1969年の文学

1969年（昭和44年）の日本文学界は、国内外で様々な出来事が交錯し、活気に満ちた一年となりました。新鋭の登場、社会派作品の発表、そして文壇を代表する作家たちの精力的な活動や惜しまれる別れなど、多岐にわたる動きが見られました。

文学賞の動向

まず、この年の文学賞の決定に目を向けましょう。特に注目を集めたのは、年間を通じて2回行われる芥川龍之介賞・直木三十五賞です。

1月に行われた第60回（1968年下半期）選考会では、芥川賞は「該当作なし」という結果となりましたが、直木賞は陳舜臣氏の『青玉獅子香炉』と早乙女貢氏の『僑人の檻』が受賞しました。
続く7月に行われた第61回（1969年上半期）選考会では、芥川賞に庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』と田久保英夫氏の『深い河』が選ばれました。特に庄司氏の受賞作は大きな話題を呼び、年末には年間ベストセラーの総合第7位にランクインするほどの反響を得ました。直木賞は佐藤愛子氏の『戦いすんで日が暮れて』が受賞し、こちらも高い評価を得ました。

この年、他の主要な文学賞でも新たな才能や円熟した作家が評価されています。

第5回谷崎潤一郎賞には、円地文子氏が『朱を奪うもの』、『傷ある翼』、『虹と修羅』の一連の作品で選ばれました。
第12回群像新人文学賞は、李恢成氏の『またふたたびの道』が受賞。
また、この年から多喜二・百合子賞が創設され、第1回は松田解子氏の『おりん口伝』と伊東信氏の『地獄鉤』が受賞しました。

話題となった書物

1969年には、後世に語り継がれることになる多くの作品が刊行されました。

石牟礼道子氏の『苦海浄土―わが水俣病』は、水俣病の悲劇を文学的に描き出し、大きな社会的影響を与えました。
児童文学では、せなけいこ氏の絵本『ねないこだれだ』が出版され、シンプルな構成とインパクトのある絵で、半世紀以上経った今も読み継がれるベストセラーとなりました。
小説分野では、芥川賞を受賞しベストセラーとなった庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の他、安部公房氏の『棒になった男』、後藤明生氏の『私的生活』、筒井康隆氏の『霊長類南へ』などが話題を呼びました。
文壇の巨匠たちの作品も注目を集め、三島由紀夫氏はライフワークとなる大作『豊饒の海』シリーズの第一巻『春の雪』と第二巻『奔馬』を精力的に発表したほか、戯曲『黒蜥蜴』や『癩王のテラス』、『椿説弓張月』なども刊行しています。
ノーベル文学賞受賞後初の評論集として、川端康成氏の『美しい日本の私―その序説』や『美の存在と発見』が出版されました。

作家の主な活動

著名な作家個人の活動も、この年の文学界を彩りました。

1968年にノーベル文学賞を受賞した川端康成氏は、この年も国内外で精力的に活動しました。5月にはハワイ大学で特別講演を行い、その後同大学から名誉文学博士号を贈られています。9月にはサンフランシスコ日本週間に文化使節として招かれ、移民百年記念の講演を行いました。
一方、三島由紀夫氏も大きな注目を集めました。5月には東京大学駒場キャンパスで行われた討論集会「東大焚祭」に登場し、詰めかけた東大全共闘の学生たちとの討論会に臨みました。この文学者と学生運動リーダーという異色の対決は大きな反響を呼び、その記録は書籍『討論三島由紀夫vs.東大全共闘』としても刊行されています。
その他、澁澤龍彦氏がこの年に結婚したことも記されています。

文学界の訃報

この年、日本の文学界は多くの才能との別れも経験しました。特に著名な小説家・翻訳家である伊藤整氏が、11月15日に胃癌のため64歳で死去しました。

その他にも、日本の文学・出版に関わる様々な人物がこの年に世を去っています。

漫画家・紙芝居作家の酒井七馬氏（63歳）
フランス文学者の橋本一明氏（42歳）
翻訳家の大場正史氏（55歳）
ジャーナリスト・文明批評家の長谷川如是閑氏（93歳）
小説家の由起しげ子氏（69歳）

海外でも、SF作家のジョン・ウィンダム氏（イギリス、65歳）、小説家・劇作家のヴィトルド・ゴンブローヴィッチ氏（ポーランド、64歳）、詩人・画家ノエル・ヌエット氏（フランス、84歳）、小説家・詩人ジャック・ケルアック氏（米国、47歳）、作家・評論家・翻訳家コルネイ・チュコフスキー氏（ロシア、87歳）など、多くの著名な書き手が亡くなりました。また、当時大学生で、後に日記『二十歳の原点』が大きな反響を呼ぶ高野悦子氏が、20歳でこの年に亡くなったことも記録されています。

結び

1969年は、芥川賞受賞作がベストセラーとなる一方で社会派文学が登場し、さらには巨匠たちの重要な作品が発表されるなど、多様な動きが見られた年でした。また、川端康成氏の海外での活動や三島由紀夫氏と学生運動との討論といった、文学が社会と深く結びついた出来事もありました。多くの才能が生まれ、惜しまれながらも多くの先達が旅立つという、文学史において記憶されるべき一年と言えるでしょう。

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