伊雑宮

三重県志摩市磯部町上之郷に鎮座する伊雑宮（いざわのみや）は、皇大神宮（伊勢神宮内宮）の別宮の一つに数えられ、古くから「天照大神の遙宮（とおのみや）」として、度会郡大紀町にある瀧原宮と共に崇敬されてきました。正式には「伊雜宮」と表記されますが、常用漢字である「雑」を用いるのが一般的です。地元では「磯部の宮」や「磯部の大神宮さん」とも親しまれ、「いぞうのみや」「いぞうぐう」といった呼び方もあります。また、志摩国一宮とされることも多く、その歴史と格式がうかがえます。

伊勢神宮には内宮と外宮合わせて14の別宮がありますが、伊雑宮は志摩国にあり、伊勢国外に位置する唯一の別宮です。さらに、神宮の別宮の中で唯一、神田（料田）を持つことも大きな特徴です。約1650平方メートルにおよぶこの神田では、毎年6月24日に五穀豊穣を祈る「御田植式（おたうえしき）」が執り行われます。この祭事は、千葉県の香取神宮、大阪府の住吉大社と並び「日本三大御田植祭」として名高く、その伝承芸能である「磯部の御神田（いそべのおみた）」は、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。この祭りの起源については諸説ありますが、神宮文庫に残る記録からは鎌倉時代には既に実施されていたことが確認できます。明治維新後の神田国有化により一時中断しましたが、地元住民の強い要望によって再開され、今日まで受け継がれています。伊勢神宮の別宮としては、内宮の荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位に位置づけられています。ただし、志摩国一宮については、鳥羽市に鎮座する伊射波神社とする異論も存在します。志摩地域一帯、特に漁業に携わる人々の信仰が篤く、漁師や海女が「磯守（海幸木守）」を受け、海での安全を祈願する習わしがあります。

現在の伊雑宮の祭神は、天照坐皇大御神御魂（あまてらしますすめおおみかみのみたま）一柱とされています。これは明治以降に定められたものですが、中世から近世にかけては様々な説がありました。特に中世末以降は、伊雑宮の神職であった磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命（または玉柱屋姫命）の二座を祀ると考えられていました。また、かつて伊雑宮の御師を務めた西岡家に伝わる文書には、玉柱屋姫命が天照大神の分身であると記されており、瀬織津姫神も同様に天照大神の分身であり、両者は同じ神であるとの記述も見られます。しかし、明治維新を経て、祭神は天照大神御魂一柱に統一されました。

伊雑宮の創建については、『倭姫命世記』に記述が見られます。それによれば、垂仁天皇の皇女である倭姫命が、伊勢神宮へ奉納する神饌を確保するための御贄地（みにえどころ）を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えたこの地に伊雑宮を建てたとされています。伊勢神宮はこの説を採用していますが、『倭姫命世記』は史書としての信頼性に疑問があり、特に伊雑宮に関する部分は後世の加筆とされる見方もあるため、創建の詳細は不明とするのが妥当です。このほかにも、当地が志摩国で数少ない稲作に適した土地であったこと、あるいは志摩固有の海洋信仰に由来するとする説などがありますが、いずれも定説には至っていません。歴史的な記録としては、『皇太神宮儀式帳』（804年）や『延喜太神宮式』（927年）に「天照大神の遙宮」としてその存在が記されており、平安時代初期には既に現在の地位にあったことが確認できます。平安時代末期には、源平合戦の影響を受け、治承・寿永の乱中の養和元年（1181年）に源氏方に与した熊野三山勢力の攻撃により、本殿が破壊され神宝を奪われるという災難に見舞われました。その後、国司の権力が衰退すると、伊雑宮の神領は神官の警護役であった的矢氏によって管理されるようになりますが、戦国時代に的矢氏が滅亡すると神領は混乱し、伊雑宮は困窮に陥ります。江戸時代には、伊雑宮の神職の一部が、伊雑宮こそが本来の内宮であるとする偽書を作成し、「先代旧事本紀大成経事件」として歴史に名を残すことになります。

境内の本殿は、内宮に準じた神明造りで、萱葺の屋根に内削ぎの千木と偶数の6本の鰹木が特徴です。本殿の周囲には瑞垣と玉垣が巡らされ、それぞれに門が設けられています。他の伊勢神宮の境外別宮と同様に、神職が常駐する宿衛屋（しゅくえいや）があり、お札やお守りの授与、神楽や御饌の取次ぎが行われています。鳥居前の参道沿いには、古くからの鰻料理店や剣道場、伊雑宮の歴史や文化を紹介する「御師の家」などがあり、門前町として賑わいをみせています。

伊雑宮の境外所管社である佐美長神社（さみながじんじゃ）は、伊雑宮からほど近い志摩市磯部町恵利原に鎮座します。佐美長神社の祭神は五穀豊穣の神である大歳神（おおとしのかみ）です。『皇太神宮儀式帳』にもその名が見え、古くから祀られていたことがわかります。社殿は内宮に準じた板葺の神明造りで、内削ぎの千木と偶数の4本の鰹木を持ち、瑞垣が配されています。境内には佐美長御前神社という四社の祠もあります。佐美長神社には、「鶴の穂落とし」という伝説が伝わっており、それにちなんで「穂落社」「穂落宮（ほおとしみや）」とも呼ばれます。この伝説を記した『倭姫命世記』には、稲穂をくわえた鶴を大歳神として祀ったとありますが、こちらも『倭姫命世記』の信頼性の問題から、由緒の詳細は不明とするべきでしょう。伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道は「御幸道（ごこうみち）」と呼ばれ、神が両社を行き来する聖なる道と伝えられています。この道は、倭姫命が天照大神を奉じてこの地を巡った道ともされており、現在の国道や県道の一部に当たります。

伊雑宮では、皇大神宮に準じた祭事が年間を通して行われ、祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭などの主要な祭典には、皇室からの幣帛（へいはく）が供えられます。特殊な祭典としては、前述の御田植式が最も有名です。また、伊勢神宮の式年遷宮に準じ、伊雑宮でも20年に一度の遷宮が行われます。正宮では一年目と二年目の二回お木曳が行われますが、伊雑宮を含む別宮では一年目のみです。近年では、2006年にお木曳が、2014年にお白石持と遷御が執り行われました。

伊雑宮周辺には、いくつかの興味深い伝説が伝わっています。代表的なものに「龍宮伝説」があります。浦島太郎や海女が龍宮へ行ったという話が、伊雑宮の宝物である玉手箱（蚊帳）に関連づけられ語られています。海女が持ち帰った蚊帳を伊雑宮に納めたものの不幸が続いた、という筋立てが多いようです。また、「七本鮫伝説」も有名で、御田植祭の日に七匹の鮫が川を遡上し、伊雑宮へ参詣するというものです。この鮫は伊雑宮や龍宮の使いとされ、七本のうち一本が殺されたため現在は六本になったとも語られます。この日、志摩の海女は海に入らず、伊雑宮に参拝することが習わしとなっています。さらに、安乗崎沖の海底にある岩礁がかつて伊雑宮の鳥居だったという伝説も残されています。

伊雑宮へのアクセスは、近鉄志摩線の上之郷駅から徒歩約5分と便利です。バスを利用する場合は、三重交通の「川辺」バス停から徒歩約10分です。車でのアクセスも可能で、国道167号からすぐ、最寄りの伊勢自動車道伊勢ICからも約20kmの距離です。駐車場も整備されています。志摩市内の崇敬者を中心に結成された伊雑宮奉賛会など、地域の人々の手によって厚く崇敬され、御田植式など多くの祭事には周辺七地区の住民が奉仕として参加しています。

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