伊庭孝

伊庭孝：浅草オペラを彩った多才な芸術家

伊庭孝（いば たかし）は、1887年（明治20年）12月1日に東京で生まれ、1937年（昭和12年）2月25日に49歳で生涯を閉じた、日本の俳優、演出家、作詞家、そして音楽評論家です。佐々紅華、田谷力三、藤原義江らと共に、「浅草オペラ」の創成期を支え、その発展に大きく貢献しました。

生い立ちと初期の活動

伊庭は、東京市神田駿河台で雑誌社経営者の次男として誕生しました。幼少期に両親を亡くし、心形刀流宗家の伊庭想太郎の養子となります。番町小学校から東京府立一中へ進学し、谷崎潤一郎と同期でした。しかし、養父が起こした事件により府立一中を中退、実兄のいる大阪へ移り、天王寺中学へ転校します。そこで、折口信夫や緒方章らと親交を深め、校友会雑誌に文章を寄稿するなど、文学的な才能も発揮しました。また、幼少の頃より西洋音楽に親しみ、楽器演奏や外国語も堪能でした。キリスト教の洗礼を受け、同志社神学校へ入学しますが、社会主義運動に関わり中退。その後、上京し、キリスト教系の出版社で働きながら、歌舞伎や新劇に触れ、演劇の世界へ傾倒していきます。

オペラの黎明期

1912年（大正元年）、伊庭は上山草人らと「近代劇協会」を設立し、演劇活動を開始します。1913年（大正2年）には帝国劇場でオペラ『ファウスト』を上演、語学力を活かし、訳詞の誤りを指摘するなど、早くもその才能を発揮しました。1916年（大正5年）には、ダンサーの高木徳子と共に「歌舞劇協会」を設立し、オペラ公演を重ね、1917年（大正6年）には浅草でオペラ『女軍出征』を上演し、大成功を収めました。これが「浅草オペラ」の幕開けとなりました。

その後も、1918年（大正7年）に『カルメン』や自身の作品『沈鐘』を上演するなど、精力的に活動を続けます。1919年（大正8年）には、松竹傘下で「新星歌舞劇団」を結成しますが、劇団員の離脱や高木徳子の死などを経て、1920年（大正9年）には根岸興行部に引き抜かれ「根岸大歌劇団」を結成、オペラ『釈迦』などを上演しました。しかし、1921年（大正10年）には劇団を離れ、一時期引退を表明します。

評論家としての活動

引退後、伊庭は音楽評論に専念します。1923年（大正12年）の関東大震災による「浅草オペラ」の崩壊後も、その活動は衰えることなく、1927年（昭和2年）にはラジオでオペラを放送するなど、新しいメディアでのオペラ普及にも尽力しました。音楽理論に関する著書を多数発表するほか、雑誌への執筆活動やジャズの訳詞も手掛けました。1929年（昭和4年）には西條八十と流行歌論争を繰り広げ、1930年（昭和5年）には、後のタップダンサーの草分けとなる中川三郎に楽劇理論を教えるなど、後進の育成にも貢献しました。

伊庭は、大日本音楽協会常務理事、楽器改良研究会幹事長、日本大学芸術科講師を歴任し、晩年は「いば・こう」と署名しました。

その死と遺産

1937年（昭和12年）2月25日、49歳で死去。彼の死は、友人たちによる音楽葬という形で送られ、日本における音楽葬の始まりとなりました。彼の業績を称え、1948年（昭和23年）には「伊庭歌劇賞」が創設され、1957年（昭和32年）まで10回実施されました。

伊庭孝は、浅草オペラを牽引しただけでなく、音楽評論家としても日本の音楽文化に大きな足跡を残しました。彼の多岐にわたる活動は、後の日本の音楽、演劇界に多大な影響を与え続けています。

代表曲

伊庭は、作詞家としても才能を発揮し、数多くの楽曲に携わりました。以下に代表的な楽曲をいくつか挙げます。

『アロハ・オエ』ハワイ民謡
『ブロードウエイ小唄』
『インドの歌』リムスキー＝コルサコフ
『もう飛ぶまいぞこの蝶々』ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『懐かしの我がケンタッキーの家』スティーブン・フォスター
『私の太陽』（オー・ソレ・ミオ）エドゥアルド・ディ・カプア
『はるかなるサンタルチア』ナポリ民謡

著書

伊庭孝は、数多くの著書を執筆し、音楽理論の普及に貢献しました。以下に主な著書を列挙します。

『音楽読本』
『明日の音楽』
『管絃楽法』
『日本音楽概論』
『大楽典』
『歌劇大通』
『日本音楽史』
『名作歌劇解説』
『最新楽典教本』
『雨安居荘雑筆』
『シューマン』
『高等学校用 楽典講義』

編集

『西洋音楽小史』 近世
『対位法概論』
『西洋音楽小史』 古代及中世
『音楽形式各論』
『歌劇名曲集』 第1（独唱曲）
『歌劇名曲集』 第2（重唱曲及合唱曲）
『名曲解説交響曲』
『名曲解説交響管絃楽曲 A-L』

翻訳

バナアド・ショウ『非武士道的三幕喜劇 チヨコレエト兵隊』
ホフマンスタール『窓に立てる女』
リーマン『音楽美学』

共著

伊庭孝、森岩雄、牛原虚彦『オペラと映画』
辻荘一、吉田正、伊庭孝『宗教音楽』

監修

* 『白眉音楽辞典』

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