雑賀 (和歌山市)

和歌山県和歌山市に位置する「雑賀」（旧字体：雜賀）は、古くからその名が見られる歴史ある地域です。特に中世には雑賀荘（雑賀庄、さいかのしょう）という荘園が成立し、戦国時代にはこの荘園とその周辺に、鉄砲集団として名高い雑賀衆という地縁的な自治組織が存在したことで広く知られています。

「雑賀」という地名が指す範囲は時代によって変遷しており、最も広義には現在の和歌山市のほぼ全域に加え、海南市の一部を含む地域（雑賀衆の支配域）を指しました。

歴史

地名の起源と初期の様相

紀伊国海部郡の「雑賀」という地名は、奈良時代にまで遡ります。神亀元年（724年）に山部赤人が詠んだ歌には「雑賀野」とあり、万葉仮名では「左日鹿野」と記されています（『万葉集』）。この歌からは、沖に島が見え、渚に白波が打ち寄せる様子が描写されており、当時の雑賀が海に臨む風光明媚な原野であったことがうかがえます。また、『万葉集』には「雑賀の浦」を詠んだ歌もあり、『夫木和歌抄』でも「さひかの浦」が紀伊の名所として取り上げられています。平安時代後期、永承3年（1048年）には、高野山参詣後に和歌浦へ向かう藤原頼通が「雑賀松原」を経由した記録が残っています。

「雑賀」という地名の由来については複数の説が提唱されています。代表的なものの一つは「鉏処（さひか）」に由来するという説で、ここでいう「鉏」を刀鍛冶の技術と解釈します。また、「障処（さひか）」や「荒処（すさびか）」から来ているとする説もあり、これらは地形が険しい場所や、河川や海の波が荒い場所を指すと考えられています。さらに、「サヒカ」の「サヒ」を製鉄に関連する「サビ」と関連付ける説も存在します。8世紀頃、雑賀周辺には渡来系の金属技術者集団である韓鍛冶がいたとされており、鍛冶や製鉄と結びつける説は、こうした背景と関連付けられたものと見られます。

雑賀荘の成立と拡大

鎌倉時代に入ると、「雑賀荘」という荘園の名称が登場します。確認できる初見は、建久7年（1196年）の「高野山住僧等言上書」（「高野山文書」）に「雑賀御庄」と記されたものです。このことから、雑賀荘は平安時代末期頃に成立したと考えられています。言上書に付記された端裏書には中納言・平親宗の所領と記されていますが、後年の筆とみられるため確実ではありません。雑賀荘は鎌倉幕府直轄領（関東御領）であったとも見られ、建長3年（1251年）には勝長寿院小御堂の修理費用を負担する料所となっています（『吾妻鏡』）。

雑賀荘の本来の領域は、『和歌山市史』第1巻で和歌川の西側と堀川の南側と推定されています。和歌川の東側には日前宮の所領があり、雑賀荘の北側には名草郡に属する宇治保がありました。しかし、鎌倉時代後期から室町時代にかけて、雑賀荘はその領域を北へ拡大していきます。嘉元4年（1306年）には、宇治・中嶋（中ノ嶋、中之島）の北にある粟が「紀州雑賀庄粟村郷」と記され（『束草集』）、明徳3年（1392年）には宇治・中嶋そのものが「天郡（海部郡）サイカノ庄之内」とされています（「潮崎稜威主文書」）。これらの地域は本来名草郡に属しており、海部郡の雑賀荘が北へ広がっていったことが分かります。室町時代にはさらなる拡大が見られ、永禄5年（1562年）には、粟の西に位置する福嶋・狐嶋・梶取といった地域も雑賀荘に含まれていました。なお、土橋（粟）・福嶋・狐嶋・梶取といった地域は、当初は紀ノ川の南岸にあり雑賀荘の中心部と陸続きでしたが、明応年間（1492–1501年）の津波（明応地震）によって紀ノ川の流路が現在の形に近くなったことで、川の北岸に位置するようになりました。

雑賀荘の地理的な特徴として、その土地の大部分が水田耕作に適さない砂丘地帯であることが挙げられます。このため、荘内の住民の多くは漁業や海上輸送といった生業に従事していたと考えられています。また、雑賀荘の北に位置する紀ノ川河口付近には、全国各地の高野山寺領から年貢が集積される国衙管理下の湊である紀伊湊がありました。雑賀荘の人々は、和歌川（東）と水軒川（西）が紀伊湊への航路となっていたことから、この湊との結びつきを深めていたと考えられます。こうした海上との関わりに加え、水田に適した土地を求めて紀ノ川の氾濫原の開発に着手したことも、雑賀荘が北へ拡大した要因の一つとされています。また、和歌川の下流域でも開発を進めており、文明12年（1480年）には、開発を巡って日前宮との間で境界を巡る争い（堺相論）が発生しています。

拡大した雑賀荘の南部の地域は「雑賀本郷」と呼ばれ、史料上では「雑賀」や「本郷」、「サイカノサト」などと記されています。雑賀本郷は、雑賀荘全体の守り神とされる矢ノ宮を村の産土神とする関戸・西浜・宇須・塩屋・小雑賀の5つの村と、和歌浦、雑賀崎から構成されていました。

戦国時代の雑賀衆

戦国時代、雑賀荘とその周辺地域には、雑賀衆または雑賀一揆と呼ばれる、強い自治意識を持つ集団が存在しました。彼らは自らを「惣国」と称することもあり、雑賀五組、あるいは雑賀五搦（ごからみ）と呼ばれる5つの荘郷から構成されていました。これらの構成要素は、雑賀荘、十ヶ郷、中郷、南郷（三上郷）、宮郷（社家郷）です。具体的には、十ヶ郷（じっかごう、じっかのごう）は雑賀荘の北西、和泉国に接する地域、宮郷（みやごう）は雑賀荘の東隣、中郷（なかごう、なかつごう）は宮郷の東の紀ノ川以南の地、そして南郷（なんごう、みなみごう）は宮郷・中郷の南に位置し、現在の和歌山市南部から海南市北部に及ぶ地域を指します。中郷・南郷・宮郷の三つの地域は総称して「雑賀三組（搦、緘）」と呼ばれ、これらを除く雑賀荘と十ヶ郷の二つの荘郷のみを指して「雑賀」と呼ぶ場合もありました。そのため、「雑賀衆」という名称が、この二つの荘郷の住民を指すこともありました。

雑賀衆の構成や活動は、当時の史料からうかがい知ることができます。弘治3年（1557年）には、中郷内の和佐荘と岩橋荘の間で境界を巡る争いが起こり、「惣国」と根来寺泉識坊が調停を行いました。この時、雑賀荘の住人6名が調停に関わっています。永禄5年（1562年）には、湯河直春と雑賀衆の間で同盟関係を確認する起請文が交わされました。この起請文の宛所には、雑賀荘から13名、中郷から7名、十ヶ郷から6名、南郷から8名、社家郷（宮郷）から2名の、合計36名の代表者の名が記されており、雑賀衆の広範な構成員を知る上で貴重な資料となっています。

紀伊国では、南北朝時代から浄土真宗が広がりを見せており、文明年間（1469–1487年）には本願寺8世蓮如によって紀伊の真宗諸派が本願寺教団の下に組織化されていました。永正4年（1507年）に冷水（海南市）にあった真宗道場が黒江（海南市）へ移り、天文19年（1550年）には和歌浦弥勒寺山（御坊山、現在の秋葉山）に、そして永禄6年（1563年）には雑賀荘宇治郷の鷺森へと本拠を移しています。特に鷺森への移転は、雑賀荘の人々が熱心に真宗を信仰していたことの表れと考えられます。一方で、梶取には宝徳2年（1450年）に創建された浄土宗西山派の総持寺が存在し、また近隣には新義真言宗の有力寺院である根来寺もあったことから、雑賀荘内には浄土宗西山派や新義真言宗を信仰する住民も存在し、信仰は多様であったと推測されます。

元亀元年（1570年）、織田信長と本願寺の間でいわゆる石山合戦が勃発すると、雑賀衆は本願寺側に立って参戦しました。雑賀衆は当時としては破格の量の鉄砲を保有・運用したことで知られますが、その入手経路については諸説あり、雑賀で自ら製造していた可能性や、堺を通じて入手していた可能性などが考えられています。また、雑賀衆は水軍としての力も有しており、淡路国の岩屋（兵庫県淡路市）や播磨国の室（兵庫県たつの市）へ数百人規模の「渡海衆」を派遣した記録も残っています。

天正5年（1577年）2月、織田信長は雑賀への大規模な侵攻を開始しました。この時、宮郷・中郷・南郷の雑賀三緘（三組）の衆と根来寺杉坊は信長に協力を申し出ています。抵抗を続けた雑賀衆は、同年3月には降伏し、織田軍は撤兵しました。しかし、その後も雑賀衆は本願寺と織田信長との戦いに、本願寺方として加わっています。

天正8年（1580年）3月、信長と本願寺の間で講和が成立すると、同年4月には大坂の本願寺を退去した顕如が雑賀荘の鷺森へと移り住みました。顕如は天正11年（1583年）7月に貝塚へ移るまで、鷺森を本願寺の本山としており、この期間は「鷺森本願寺」と呼ばれています。

雑賀衆の内紛と終焉

石山合戦が終結した後、雑賀衆内部では対立が表面化します。十ヶ郷平井を拠点とする鈴木孫一と、雑賀荘粟村の土橋若大夫の間で勢力争いが起こり、天正10年（1582年）1月、鈴木孫一が土橋若大夫を殺害する事件が発生しました。鈴木孫一を支持していた織田信長は、織田信張を大将とする軍を雑賀に派遣し、土橋若大夫派を討伐または追放しました。

ところが、天正10年（1582年）6月2日、本能寺の変によって織田信長が死去すると状況は一変します。そのわずか4日後には、鈴木孫一の城が焼き討ちに遭い、孫一派の中心人物であった土橋兵大夫が殺害されるなど、激しい内部抗争が再燃しました。

天正13年（1585年）3月、羽柴秀吉による紀州攻めが開始されました。雑賀衆は根来衆らと共に和泉国で迎え撃ちますが敗北。本拠地である雑賀地域は、度重なる内輪争いによって組織力が低下しており、羽柴軍との本格的な戦闘をほとんど行うことなく壊滅状態に陥りました。最後まで秀吉に抵抗した宮郷の太田城も、大規模な水攻めの末、4月下旬に開城しました。この紀州攻めによって雑賀衆は集団としての実体を失ったとされており、これ以降、雑賀衆が組織として活動した痕跡は見られなくなります。

その後の雑賀

紀州を平定した羽柴秀吉は、雑賀荘内の岡山に新たな城を築きました。この城が現在の和歌山城の基礎となります。紀伊国は秀吉の弟・羽柴秀長が支配することになり、和歌山城には桑山重晴が城代として置かれました。雑賀荘の一部である岡や宇治、鷺森といった地域は、この和歌山城の城下町として発展しました。

江戸時代においても「雑賀荘」という荘園名は引き続き用いられています。慶長6年（1601年）の検地に基づいて作成された慶長18年（1613年）の『紀伊州検地高目録』によると、海部郡内の和歌・雑賀崎・関戸・西浜・宇治・小雑賀の7つの村が雑賀荘に属したとされています。これに対し、『紀伊続風土記』では、名草郡の15村と海部郡の11村が雑賀荘に含まれると記されており、荘域の解釈に差異が見られます。

また、紀州藩では各村をいくつかの組に編成しており、その一つとして「雑賀組」がありました。この雑賀組には、小雑賀村・中嶋村・手平村・今福村・宇須村・西浜村が所属していました。

近代に入り、1889年（明治22年）には、関戸・西浜・塩屋・宇須の4村と今福村・和歌村・岡町村の一部飛地が合併して、自治体としての「雑賀村」が成立しました。この村は当初海部郡に属し、後に海草郡に所属が変更されました。雑賀村は1927年（昭和2年）に和歌山市に編入され、その歴史を閉じました。

2024年（令和6年）現在、和歌山市は42の地区に区分されており、その一つとしてかつての地名を継ぐ「雑賀地区」が存在しています。

「雑賀」を含む広がり

かつての雑賀荘の領域内には、現在も「雑賀」の名を冠する地名が複数見られます。例えば、戦国時代から存在する小雑賀や、近世に村名として確認される雑賀崎、和歌山城下に形成された雑賀町や雑賀道、雑賀屋町などがあります。自治体としては、前述の雑賀村のほか、雑賀崎浦と田野浦が合併して1933年（昭和8年）に和歌山市へ編入された雑賀崎村がありました。

和歌山市以外にも、「雑賀」の名を持つ地名が存在します。現在の和歌山県新宮市には、江戸時代に「雑賀町」がありました。これは新宮城下町方十一町の一つで、慶長年間（1596–1615年）に当時の領主であった浅野右近が、紀伊の雑賀から漁師を移住させたことに由来すると伝えられています。この新宮の雑賀町は、1889年（明治22年）に新宮町新宮の一部となりました。

また、島根県松江市にも「雑賀町」があります。松江城を築城した堀尾吉晴は、羽柴秀吉による紀州攻めに参加し、雑賀衆の鉄砲の威力に強い印象を受けたとされます。城下町を整備する際に「鉄砲町」を設け、そこに鉄砲足軽の精鋭部隊を住まわせ、「雑賀衆」と名付けたことが町名の由来とされています。その後、鉄砲町に住むようになった他の身分の足軽たちも「雑賀衆」と呼ばれるようになり、やがて町名も鉄砲町から雑賀町へと改称されたと言われています。

さらに、徳島県徳島市にも「雑賀町」が存在します。旧称は「雑賀開（さいかばり）」と呼ばれていました。

「雑賀」という地名は、和歌山の歴史だけでなく、戦国期の軍事技術や城下町の形成、人々の移住といった様々な歴史的出来事と結びつきながら、広範囲にその痕跡を残しています。

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