱団の指揮も務め、数々の名演を生み出しました。特に日本女子大学合唱団は、全日本合唱コンクールで3年連続優勝を果たすなど、その指導力は高く評価されています。

オペラ歌手としての新たな挑戦

戦後、木下はオペラ歌手としての活動を開始し、レオンカヴァッロの「道化師」でデビュー。藤原義江とのダブルキャストで全国を公演しました。二期会、長門美保歌劇団など、様々なオペラ団体で活躍し、20以上の日本初演を含む約40本のオペラに出演しました。團伊玖磨の「夕鶴」の与ひょう役は、彼の代表的な当たり役となり、生涯で125回歌い続けました。二期会創立公演では、プッチーニの「ラ・ボエーム」の主役ロドルフォを務めました。

音楽評論家・作曲家・編曲家としての側面

木下は、音楽評論家としても活動し、「音楽の友」「レコード芸術」などの音楽雑誌に評論を寄稿しました。また、作曲家としても、讃仰歌や独唱曲、合唱曲など、多くの作品を残しました。特に信時潔の「沙羅」の編曲は有名です。彼の作品は、その音楽性と芸術性の高さから、今日でも多くの人に愛されています。

「やまとことば」への探求

木下は、日本歌曲の演奏における「やまとことば」の重要性を提唱しました。古典文学や古典芸能を研究し、日本歌曲の芸術性を高めるための発声法や歌唱法を確立しました。この「やまとことば」の探求は、彼の音楽活動の中心的なテーマの一つであり、後進の指導にも活かされました。

晩年と遺産

1982年、木下は急性心不全で亡くなりましたが、彼の音楽への情熱は、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。彼の娘である坂上昌子と増山歌子は、木下の遺志を継ぎ、木下記念日本歌曲研究会／木下記念スタジオで「やまとことば」の研究と普及に尽力しています。その功績を称え、日本音楽コンクールと奏楽堂日本歌曲コンクールには「木下賞」「木下記念賞」が設けられました。

木下保は、日本の音楽界において多岐にわたる分野で活躍し、日本の音楽文化の発展に大きく貢献した偉大な音楽家です。彼の残した音楽と教えは、これからも長く語り継がれることでしょう。

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