ゾルゲ諜報団

ゾルゲ諜報団：帝都東京を揺るがしたソ連のスパイ組織

ゾルゲ諜報団は、リヒャルト・ゾルゲをリーダーとし、第二次世界大戦前夜の日本を舞台に、ソ連のために諜報活動を展開したスパイグループです。彼らは、日本の政治、軍事、外交に関する機密情報を入手し、モスクワに送っていました。その活動は、日本の政策決定に影響を与えただけでなく、世界の勢力図にも大きな影響を及ぼしました。

概要

1930年代、ゾルゲはソ連赤軍参謀本部第4局の命を受け、中国の上海に派遣されました。そこで尾崎秀実やアグネス・スメドレーと出会い、情報収集活動を開始します。1933年には日本に潜入し、スパイネットワークを構築。大日本帝国の機密情報をソ連に送っていました。入手した情報は多岐にわたり、日米戦争を想定した日本の南方進出計画や、独ソ戦の計画、日本の戦争遂行能力など、国家の根幹に関わるものばかりでした。

特に、駐日ドイツ大使オイゲン・オットから得た独ソ戦に関する情報は、ゾルゲの信頼性の高さを物語っています。ゾルゲの活動は、アメリカ国内での反日工作や、日本政府の対中強硬策にも影響を与えたとされています。活動の中心人物は、リヒャルト・ゾルゲ、マックス・クラウゼン、ブランコ・ド・ヴーケリッチ、尾崎秀実、宮城与徳らです。

諜報活動の前史

ゾルゲは、ロシア革命に感銘を受けドイツ共産党員となり、コミンテルンで活動しました。スカンディナヴィア半島やイギリスでの潜入活動を経て、赤軍情報部に見出され、諜報員としての訓練を受けます。当時のソ連は、極東地域、特に中国の情報を求めていました。ゾルゲは、中国共産党と中国国民党の対立構造を調査するため、中国に派遣されました。この頃、ソ連の諜報機関は複雑に分かれており、ゾルゲは、外務人民委員部、国家政治局、コミンテルン国際連絡課、タス通信、赤軍第4局と連携して活動することになります。

中国へ出発する際、ゾルゲは無線技師との連絡、活動資金、ジャーナリストとしての偽装など、周到な準備をしました。最初の暗号名は「ラムゼイ」です。モスクワからウィーン、マルセイユを経て上海に到着しました。

上海における諜報活動

1930年に上海に到着したゾルゲは、アグネス・スメドレーや尾崎秀実と接触し、協力を取り付けました。尾崎秀実にはコミンテルンのメンバーであることを明かし、協力を求めました。また、中国国民党の重鎮とも面識を得ています。上海での活動資金は、コミンテルン国際連絡課から受け取っていました。

日本における諜報活動

ゾルゲの来日とネットワークの構築

1932年に日本経由でソ連に戻ったゾルゲは、ドイツで新聞記者としての偽装を整え、駐日ドイツ大使館のオットを紹介する手紙を入手しました。アメリカ経由で日本に到着すると、東京で本格的なスパイネットワークを構築し始めました。最初に日本に到着したメンバーは、ブランコ・ド・ヴーケリッチで、写真雑誌の特派員として来日。その後、ゾルゲが新聞記者として、宮城与徳が画家として来日しました。尾崎秀実とは、奈良公園で4年ぶりの再会を果たしました。

初期の活動とメンバーとの接触

ゾルゲは、来日後すぐにドイツ大使館に接触し、オイゲン・オットとの信頼関係を築き上げました。また、ブランコ・ド・ヴーケリッチとは、合言葉を使って接触。その後、宮城与徳とも接触に成功しました。会合場所として、銀座のレストラン「フロリダ・キッチン」を利用していました。ゾルゲは、大使館員や新聞記者との交流を通じて、情報を収集。ナチス党にも入党しました。

尾崎秀実は、朝日新聞の専門委員として、日本の国家機密や軍事情報を入手し、ゾルゲに提供していました。ヴーケリッチは、写真技術を活かし、資料をマイクロフィルム化する役割を担いました。無線連絡を担当していたベルンハルトは臆病な性格で、充分に機能せず、1935年にモスクワに帰国しています。

日本の対ソ政策に関する情報収集

1934年、ゾルゲは日本の対ソ政策に関する情報収集に力を注ぎました。宮城与徳は、陸軍の対ソ政策に関する報告書を作成し、ソ連への攻撃が近い可能性を示唆しました。また、軍事関係の情報収集のため、宮城は『軍事と技術』を定期購読していました。宮城の協力者として、秋山幸治が翻訳を担当しました。ゾルゲは、1934年5月に上海に渡り、伝書使と接触しました。また、オットと共に満洲国を旅行し、現地の状況を把握しました。

尾崎秀実の活動

1934年9月、尾崎は朝日新聞東京本社に異動し、東亜問題調査会に携わるようになりました。尾崎は、ゾルゲと定期的に接触し、日本の国家主義運動や軍事情報を提供しました。尾崎の協力者として、川合貞吉がいました。川合は、中国共産党のために活動していましたが、後に尾崎の紹介で宮城と出会い、情報提供を行うようになりました。尾崎は、川合とともに日本陸軍の派閥関係を示す図表を作成し、ゾルゲに渡しました。

ゾルゲのモスクワ帰還と新たな無線技師

1935年、ゾルゲはモスクワに帰還し、活動を報告しました。そこで尾崎秀実を正式な諜報団の一員として認めさせ、新たな無線技師としてマックス・クラウゼンを任命するよう要請しました。モスクワから派遣されたギュンター・シュタインは、イギリスの新聞記者として、日本に入国しました。1935年11月、クラウゼンが日本に到着し、諜報活動を本格的に開始しました。

1936年2月、クラウゼンの無線機が稼働し始め、モスクワとの交信に成功しました。ゾルゲは「ヴィックス」、クラウゼンは「フリッツ」、ヴーケリッチは「ジゴロ」という暗号名を使っていました。

二・二六事件と日独関係

1936年2月に発生した二・二六事件を分析し、報告。その内容を『ゲオポリティーク』誌に掲載させました。ゾルゲは、日独防共協定に反対するよう、ドイツ大使館員に働きかけました。1938年には、オイゲン・オットがドイツ大使となり、ゾルゲは大使館内で政治顧問として活動するようになります。

1938年6月にソ連のGPU将校リュシコフが満洲国に亡命。ゾルゲは、リュシコフの供述に関する情報をモスクワに送りました。また、ドイツ軍事情報機関から派遣されたグライリング大佐が、リュシコフから聞き取った情報をまとめた覚書をゾルゲは入手し、モスクワに報告しました。

ノモンハン事件と第二次世界大戦

1939年5月にノモンハン事件が発生。宮城とヴーケリッチは、関東軍の動向を探るため、満洲に渡りました。第二次世界大戦が始まると、情報や活動資金の受け渡しは、駐日ソ連大使館員によって行われるようになりました。1940年7月、松岡洋右が外相に就任し、日独伊三国同盟が締結。ゾルゲは、同盟の内容をモスクワに報告しました。

1941年5月、ドイツ陸軍省の特使ニーダーマイヤーが東京に到着。彼はゾルゲに紹介状を持参しており、ドイツの対ソ戦開始の方針を知ることになります。また、ゾルゲの友人であるドイツ参謀将校ショルから、ドイツが対ソ戦を開始する具体的な情報を得ました。ゾルゲは1941年5月15日、6月22日が攻撃予定日である事をモスクワに打電しました。

日本の対ソ開戦に関する情報

1941年6月、モスクワからゾルゲに対し、日本政府の対ソ開戦の意図に関する情報を収集するよう指示がありました。7月、日本政府は南北併進論と独ソ中立を決定。ゾルゲは、日本軍の動員計画に関する情報を収集し、モスクワに送りました。8月、ゾルゲは日本がドイツの対ソ戦を支援する意図がないことを報告。8月20～23日の会議で、日本は本年中にソ連に宣戦布告しないことを決定したとの情報をモスクワに送りました。宮城与徳は、近衛師団が南方へ派遣される可能性を示唆し、尾崎秀実は、関東軍が対ソ戦の準備を縮小していることを報告しました。ゾルゲはこれらの情報を分析し、モスクワに報告しました。

捜査と一斉検挙

日本の特別高等警察は、1930年代からアメリカ共産党の日本人党員に関する情報を収集していました。無線電波が中国やソ連に送られていることも察知しており、スパイの特定を進めていました。1941年9月27日、北林トモが逮捕されたのを皮切りに、事件関係者が次々と拘束・逮捕されました。

10月10日、宮城与徳が逮捕され、家宅捜査で多くの証拠品が発見されました。宮城の供述から、尾崎秀実やゾルゲらのスパイ活動が明らかになりました。10月14日、尾崎秀実が逮捕され、10月18日、ゾルゲが逮捕されました。同日、マックス・クラウゼンとブランコ・ド・ヴーケリッチも逮捕され、ゾルゲ諜報団は壊滅しました。

参考文献

海野弘『スパイの世界史』、リヒャルト・ゾルゲ『ゾルゲ事件獄中手記』、F.W.ディーキン/G.R.ストーリィ『ゾルゲ追跡』、チャルマーズ・ジョンソン『ゾルゲ事件とは何か』、モルガン・スポルテス『ゾルゲ―破滅のフーガ』、ゴードン・W・プランゲ『ゾルゲ・東京を狙え』、ロバート・ワイマント『ゾルゲ―引裂かれたスパイ』など、多くの書籍がゾルゲ事件について研究しています。

脚注

（脚注内容は省略）

ゾルゲ諜報団