近衛熙子

近衛熙子（天英院）：将軍の妻として生きた女性

近衛熙子（このえ ひろこ）は、江戸時代中期に生きた女性で、第6代将軍徳川家宣の正室（御台所）として知られています。院号は天英院（てんえいいん）。公家出身でありながら、将軍の妻として大奥で重要な役割を果たしました。その生涯は、多くの人々に語り継がれ、小説やドラマの題材にもなっています。

生い立ちと結婚

寛文6年（1666年）に、関白・太政大臣の近衛基熙の長女として生まれました。母は後水尾天皇の皇女である常子内親王で、幼い頃から皇室とのつながりの中で育ちました。そのため、御所への出入りも多く、皇族や女官たちから愛されて育ったそうです。

延宝7年（1679年）に、甲府藩主であった徳川綱豊（後の家宣）と結婚します。この結婚は、父の基熙にとっては不本意なものでした。基熙は、武家との結婚は先祖の遺戒に背くと考えており、当初は強く反対していました。しかし、幕府からの正式な要請には逆らえず、最終的には結婚を承諾しました。結婚に際し、熙子は近衛家の門葉である平松時量の養女となっています。しかしこの養子縁組は内密に行われたため、熙子の扱いは近衛家の娘のままでした。

綱豊との結婚生活は良好だったようです。延宝9年（1681年）には長女の豊姫を、元禄12年（1699年）には長男を産みますが、いずれも夭折しています。子供を亡くした悲しみからか、二人の子供には徳川家とは別に日蓮正宗の寺院で戒名が授けられました。

将軍の御台所として

宝永元年（1704年）、綱豊が家宣と名を改め、第5代将軍徳川綱吉の世子として江戸城西の丸に入ると、熙子も御簾中として西の丸大奥に入りました。宝永6年（1709年）に綱吉が亡くなると、家宣が第6代将軍に就任し、熙子は従三位に叙され、御台所として本丸大奥に移ります。これにより、父の基熙は将軍の岳父として権勢をふるい、太政大臣にまで上り詰めました。

大奥に入ってからも、家宣との夫婦仲は良好だったようです。二人は吹上庭園を散歩したり、家宣が熙子の部屋を訪れて意見を求めることもありました。しかし、将軍の妻としての立場上、夫婦で過ごす時間は限られていたでしょう。

落飾と大奥での活躍

正徳2年（1712年）に家宣が亡くなると、熙子は落飾して天英院と号しました。家宣の側室であった月光院（お喜世の方）の子、家継が将軍を継ぐと、熙子は従一位を賜り、家継の嫡母としてその後見を務めます。将軍の正室が世継ぎの養育に関わることは稀でしたが、天英院は家継を自ら養育しました。大奥の首座として、家継を支え、幕府の安定に貢献しました。

天英院は月光院とは不仲であったと言われますが、当人同士の対立というよりは、周囲の侍女たちの争いによるものだという説もあります。江島生島事件では、天英院が月光院の権威失墜を謀ったという説もありますが、確証はありません。しかし、その後は月光院との関係も良好になったようで、家継の病状が悪化した際には、月光院を励ましたとも伝えられています。家継への八十宮降嫁にも、月光院とともに主導的な役割を果たしました。

家継の死後、天英院は紀州藩主の徳川吉宗を第8代将軍に推挙したとされています。吉宗は天英院を敬い、毎年多額の金銭や米を贈ったそうです。吉宗に正室がいなかったこともあり、天英院は将軍家女性の筆頭として大奥で権勢を振るい、幕府における発言力も絶大でした。日蓮正宗の総本山大石寺の山門を寄進したり、夫家宣の菩提寺である祐天寺に鐘楼を寄進したりもしています。

晩年と死

享保2年（1717年）に西の丸へ、さらに享保16年（1731年）に二の丸に移り、寛保元年（1741年）に76歳で亡くなりました。法名は「天英院殿光誉和貞崇仁大姉」。遺骸は増上寺に葬られ、後に夫の家宣と合葬されています。また、日蓮正宗の大石寺にも供養塔があります。死後、正一位を追贈されています。

容姿と遺品

天英院の墓は、戦後に発掘調査されました。その結果、身長は143.2センチメートルと小柄で、血液型はB型だったことが判明しました。また、歯がすべて抜け落ちており、髪は白髪だったことがわかっています。墓からは、香木で作られた小さな十一面観音像も見つかりました。

第8代将軍の指名

天英院が吉宗を第8代将軍に指名したとする説があります。家宣と吉宗の考え方が近かったこと、天英院が当時大奥で大きな力を持っていたことなどが理由として挙げられています。大奥の女性が将軍を指名することは異例でしたが、天英院は「先代将軍家宣公の遺志」として吉宗を強く推し、幕府の危機を救ったとされています。

しかし、この説には異論もあります。月光院が吉宗を推し、天英院は尾張家の徳川継友を推していたという説も存在します。ただし、この説は史実的な根拠に乏しいとされています。

関連作品

天英院を題材とした作品は、小説、映画、テレビドラマ、漫画など多岐にわたります。特に、大奥を舞台とした作品では、重要な人物として描かれることが多いです。彼女の生涯は、多くの人々に興味を持たれ、様々な形で語り継がれています。

小説

『天英院』（大塚雅春、潮出版社、1974年）

映画

『絵島生島』（1955年・松竹　演：三宅邦子）
『[大奥]物語』（1967年・東映　演：星野美恵子）
『大奥』（2006年・東映　演：高島礼子）

テレビドラマ

『大奥』（1968年・関西テレビ　演：高野通子）
『男は度胸』（1970-1971年・NHK　演：東郷晴子）
『大奥恋物語』（1971年・フジテレビ　演：木暮実千代）
『絵島生島』（1971年・東京12チャンネル　演：喜多川千鶴）※役名は天竜院
『大奥』（1983年・関西テレビ　演：加賀まりこ）
『徳川風雲録 御三家の野望』（1992年・テレビ東京　演：岩井友見）
『八代将軍吉宗』（1995・NHK大河ドラマ　演：草笛光子）
『炎の奉行 大岡越前守』（1997年・テレビ東京　演：波乃久里子）
『大奥スペシャル〜もうひとつの物語～』（2006年・フジテレビ　演：高島礼子）
『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』（2007年・テレビ東京　演：野村真美）
『徳川風雲録 八代将軍吉宗』（2008年・テレビ東京　演：南野陽子）
『忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜』（2016年・NHK　演：川原亜矢子）
『大奥 最終章』（2019年・フジテレビ　演：鈴木保奈美）

テレビ番組

『日本史サスペンス劇場』（日本テレビ、2008年8月6日、演：川上麻衣子）
『歴史秘話ヒストリア「愛と悲しみの大奥物語」』（NHK総合、2016年5月6日、演：山本彩（NMB48））

漫画

『【コミック版】その時歴史が動いた・女たちの決断編「大奥・天英院熙子」』（高芝昌子、集英社、2006年）
『愛の大奥 犬将軍綱吉への復讐「社若の章・女たちのお世継ぎ戦争」』（井出智香恵（作画）良歩五郎（原作）、集英社、2010年）
『愛の大奥 吉宗悲恋呪われた姫君「翡翠の章」』（あさみさとる（作画）良歩五郎（原作）、集英社、2010年）

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