ミナミセミクジラ

ミナミセミクジラは、偶蹄目セミクジラ科セミクジラ属に属するヒゲクジラの一種です。北半球に分布するセミクジラやタイセイヨウセミクジラと近縁関係にあります。

概要

遺伝子分類の研究では、北太平洋に分布するセミクジラとより近い関係にあることが示されています。ミナミセミクジラの最大体長は18メートル以上、最大体重は80〜90トン以上に達します。生まれたばかりの個体でも体長は4.5〜6メートルほどあります。

セミクジラ属の3種間では形態的な差異は少ないものの、体の大きさ、頭部隆起（カロシティ）の位置や形状、付着生物の種類、頭骨の形状、ひげ板の色や形状、胸鰭のサイズと形状などにわずかな違いが見られます。

他のセミクジラ属と異なり、体の大部分が白く変化した子クジラがしばしば見られます。これらの個体の多くは成長とともに徐々に体色が黒くなりますが、中には成熟しても白い体色を維持したり、全体的に灰色に近い体色に変化するものもいます。他のセミクジラ属と同様に、下顎や下腹部に不定形の白い模様を持つ個体も多く、背中側にも白変部を持つ個体が存在することも特徴的です。

生態

ミナミセミクジラは、他のセミクジラ属と同様に海面で多くの時間を過ごし、ジャンプなどの活発な行動を見せることがあります。また、「セーリング」と呼ばれる、尾鰭を海面上に出して静止する行動も観察されます。

他のセミクジラ科と同様に、濾過摂食によって餌を摂取します。セミクジラ科は一般的に穏やかで好奇心が強く、人間に積極的に近づくこともあります。その穏やかな性質から「地球上で最も優しい生物」と称されることもあります。他のヒゲクジラ類やイルカ類、オタリアやニュージーランドアシカなどの鰭脚類と交流する姿も時折見られ、特にザトウクジラとは種を超えた交尾行動が確認されたり、ザトウクジラの群れがミナミセミクジラをシャチから守るような光景も観察されています。

母親とはぐれたり、母親を亡くしたと思われる子クジラを、他の母クジラが拒否せずに授乳する様子も観察されています。また、孤児の可能性があるザトウクジラの子供に寄り添っている光景も報告されています。捕鯨時代には、母親を殺された子クジラたちが、陸揚げされた母親の死骸を追って停泊所に接近する様子も見られました。

他のセミクジラ属と同様に、通称「SAG」と呼ばれる集団繁殖行動を行います。雄同士が暴力的な競争をせず、複数の雄が雌と交代で交尾を行う乱交型であり、4.5リットルもの精子で他の雄の精子を洗い流すとされています。ただし、北太平洋のセミクジラで確認されている「歌」は、ミナミセミクジラやタイセイヨウセミクジラでは記録されていません。

シャチからの襲撃を防ぐため、自然由来の騒音が多く、シャチの行動を抑制できる浅瀬を積極的に利用することが知られています。また、マッコウクジラで主に観察される「マーガレット・フォーメーション」と呼ばれる集団防衛陣形が、ミナミセミクジラでも観察されたことがあります。セミクジラ科（セミクジラ属とホッキョククジラ）、コククジラ、ザトウクジラは、シャチの襲撃に対して戦って抵抗する傾向が強く、1500ヘルツ以上の音域で鳴くのに対し、ナガスクジラ科は100ヘルツ以下の音域で鳴きます。この違いもシャチ対策の違いとして進化した可能性があります。

寿命については不明な点が多いものの、2024年12月の発表によると、ミナミセミクジラはこれまでの推定よりも大幅に長く生きる可能性が指摘されており、最大で130〜150歳以上に達するとも言われています。これは、タイセイヨウセミクジラの平均寿命22歳よりも大幅に長いですが、人間による悪影響の程度の差が原因と考えられます。近縁のホッキョククジラの寿命は200〜268年以上に達する可能性があります。

セミクジラ科の糞は、他の大型鯨類と同様に海洋生態系にとって重要な資源となり、気候変動対策にもつながる可能性が示唆されていますが、セミクジラ科の糞は（餌との関係からか）特に臭気が強いとされています。

分布と生息状況

ミナミセミクジラは、南半球の南極海から熱帯にかけての広範囲な沿岸や沖合に分布しています。ザトウクジラとは沿岸性であり、回遊経路や繁殖海域を共有することが多いものの、通常のミナミセミクジラの冬季の分布はザトウクジラよりも南方に位置することが多いです。北半球のセミクジラやタイセイヨウセミクジラとは異なり、全体的な個体数はある程度回復しており、南半球全体では低危険種と言える個体数に回復しています。

しかし、本来の生息数には遠く及ばず、セミクジラ属に共通して増加速度も遅いため、南半球においてミナミセミクジラ、シロナガスクジラ、ナガスクジラの各々が捕鯨時代以前の本来の生息数の50%未満に達するには、2100年までかかると予想されています。

現存する個体群では、チリ・ペルーの個体群は残存個体数が数十頭前後と絶滅寸前に分類されており、2017年にアイセン・デル・ヘネラル・カルロス・イバニェス・デル・カンポ州のペナス湾で少数の親子が地元のツアーガイドによって偶然発見されるまで、主要な生息域すら把握できていませんでした。

ニュージーランド、オーストラリア、キリバスなどの南太平洋の低緯度海域の島々、マゼラン海峡やビーグル海峡、トリスタンダクーニャやゴフ島、アフリカ南西部、アフリカ南東部、モーリシャスや周辺の島々、チャゴス諸島やココス諸島周辺、南インド洋、ブラジル中部から北部など、本来の分布や回遊が失われたために、近年確認数が少なかったり、消失した可能性がある地域も散見されます。

個体数の回復が徐々に見られている国でも、回復の程度には地域差が見られます。ホエールウォッチングが行われている国々やその周辺でも、タスマニアやオーストラリア南東部から東海岸など、依然として生息数や回遊が回復していない地域も見られます。

一方で、個体数の回復が比較的良好な場合は、過去の分布への回帰が見られることもあり、エレファント島、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島、フォークランド諸島などで確認されています。

近年、アルゼンチンのバルデス半島などの沿岸では、カモメがミナミセミクジラを襲撃し、皮膚や皮下脂肪をついばむ行動が確認されており、授乳が妨害されるなどのストレスにより、子クジラが十分に脂肪を蓄えられず、生存率が低下したり、大量死が発生しています。この現象の背景は厳密には解明されていませんが、人間が排出した有機廃棄物によってカモメが過剰に増加した可能性が指摘されています。

繁殖率や体重の大幅な低下も各地で確認されており、これまでの生息地への来遊減少も見られています。これは、地球温暖化の影響により、餌となる生物の発生量が減少したり、発生場所が変化したことが原因と推測されています。

また、原因は不明ですが、赤潮などが示唆される大量死も発生しています。

人間との関係

捕鯨終了後、ミナミセミクジラの生態解明に大きく貢献したのは、ロジャー・ペイン博士によるバルデス半島でのミナミセミクジラとの交流や観察記録です。

海岸や湾内に頻繁に現れるため、陸上からのホエールウォッチングが可能ですが、人間の生活圏に近い範囲に生息するため、船舶との衝突や漁網への混獲は依然として脅威となっています。好奇心が強く人懐っこいため、自ら人間に接近することも多く、時には人間とスキンシップを持ったり、遊泳者やカヤッカーを背中に乗せたりすることもあります。そのため、海水浴客が不用意にセミクジラに接近し、触ったり背中に乗ったりするなどの不謹慎な行為が行われ、処罰が検討されることもあります。

2015年には、シドニーの沿岸でクジラのヒゲにプラスチックごみが絡まっていた個体が漁師に接近し、人間がごみを取り除けるように何度も姿勢を調整して頭を持ち上げ、漁師の一人がごみを除去することに成功したという記録があります。

南半球の各地には、ミナミセミクジラの捕鯨を目的に開墾された町や村が多数存在し、オタゴ地方、モウトホラ島、南タラナキ湾、ファンガレイ湾、フォーボー海峡、ライト・ホエール湾、ライト・ホエール・ロックス、ウォルビスベイ、プンタ・バジェーナ、ワイングラス湾など、ミナミセミクジラにちなんだ地名が残されている地域も存在します。

セミクジラ科は「アンブレラ種」であり、セミクジラの保護を促進することで、他の鯨類や環境保護にも恩恵が及ぶとされています。

捕鯨

セミクジラ属は、大人しく人懐っこく、海岸からも観察できるほど沿岸性が強いため、格好の捕鯨対象とされました。英語名の「Right Whale」や学名の「Eubalaena」も、「真の鯨」や「善良な鯨」、または「捕獲するのに都合の良い鯨」などを意味し、世界中で絶滅危惧種になるほど生息数を減らしました。

タスマニア州・ホバート近郊のダーウェント河やニュージーランドの首都ウェリントンには、開拓時代の入植者によって「鯨がうるさくて眠れない」という伝聞が残されており、ダーウェント河では「鯨の背中を渡って向こう岸にたどり着ける」と表現されるほどの鯨がいたとされていますが、これらの地域でセミクジラを見ることは稀です。

ニュージーランドやオーストラリアなどの開拓史とミナミセミクジラの捕鯨は深く結びついており、捕鯨は主要な産業として多くの人々が入植しました。

セミクジラ属全体が大型鯨類の中でも特に減少が激しく、大型鯨類では最初に保護が提言され、1935年には全てのセミクジラ属の捕獲禁止が決定されました。しかし、日本を含む複数の捕鯨推進国が反対し、特に日本とソビエト連邦による密猟が顕著でした。ソビエト連邦による大規模な違法捕鯨は「20世紀最大の環境犯罪」とも称され、数々の絶滅危惧種が多大な影響を受けました。これにより激減したミナミセミクジラの個体群も複数存在し、今日の生息状況に直接影響しています。日本はこのソビエト連邦による密猟に協力関係にあり、独自に保護対象種の密猟を続けました。

近年もアフリカ諸国とラテンアメリカ諸国によって提唱されている、ミナミセミクジラも保護対象に含む南大西洋の鯨類保護区の設立に、日本を含むいくつかの捕鯨国が中心となって反対しており、2023年現在でも保護区の設立には至っていません。日本はこれまで、政府開発援助（ODA）を利用して支援国への捕鯨支持を働きかけてきたとされており、ドミニカ国の元環境大臣であり、ゴールドマン環境賞を受賞したアサートン・マーチンは、日本によるODAの捕鯨への政治利用を「ODA植民地主義」と批判しています。

ホエールウォッチング

現在、セミクジラ属は世界中で保護対象となっており、ミナミセミクジラの場合はセミクジラやタイセイヨウセミクジラと異なり回復している海域もあるため、ホエールウォッチングの対象として人気があります。

南アフリカの沿岸は「ホエール・コースト」と呼ばれ、セミクジラの回遊を祝うフェスティバルも開催されており、陸上のサファリの対象として人気のあるアフリカ大陸の動物の代表的な5種を指す「ビッグ・ファイブ」に因んだ「海のビッグ・ファイブ」に本種も含まれています。アルゼンチンやウルグアイ、ブラジル、南アフリカ沿岸、オーストラリア各地には、ミナミセミクジラの数が回復している地域があり、観光業が盛んです。

南オーストラリアのファウラーズ・ベイのように、経済の大部分をホエールウォッチングに依存している地域もあります。

南アフリカのハーマナスには、「ホエール・クライヤー」と呼ばれる、セミクジラの場所を観光客に知らせることを職業とする人々がいます。

アルゼンチンのプエルト・マドリンでは、ミナミセミクジラがよく見られる海岸をゴールにしたマラソン大会や、セミクジラに因んだロードレースが開催されており、競技中やゴール地点でセミクジラを観察することもできます。

ミナミセミクジラと一緒に泳ぐツアーも行われていますが、クジラへの悪影響を指摘する声もあり、今後のモニタリングが必要です。

ニュージーランドやオーストラリア、チリやペルーの沿岸などでは、市民による目撃情報やSNSでの観察記録を集めて調査に役立てる取り組みも行われています。

その他

ニュージーランド列島では、捕鯨以前には最大で2万8000頭から4万7000頭以上の個体がいたとされていますが、商業捕鯨と密猟によって激減しました。ニュージーランド本土では1928年から1965年まで確実な記録がなく、1980年にヨット愛好家がオークランド諸島のロス湾で偶然セミクジラを再発見しました。1992年にはニュージーランド空軍が亜南極諸島で目視調査を行い、セミクジラがニュージーランドに生存していることを確認しました。

現在でも本土およびその周辺での確認数は非常に少ないですが、かつては豊富に生息しており、マオリ族にとっても文化的に重要な対象として親しまれました。

マオリ文化における新年を祝う行事である「マタリキ」に因んだ花火大会が毎年開催されますが、2018年にはウェリントンのウォーターフロントに若いミナミセミクジラの雄が一週間以上滞在し、観察のために連日交通渋滞を引き起こしたり、国会議事堂の目の前でジャンプする姿が撮影されるなど大きな反響を呼び、ニュージーランド自然保護局の助言を受けて、セミクジラへの影響を考慮して史上初めて花火大会が延期されました。この個体は「マタリキ」と名付けられ、ウェリントン市議会はマタリキをマスコットとして積極的にアピールしました。

楽曲『ウェラーマン』のヒットやマタリキの出現などでミナミセミクジラの知名度が上がり、書籍が出版されたりしています。

2023年にはマタリキとは別の個体が、2018年にマタリキが滞在したのと同じエリアに数日間滞在して話題を呼びました。

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