蘇我入鹿

蘇我入鹿（そがのいるか）

蘇我入鹿は、飛鳥時代に権勢を誇った豪族、蘇我蝦夷の子です。大臣として大和朝廷で大きな権力を握りましたが、乙巳の変で暗殺されました。

生涯

若年期と台頭

入鹿は幼少期から学問に秀でており、僧・旻に師事しました。その才能は旻に「わが門下に入鹿に勝る者なし」と言わしめるほどでした。父・蝦夷が大臣を務めていた皇極天皇元年（642年）、皇極天皇の即位に伴い、入鹿は父に代わって国政を担うようになります。同年には、白い雀の雛が献上され、祖父の蘇我馬子を象徴する出来事とも解釈されました。

皇極2年（643年）には、父・蝦夷から紫冠を授けられ、大臣（オホマヘツキミ）の地位を得たとされます。これは蘇我氏の専横と捉えられがちですが、近年の研究では、紫冠は蘇我氏内部の継承であり、冠位十二階とは独立した存在として、問題視する必要はないとされています。

山背大兄王襲撃事件

同年11月1日（643年12月20日）、入鹿は巨勢徳多らを率いて斑鳩宮を襲撃し、山背大兄王を自害に追い込みます。この事件は、山背大兄王が皇位継承を望まれなかった背景に、彼の血統が天皇位から離れていたこと、そして斑鳩という要衝に拠点を持ち、強大な経済力を持っていたことが挙げられます。山背大兄王は、家臣に勧められて東国での再起を模索しますが、民を苦しめることを嫌い、自害の道を選びました。入鹿は高向国押に山背大兄王の逮捕を命じますが、拒否されます。

山背大兄王は斑鳩寺で一族とともに自害し、上宮王家は滅亡しました。父・蝦夷はこの知らせに激怒したとされています。

当時の皇位継承は世襲制ではなく、皇族の中から天皇にふさわしい人物が選ばれていました。それは天皇の権力が絶対ではなく、豪族を束ねる立場であったためです。

入鹿の山背大兄王襲撃は、蘇我氏の独断によるものとされますが、巨勢徳太は大化の改新後の政府で左大臣に任命されており、入鹿の行動は蘇我氏内部の権力闘争や、皇位継承問題が絡んでいた可能性があります。また、『藤氏家伝』によれば、山背大兄王襲撃には、軽王（のちの孝徳天皇）など、多数の皇族も関与しており、皇位継承をめぐる思惑が一致した結果とも考えられます。

権力掌握と専横

皇極3年（644年）11月、蝦夷と入鹿は甘樫丘に邸宅を並べ立て、それぞれを「上の宮門」「谷の宮門」と称し、入鹿の子を「王子」と呼ばせ、武装化を進めたとされます。これは蘇我氏の専横とされますが、近年の研究では、これらの呼称は『日本書紀』の脚色であり、当時の国際情勢を踏まえれば、国政を担う蘇我氏が甘樫丘や畝傍山東麓の防備を固めることは、施政者として当然の措置であるとされています。これらの政策により、入鹿は実質的な最高権力者となり、その治世は人々を畏怖させたと言われています。

入鹿は、権臣が傀儡王を立てて独裁権力を振るうという、高句麗と同じ方式の権力集中を目指していたと考えられています。

乙巳の変での最期

しかし、入鹿の権勢は長くは続きませんでした。皇極4年6月12日（645年7月10日）、中大兄皇子と中臣鎌足らによる乙巳の変によって、飛鳥板蓋宮の大極殿で暗殺されました。中大兄皇子らは、入鹿が天皇の目の前で蘇我倉山田石川麻呂の上表文を読んでいる最中に襲撃しました。入鹿は無罪を訴えるも、殺害され、遺体は雨の中で打ち捨てられました。

中大兄皇子は、入鹿を倒すだけでなく、蘇我系王統嫡流の古人大兄皇子の排除も目的としていたと考えられます。乙巳の変は、蘇我氏内部の権力闘争という側面もあり、中臣鎌足が蘇我倉氏の石川麻呂と阿倍内麻呂を誘い込んだという説もあります。

その後、父・蝦夷も自害し、蘇我本宗家は滅亡しました。蘇我氏の勢力は衰退し、歴史の表舞台から姿を消しました。

学説

『日本書紀』は入鹿の事績を、蘇我氏の越権行為として批判的に描いていますが、蘇我氏は元来開明的であり、唐や百済など当時の国際情勢に対応するために行動していたという説もあります。甘樫丘やその周辺からは武器庫の遺構や武器が出土しており、唐や百済からの侵攻に備えていた可能性も考えられます。

入鹿の暗殺は、改革の主導権争いを巡る蘇我氏と皇族や反蘇我氏勢力との確執が原因とする見方もあります。

「蘇我入鹿」という名前についても、諸説あります。武光誠は、当時の精霊崇拝の思想から、動物に因んだ名前を付ける風潮があったことから、入鹿は海の神の力を借りるためにイルカにあやかって名付けられたという説を唱えています。一方、門脇禎二らは、中大兄皇子と中臣鎌足が、入鹿の本当の名前を消し、卑しい名前を勝手に名付けたという説を提唱しています。

関連史跡

飛鳥寺境内と甘樫丘に近い場所に「入鹿の首塚」があります。
2005年には、奈良県明日香村で、蘇我入鹿の邸宅跡とみられる遺構が発掘されました。
三重県松阪市飯高町舟戸にも「入鹿の首塚」と呼ばれる五輪塔があり、入鹿の首が飛来したと伝えられています。この地の高見山に鎌を持ち込むと必ず怪我をするとされ、それは入鹿を殺害した中臣鎌足の「鎌」の字を忌むからだとされています。

人物

入鹿は、『藤氏家伝』に「宗我太郎」、『上宮聖徳法王帝説』に「林太郎」、『日本書紀』に「君大郎」と記されており、長男であったと考えられています。「林太郎」の「林」が、武内宿禰系の波多八代宿禰の末裔である林臣によるものか、地名によるものかは不明です。

入鹿は、『藤氏家伝』や『日本書紀』で「鞍作」とも記されていますが、鞍作鳥を輩出した鞍作氏との関連は不明です。

『藤氏家伝』によれば、入鹿は青少年期に僧・旻に学問を学び、その才能を高く評価されました。入鹿は、学識や人物に優れていただけでなく、旻から最新の統治技術や国際情勢を積極的に学んでいた人物であったと推測されています。

伝説

高知県吾川郡いの町波川には、蘇我入鹿の末裔を名乗る蘇我国光という人物が建久年間にこの地に下向し、波川氏を名乗ったという伝説が残っています。

蘇我入鹿が登場する作品

戯曲

近松半二ほか『妹背山婦女庭訓』（大坂竹本座初演、1771年）

舞台

宝塚歌劇団『楽劇（ミュージカル）「鎌足−夢のまほろば、大和（やまと）し美（うるわ）し−」』（演：華形ひかる）
宝塚歌劇団『飛鳥夕映え－蘇我入鹿－』（演：彩輝直＝現・彩輝なお）

小説

井上靖『額田女王』
黒岩重吾『中大兄皇子伝』
黒岩重吾『落日の王子 ― 蘇我入鹿』
町井登志夫『飛鳥燃ゆ ― 改革者・蘇我入鹿』

漫画

ムロタニツネ象『聖徳太子 仏教伝来と法隆寺』
原島サブロー『天智天皇 大化の改新』
山岸凉子『日出処の天子』『馬屋古女王』
里中満智子『天上の虹』
永久保貴一『変幻退魔夜行 カルラ舞う!』
長岡良子『暁の回廊』
増田こうすけ『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』
安曇祈『青キ縁ノ箱 〜 Blue-Arc‐of‐Destiny』
中村真理子、園村昌弘 (原案監修)『天智と天武-新説・日本書紀-』

テレビドラマ

『額田女王』（テレビ朝日、1980年、演：津川雅彦）
* 『大化改新』（NHK、2005年、演：渡部篤郎）

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