撫牛

撫牛（なでうし）とは

撫牛とは、牛の座像を撫でることで、自身の病気を治癒させたり、諸願成就を祈願する信仰習俗のことです。この風習は、古くから日本各地に存在し、人々の生活に深く根ざしてきました。

撫牛の信仰

撫牛の信仰は、自身の体の悪い部分を撫でた後、牛の像の同じ箇所を撫でることで、病が牛に移り治癒するという俗信に基づいています。これは、自身の罪や穢れ、邪気を人形などに移して祓う「撫物」という呪術に由来します。

同様の信仰形態として、信濃国善光寺の「おびんずる」、奈良東大寺の「お賓頭盧」、浅草寺の「撫で仏」などがあります。これらの像を撫でることで、病気平癒や無病息災を願うという共通の目的があります。

撫牛は、病気平癒だけでなく、開運や出世、万事成就、予期せぬ幸運をもたらすとも信じられています。また、子どもの無病息災や子孫繁栄の願いを込めて、撫牛によだれ掛けを奉納する風習も存在します。

撫牛信仰は、正確な起源は不明ですが、江戸時代に病気平癒を主とする信仰が盛んになったと考えられています。江戸時代中期以降には、撫牛を祭って開運を得る方法を記した『開運撫牛縁起』が刊行され、伏見人形の店で撫牛の置物とともに配布されました。

撫牛の祭祀

『開運撫牛縁起』によると、撫牛は毎月1日、15日、28日に、朝一番に汲み上げた初水を供え、灯明を献じて祀ります。撫牛の像は、大きさに合わせて作られた布団の上に据え、居間の卓上や違い棚などに置き、大黒天を念じながら常に撫でることが推奨されます。これにより、家には吉事が訪れ、家運が開けるとされています。また、吉事があるたびに撫牛を増やし、12日おきに訪れる丑の日には小豆餅を供え、初穂を祭るとされます。さらに、到来物はすべて撫牛の前に供えるべきとされています。

また、同縁起には、大黒天の霊験は撫牛の頭部に宿るとされ、頭を撫でながら祈願すれば願いが叶うと記されています。

大黒天と撫牛

『開運撫牛縁起』では、大黒天の縁日にあたる甲子の晩には、撫牛に煎茶を供え、その茶を独りで飲むことが推奨されています。他の人が茶を供えることは禁じられています。また、別の文献には、撫牛像を入手した最初の甲子の日に、黄色い木綿の布団の上に像を置き、自分で縫った財布を牛の腹に入れ、甲子の日に銭貨を納めれば、金銀財宝を得て栄えるとも記されています。

このように、撫牛信仰と大黒天信仰は密接に結びついています。大黒天の御利益は撫牛の頭部に宿ると考えられ、撫牛には大黒天像が彫られていることもあります。撫牛が黒色であることも、大黒天の「黒」に由来すると考えられています。大黒天は、元々はバラモン教の神マハーカーラが仏教に取り入れられた天部の神ですが、中世以降は、牛に乗る摩多羅神とも習合し、福をもたらす神として信仰されています。この関係は、京都市左京区の妙円寺に端を発するとも言われています。

牛頭天王と撫牛

撫牛は、疫病の神である牛頭天王とも深い関わりがあります。牛頭天王は、京都八坂神社の祭神で、素戔嗚尊（スサノオ）と同一視されており、その強い霊威を信じて敬えば疫病を免れるとされています。向島の牛嶋神社には、文政8年（1815年）頃に奉納された石製の撫牛があり、これは牛頭天王信仰に起源を持つものと考えられます。

天神 信仰と撫牛

天満宮では、菅原道真の神使として牛が聖獣とされており、境内に牛の像が安置されていることが多いです。牛は菅原道真の乗り物と見なされることも多く、各地に「牛乗り天神」の人形が伝わっています。撫牛には、天神の神紋である梅花紋が刻まれることもあります。農耕神や雷神として祀られてきた天神が道真の御霊と結びつき、農耕で重要な牛が天神の使いと考えられるようになったと考えられます。

縁起物としての撫牛

撫牛は、熊手、だるま、招き猫などと同様に縁起物の一つとされています。江戸時代には、福助人形とともに撫牛を祭る風習が流行し、撫牛を布団の上に安置することが一般的でした。また、吉原や祇園などの花街では、遊女たちの間で撫牛信仰が広まり、縁起棚に福の神と共に祀られ、小豆餅や酒餅などが供えられました。さらに、携帯用の撫牛として根付も作られました。

撫牛を祀る主な社寺

- 福崎町新町区'>[鹽竈神社]]（宮城県塩竈市）
- 円蔵寺虚空蔵堂（福島県河沼郡柳津町）
- 会津天満宮（福島県会津若松市）
- 伊佐須美神社（福島県大沼郡会津美里町）
- 豊景神社（福島県郡山市）
- 高鳥天満宮（群馬県邑楽郡板倉町）
- 牛嶋神社（東京都墨田区向島）
- 亀戸天神社（東京都江東区亀戸）
- 湯島天満宮（東京都文京区湯島）
- 平河天満宮（東京都千代田区平河町）
- 成子天神社（東京都新宿区西新宿）
- 上野天満宮（名古屋市千種区）
- 松葉山天満宮（三重県熊野市）
- 妙円寺（京都市左京区松ヶ崎東町）
- 北野天満宮（京都市上京区）
- 錦天満宮（京都市中京区新京極）
- 大隅神社（大阪市東淀川区）
- 道明寺天満宮（大阪府藤井寺市）
- 天満神社（兵庫県宝塚市）
- 廣畑天満宮（兵庫県姫路市）
- 須磨綱敷天満宮（神戸市須磨区）
- 新町天満宮]
- 田中山神社(広島市安佐南区)
- 厳島神社（[[愛媛県松山市）
- 太宰府天満宮（福岡県太宰府市）
- 宮地嶽神社（福岡県福津市）

文芸に現れた撫牛

作家の堀辰雄は、自伝的作品『幼年時代』で牛嶋神社の撫牛について言及しています。また、明治時代の俳人、淡島寒月は、撫牛を詠んだ句を残しています。

類似の民俗例

中国にも、撫牛に似た風習がありました。後漢の王充が著した『論衡』には、春の始まりに牛の像を飾り、人々がそれを撫でて病気平癒を祈願したと記述されています。

まとめ

撫牛は、病気治癒や開運を願うだけでなく、信仰や文化とも深く結びついた日本の伝統的な習俗です。各地の神社仏閣に祀られた撫牛を訪れ、その歴史や意味を理解することで、より豊かな文化体験を得ることができるでしょう。

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