稷山の戦い

文禄の役の後、日本と明の間で続けられた講和交渉は成果を得られず、慶長二年（1597年）に再び戦端が開かれました。これが慶長の役です。日本軍のこの年の主要な作戦目標は、全羅道を制圧し、さらに忠清道などへも兵を進めることでした。目標達成後は、朝鮮半島南部に新しい城郭（倭城）を築き、そこに部隊を残して大半の軍を帰国させる計画でした。

日本軍は釜山周辺に布陣していましたが、海戦で朝鮮水軍を壊滅させた漆川梁海戦の勝利（7月16日）を受けて、陸上でも全羅道への進撃を開始しました。これに対し、明・朝鮮連合軍は全羅道と慶尚道の境界付近にある南原城と黄石山城で防御を固めます。

日本軍は左軍と右軍に分かれて西方へ進攻。左軍は8月15日に南原城を攻略（南原城の戦い）、右軍は翌16日に黄石山城を陥落させました（黄石山城の戦い）。両軍は全羅道の要衝である全州を目指して連携して進みました。全州を守る明将、陳愚衷は日本軍の接近を恐れて逃走したため、日本軍は8月19日に無抵抗で全州を占領しました。全州に集結した諸将は軍議を開き、全羅道および忠清道の平定に向けて各地へ部隊を分遣することに決定しました。

忠清道方面への進攻を担当したのは、日本の右軍主力である毛利秀元（兵力約2万5千）、加藤清正（約1万）、黒田長政（約5千）らの諸将と、軍監の太田一吉、竹中重利でした。彼らは合計4万余りの兵を率いて、8月29日に全州を出発し、北へ向かいました。9月初旬には公州に到着します。以前、陳愚衷が全州から逃走した後、明の提督、麻貴は漢城から遊撃の牛伯英を援軍として派遣していました。牛伯英は陳愚衷の部隊と合流し、公州に駐屯していましたが、日本軍が大挙して北上しているとの情報を得ると、慌てて漢城へと引き上げました。このため、日本軍は公州でも明軍の抵抗を受けることなく占領することができました。

日本軍は公州で進路を分け、加藤・太田隊は東寄りに進んで燕岐を経て9月6日に清州に到着。一方、毛利秀元は黒田長政隊を先鋒とし、全義を経由して同日、天安に到着しました。

漢城では、明の経理、楊鎬が、9月1日に平壌から到着したばかりの提督、麻貴を促し、日本軍の前進を阻止するために出陣させようとしました。麻貴はこれを受けて水原へ進出。副総兵の解生、遊撃の牛伯英、楊登山、頗貴の四将に精鋭騎兵2千を率いさせ、9月6日に稷山へ向かわせました。朝鮮王朝も、日本軍の動きに対し、李元翼に兵を率いさせて竹山方面へ南下させ、清州方面へ進む明軍の左翼を守らせるという措置をとっていました。

慶長二年（1597年）9月7日未明、黒田長政隊の先鋒を務める黒田直之、栗山利安らは、若干の兵を率いて先行しました。直之らは稷山から約1里（約4キロメートル）の地点まで進んだところで、日の出と共に、敵兵が山野いっぱいに展開し、間近に迫っている状況を目にします。日本の先鋒諸将は軍議を開き、進退について議論を交わしました。毛屋武久は、「敵は多数で我らは少数です。もし一歩でも退けば、敵は必ず追撃し、我らの兵は全滅するでしょう。どうせ死ぬなら、むしろ前進して死ぬ方がましです。さらに、我らの兵が一丸となって突撃すれば、敵の一部を突破できるかもしれません。その機に乗じて退却すれば、あるいは部隊を全うできる可能性があります。これは、武田勝頼が長篠の敗戦後に行った、攻勢に出て敵の追撃を遅らせた戦術と同じです」と発言しました。この意見に諸将も同意し、歩兵に一斉に銃撃させ、士卒は硝煙の中から喊声を発して突撃しました。明軍はこれに大いに驚き、短い時間で防戦が破られ、退却しました。直之らはこの機を見て、兵を収容して後退しました。

ちょうどその頃、黒田長政は遠方に銃声を聞きつけ、麾下の3000の兵を率いて救援に駆けつけていました。先鋒の部隊は明軍に追撃されており、その状況は非常に危険でした。黒田一成は、「先鋒がもし敗れてしまえば、我が本隊も支えきれないかもしれません。ここが我らの死ぬべき場所です」と述べ、自らの部隊で敵の側面を攻撃しました。また、後藤基次は高地を占領し、部隊を巧妙に配置して敵に日本軍の兵力を見誤らせるとともに、先鋒隊に声援を送りました。黒田一成はついに先鋒の兵を収容して帰還させました。

長政は戦場に到着すると、すぐに東方の高地に登って自ら敵の状況を偵察しました。その後、部隊の配置を再編します。右備えの一番隊は母里友信、栗山利安、黒田利高、二番隊は井上九郎兵衛、野村市右衛門が担当。左備えの一番隊は後藤基次、黒田一成、二番隊は黒田直之、桐山孫兵衛が務めました。長政自身は残りの2000の兵を率いて本隊となりました。この時、明将の解生らが水原から到着しました。彼らは遊撃の擺寨、千総の李盆喬、把総の劉遇節らが率いる2000人の援軍を得て、再び士気を回復し、攻め寄せてきました。両軍は末院の野で激しく戦い、数回の攻防を経て、勝敗は容易に決しませんでした。

天安にいた毛利秀元は、稷山での激戦を聞き、直ちにその部隊を率いて救援に向かいました。先鋒の将である宍戸元続、吉見広行らに先んじて進ませました。元続らは急ぎ駆けつけ、黒田隊を助けて明軍の側背面を突撃しました。これにより、明軍はついに大敗し、水原方面へ退却しました。午後3時過ぎ、日本軍は追撃を深めず、部隊をまとめて天安へ引き上げました。この日の戦闘で、日本軍の黒田隊では29人が戦死したとされます。明軍は約200余人が戦死しました。ただし、『朝鮮王朝実録』には、日本軍の戦死者は500〜600人に及び、明軍も戦死者が多かったとの記述も見られます。明軍は朝鮮王朝に対し、自軍が勝利したと報告しています。

稷山に日本軍が進出して都に迫ると、明・朝鮮連合軍は漢江を防衛線として守りを固めましたが、漢城では日本軍の接近によりパニック状態に陥り、人々は逃げ出し、ほとんど無人となるほどでした。この時の明軍は兵力が少数で弱体化しており、朝鮮軍は既に組織だった行動が取れない状態でした。漢城を維持することは困難であり、朝鮮の臣下たちは我先に都を離れて避難することを進言しました。

一方、日本の右軍は稷山での戦闘の後、9月10日までには京畿道の安城や竹山にまで進出しました。これにより、慶長の役の開始当初から定められていた戦略目標は達成されました。このため、当初の計画通り、京畿道、忠清道、全羅道に展開していた各日本軍は、それぞれ南岸へ反転し、城郭の築城を開始しました。朝鮮の朝廷では、日本軍がなぜ突然反転したのか理由が分からず、日本の罠ではないかと疑念を抱きました。

朝鮮半島南岸で急ピッチで築城を進める日本軍に対し、明・朝鮮連合軍は反攻を計画します。建設中の城郭群の中で最も東に位置する蔚山城に目標を定め、攻撃を仕掛けました。この蔚山城の戦いは12月22日に開始されましたが、加藤清正らは城を堅固に守り抜きました。毛利秀元らが救援に駆けつけ、翌年1月4日、明・朝鮮連合軍を打ち破りました。

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