1990年の文学

1990年の文学界概観

1990年（平成2年）は、日本の文学界にとって様々な出来事があった年です。権威ある文学賞の動向が注目を集め、新たな才能がデビューする一方で、ベストセラー作品の誕生や、国内外の著名な作家、詩人、学者たちの逝去も相次ぎました。この年は、新しい時代の息吹と、文学史における一つの区切りを感じさせる出来事が織り交ざった一年と言えるでしょう。

主な出来事と動向

年の初め、1月16日には、1989年下半期を対象とする第102回芥川龍之介賞と直木三十五賞の選考委員会が開催され、その年の文学賞の行方を占う重要な幕開けとなりました。また、1月26日には、作家の筒井康隆氏による長編小説『文学部唯野教授』が岩波書店から刊行されました。この作品は読書界で大きな話題となり、出版取次大手であるトーハンが発表した「1990年年間ベストセラー」ランキングで総合第7位にランクインするなど、広く読まれました。秋には、9月11日に第9回海燕新人文学賞の選考会が行われ、後に人気作家となる松村栄子氏と角田光代氏が揃って受賞し、新たな才能の登場を印象づけました。

文学賞の授与

この年、特に注目されたのは年二回発表される芥川賞と直木賞です。

第102回（1989年下半期）
芥川賞は、大岡玲氏の『表層生活』と、瀧澤美恵子氏の『ネコババのいる町で』が受賞しました。
直木賞は、星川清司氏の『小伝抄』と、原尞氏の『私が殺した少女』に授与されました。

第103回（1990年上半期）
芥川賞は、辻原登氏の『村の名前』が受賞作となりました。
直木賞は、泡坂妻夫氏の『蔭桔梗』が受賞しました。

その他、国内の主要な文学賞も例年通り選考・発表されました。

谷崎潤一郎賞（第26回）：林京子氏の『やすらかに今はねむり給え』が受賞。
泉鏡花文学賞（第18回）：日影丈吉氏の『泥汽車』が受賞。
群像新人文学賞（第33回）：高野亘氏の『コンビニエンス ロゴス』が受賞。
野間文芸新人賞（第12回）：佐伯一麦氏の『ショート・サーキット』が受賞。
海燕新人文学賞（第9回）：松村栄子氏の『僕はかぐや姫』と角田光代氏の『幸福な遊戯』が受賞。
山本周五郎賞（第3回）：佐々木譲氏の『エトロフ発緊急電』が受賞。

これらの受賞作や受賞者は、その後の文学界においても重要な存在となっていきます。

注目の刊行物

1990年には、多くの作家から注目すべき作品が発表されました。小説分野では、前述の筒井康隆氏『文学部唯野教授』の他に、川上健一氏の『雨鱒の川』（集英社）、林京子氏の『やすらかに今はねむり給え』（講談社）、古川薫氏の『漂泊者のアリア』（文藝春秋）、宮部みゆき氏の『レベル7』（新潮社）、村上春樹氏の『TVピープル』（文藝春秋）、吉本ばなな氏の『N・P』（角川書店）などが刊行され、読者の間で話題を呼びました。

小説以外にも、指揮者の岩城宏之氏による『フィルハーモニーの風景』（岩波新書）や、筒井康隆氏による『文学部唯野教授のサブ・テキスト』（文藝春秋）、村上春樹氏の『遠い太鼓』（講談社）や松村映三氏との共著『雨天炎天』（新潮社）といったエッセイや紀行文など、多様なジャンルの書籍が出版されました。

惜しまれた逝去

1990年は、国内外の文学界にとって多くの大切な人々が惜しまれつつ世を去った年でもあります。国内では、詩人・国文学者の浅野晃氏（享年88）、児童文学作家の安藤美紀夫氏（享年60）、時代小説で人気の高かった小説家の池波正太郎氏（享年67）、小説家の打木村治氏（享年86）、随筆家・小説家として幅広い読者を持った幸田文氏（享年86）などが永眠しました。海外に目を向けると、フランスの詩人・小説家フィリップ・スーポー氏（享年92）、アルゼンチンの作家マヌエル・プイグ氏（享年57）、ロシアの小説家セルゲイ・ドヴラートフ氏（享年48）、フランスの哲学者ルイ・アルチュセール氏（享年72）、米国の小説家トマス・ウィリアムズ氏（享年63）、イギリスの小説家・詩人ロレンス・ダレル氏（享年78）、児童文学で世界的な人気を博したイギリスの小説家ロアルド・ダール氏（享年74）、イギリスの推理作家ジョイス・ポーター氏（享年66）など、文学史に名を刻む多くの巨星がこの世を去りました。これらの逝去は、それぞれの国の文学界に大きな喪失感をもたらしました。

1990年は、新たな才能が芽吹き、話題作が読者を賑わせる一方で、長年にわたり文学を支えてきた重鎮たちが次々と姿を消した年として記憶されています。それは、文学が常に変化し、世代を超えて受け継がれていく営みであることを改めて感じさせる一年でした。

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