アセチルサリチル酸

アセチルサリチル酸（acetylsalicylic acid）は、非ステロイド性抗炎症薬（NSAIDs）の代表格として知られる医薬品成分です。特に、ドイツの製薬会社バイエルが命名した商標名「アスピリン（Aspirin）」として世界的に普及しており、日本薬局方でもこの名称が正式採用されています。サリチル酸を無水酢酸でアセチル化することで合成されます。

作用機序

アセチルサリチル酸の主な作用は、体内で痛みや発熱、炎症を引き起こすプロスタグランジンという物質の生成を抑制することにあります。これは、プロスタグランジン合成に関わるシクロオキシゲナーゼ（COX）酵素を不可逆的に阻害することで実現されます。他の多くのNSAIDsがCOXと競合的に結合するのに対し、アセチルサリチル酸はアセチル基を介して酵素を修飾するという異なる機序を持ちます。このプロスタグランジン生成抑制作用により、解熱、鎮痛、消炎効果を発揮します。さらに、血小板の凝集に関わるトロンボキサンA2の生成も抑制するため、血小板の働きを抑え、血栓形成を妨げる抗血小板作用も持ちます。

アセチルサリチル酸の作用機序、特にプロスタグランジンとの関連性は、後のノーベル生理学・医学賞受賞につながる重要な発見でした。

主な用途

アセチルサリチル酸は、その多様な作用から幅広い目的で使用されます。

鎮痛・解熱

関節炎、痛風、頭痛（特に緊張性頭痛や片頭痛）、生理痛、歯痛、腰痛、筋肉痛、神経痛など、様々な疼痛に対して単独または他の成分と組み合わせて使用されます。また、手術後や外傷による痛みの緩和にも用いられます。

解熱

成人の発熱に対して解熱効果が期待できます。

注意点として、インフルエンザや水痘などのウイルス感染症、または細菌感染症にかかっている子供がアセチルサリチル酸を使用すると、ライ症候群という重篤な脳障害や肝障害を引き起こすリスクがあるため、多くの医学機関や規制当局は子供への使用を強く推奨していません。子供の解熱には通常、アセトアミノフェンが推奨されます。

予防用途

少量のアセチルサリチル酸を毎日服用することで、血小板の凝集を抑制し、心筋梗塞や脳梗塞といった血栓に関連する病気の予防（二次予防）に使用されます。

一方で、心血管疾患の既往がない人に対する予防的服用（一次予防）については、特に70歳以上の高齢者では、大きな健康メリットが証明されていないにも関わらず、消化管出血などの出血リスクが高まることが知られています。消化性潰瘍や出血傾向のある人など、出血リスクが高い場合は基本的に予防的服用は避けるべきとされています。

この他、少量長期服用による特定のがん（特に大腸がん）の発症リスク低下や、血管性認知症のリスク低減の可能性も研究されています。

その他

小児期の特殊な血管炎である川崎病の治療にも使用されます。

避けるべきケース（禁忌）

以下に該当する場合、アセチルサリチル酸の使用は一般的に禁じられています。

小児（特にウイルス感染症罹患時）
過去に鎮痛薬や解熱薬で喘息を起こしたことがある人（アスピリン喘息）
消化性潰瘍のある人
重い肝臓病、心臓病、腎臓病のある人
妊娠後期
デング熱の治療

起こりうる副作用

アセチルサリチル酸は比較的安全な薬とされていますが、様々な副作用の可能性があります。

消化器系の副作用

最も一般的で注意が必要なのが胃腸障害です。アセチルサリチル酸が胃粘膜保護に関わるプロスタグランジンの生成を妨げるため、胃酸による粘膜へのダメージを受けやすくなります。吐き気、消化不良、胃痛、そして重篤な場合は消化性潰瘍や出血（消化管出血）を引き起こすことがあります。

市販されている製品の中には、胃への負担を軽減するために、胃酸を中和する制酸剤や胃粘膜を保護する成分が配合されているものがあります。

その他の副作用

アレルギー反応: 発疹やかゆみ、稀に重篤なショック、アナフィラキシー。
呼吸器系: アスピリン喘息の既往がある人での喘息発作誘発。
血液: 血小板減少、再生不良性貧血など。
肝臓・腎臓: 肝機能障害、腎臓障害。
出血: 消化管出血に加え、頭蓋内出血、鼻出血、眼底出血などの可能性。
その他: ふらつき、高血圧、むくみなど。

また、小児がウイルス感染時に使用した場合にライ症候群を招く危険性があることは、特に重要な副作用として挙げられます。

痛風患者におけるアスピリンの使用については議論があり、鎮痛剤としては避けるべきという意見がある一方で、尿酸の排泄を促進する作用も指摘されています。

ピリン系との違い

アスピリンは「非ピリン系」の解熱鎮痛薬です。アンチピリンなどに代表される「ピリン系」薬剤とは構造も作用も異なり、アレルギー反応などの副作用プロファイルも異なります。名称に「ピリン」と含まれますが、ピリン系薬剤ではありません。

飲み合わせに注意が必要なもの

アルコール（エタノール）: 吸収が早まり作用が強まる可能性があります。
特定の健康食品・サプリメント: イチョウ葉エキスやニンニクエキス（アリシン）など、作用が強まり出血傾向が増す可能性があります。
タバコ（喫煙）: 抗血小板作用が弱まる可能性があります。
イブプロフェン: 抗血小板作用が弱まる可能性があります。

日本国内の主な製品

アセチルサリチル酸を含む製品は多く販売されています。

市販薬

バイエルアスピリン: 500mgを含有する、比較的用量の多い製品。解熱鎮痛に使用されます。
バファリン: 制酸緩衝剤（ダイアルミネートなど）を配合し、胃への負担を軽減するように工夫されています。
ケロリン: 和漢薬のケイヒ末を配合した、粉末タイプの製品です。

医療用医薬品（処方箋医薬品）

バイアスピリン錠100mg: 血栓予防目的で少量（100mg）を daily（毎日）服用する際に用いられます。心筋梗塞や脳梗塞の既往がある方などに処方されます。川崎病の治療にも用いられます。
* アスピリン「バイエル」（粉末）: 小児の川崎病治療や、成人での解熱鎮痛目的で、用量調整しやすい粉末として使用されます。

歴史

アセチルサリチル酸の歴史は古く、紀元前にはすでにヤナギの樹皮に熱や痛みを和らげる効果があることが知られていました。19世紀に入り、ヤナギから有効成分であるサリチル酸が単離されましたが、強い胃腸障害という副作用が問題でした。

1897年、バイエル社のフェリックス・ホフマンは、サリチル酸の副作用を軽減することを目指し、サリチル酸をアセチル化することに成功しました。これがアセチルサリチル酸の合成です。これは世界で初めて人工合成された医薬品とされています。

1899年3月6日、バイエル社は「アスピリン」の商標を登録し、製品の販売を開始しました。アスピリンは急速に普及し、特に20世紀初頭のアメリカでは社会的なストレスなどもあり服用者が激増、「アスピリンエイジ」という言葉まで生まれました。

第一次世界大戦後、ドイツの敗戦によりバイエルのアスピリン商標は連合国に没収されるという歴史的な経緯もありましたが、その後もアスピリンは医薬品の代名詞として世界中で広く使われ続けています。バイエル社は後にアメリカなどで再び商標を取得しています。

今日でもアセチルサリチル酸は、安価で効果的な医薬品として世界中で大量に消費されています。

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