働かない権利

働かない権利とは

「働かない権利」とは、障害や病気を持つ人々が、自身の状態悪化を防ぐため、または重度の障害により労働が困難な場合に、あえて労働を避け、精神的な強制から解放されて平穏な生活を送る権利を主張する自己決定権思想です。この概念は、障害者の社会復帰というテーマと密接に関連して議論されることが多いですが、本人の意思に反した労働の強要を拒否する点に重点が置かれています。

概要

この思想の根底には、人が生きるためには消費が必要であり、そのための生産活動としての労働は不可欠であるという考え方があります。しかし、障害を持つ人が働くためには、特別なコストが必要となる場合があり、その結果が必ずしも本人の利益につながらないこともあります。このような状況下で、自ら労働を避け、他人からの精神的な圧力による労働の強制を拒否する権利を主張し、社会で生きる権利を求めるのが「働かない権利」の基本的な考え方です。

この言葉は、かつて存在した精神障害者グループ「ごかい」が中心となり、一部の精神障害者や患者会によって作られた独自の造語です。

労働について

東京大学社会科学研究所によると、資本主義社会における労働は、倫理的な活動ではなく、労働者が生きるためにやむを得ず行う苦痛を伴う行為とされています。この考え方は、意外にも共産主義社会においても同様です。また、アメリカの哲学者ハンナ・アーレントも、著書『人間の条件』で、労働を生命維持のために必要に迫られて行う作業と定義しています。

勤労について

日本の憲法で規定されている「勤労」については、日本国憲法の勤労の義務に関する規定を参照してください。

歴史

西洋における労働

古代
古代ギリシアでは、労働は奴隷の役割とされ、市民からは軽蔑されていました。生きるために行う労働は、動物的なレベルに留まるものと考えられていたからです。

旧約聖書
旧約聖書では、労働は罰として扱われており、創世記において神がアダムに科した罰とされています。

新約聖書
新約聖書には、イエス・キリストが山上の垂訓で怠惰について説いている記述があります。また、「テサロニケの信徒への[[手紙二]]」には「働きたくない者は食べてはならない」という一節がありますが、これは働く能力があるにも関わらず、働く意思を持たない怠惰な者を指しています。

中世から近世
キリスト教の宗教改革以前は、貧しい人々を救済することは教会の役割でした。しかし、宗教改革により、労働は神聖な義務とされ、怠惰は罪と見なされるようになりました。マルティン・ルターやジャン・カルヴァンは、労働を神聖な義務と捉え、無原則な救済活動を批判しました。ヨーロッパ諸国では、「労働は神の意志」とされ、働かない者は神や国家に反逆するものとみなされるようになりました。その結果、労働をしない人々を強制的に収容する施設が設立され、多くの人々が収容されるようになりました。

自己決定権の提唱

1859年、イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルは、著書「自由論」で自己決定権を提唱しました。

フランス社会主義思想

1883年、ポール・ラファルグは著書「怠惰への権利」で、当時の過酷な労働と「働く権利」の矛盾を批判しました。この思想は、サンディカリスム運動やストライキ権に影響を与えました。

ソビエト社会主義思想

ソビエト連邦の指導者ウラジーミル・レーニンは、「働かざる者食うべからず」を社会主義の戒律としました。この言葉は、新約聖書の「働きたくない者は食べてはならない」を引用したものです。しかし、ソビエト連邦では、強制労働や粛清が行われ、多くの労働者や農民が犠牲になりました。

現代

2015年、ベラルーシでは、一定期間働かない者に罰金を科す法律が施行されました。これは、市民の就労を促すとともに、国家財政に貢献させることを目的としていました。

日本

奈良・平安時代
奈良・平安時代には、公務員は朝に勤務し、午後からは自由な時間を持っていました。一般庶民にも雑役はありましたが、それを「はたらく」とは認識せず、自由な時間をそれぞれの思いを形にすることと捉えていました。温暖な気候も影響していました。

鎌倉時代
鎌倉時代になると、気候が寒冷化し、労働時間や内容も変化しました。

江戸時代
江戸時代の農民は勤勉であるというイメージがありますが、実際には仏教や儒教の影響が強く、勤勉が美徳とされました。年貢を村単位で納める制度のため、一部の農家が納められない場合、村全体で負担する必要がありました。そのため、勤労と倹約が強く推奨されました。

明治維新後
明治維新後、生活困窮者などは養育院に収容されました。

昭和前期
日中戦争や国家総動員法が成立すると、障害者が兵役を免れることは非国民とみなされるようになり、苦悩する人もいました。また、この時期の「勤労」という言葉は、国家の崇高な目的に奉仕する意味合いが強くなりました。戦後、日本国憲法第27条に「勤労の権利」と「勤労の義務」が規定されました。

戦後
戦後の日本国憲法では、「勤労の権利」と「勤労の義務」が定められました。この「勤労の義務」は、二宮尊[[徳]]の報徳思想や、社会党の憲法草案が影響しているとする説があります。

法的効力

経済学者の安藤均によると、法学者の勤労の義務の法的効力の学説は、精神的・道徳的規定に過ぎないとする説、一定の法的効力を認める説、法的効力があるとする説、政策指針を示すものとする説、法的意義を認めないとする説があります。

諸外国

井手英策によると、憲法に勤労の義務を定めているのは、日本と韓国くらいではないかとしています。

小さな政府路線と働かない自由を認めない日本社会

1960年代、社会保障制度が整備されましたが、障害者へのサービスは限定的で、「小さな政府」路線が敷かれました。この路線は、労働価値説を基盤とし、「働かない自由」を認めない考え方でした。そのため、障害者の中には、この方向性に反発する人たちもいました。

働かない権利の誕生

精神障害分野では、1976年に全国初の精神障害者向け共同作業所が開設されました。その後、働かない権利を掲げる精神障害者患者会が現れました。特に、精神障害者グループ「ごかい」は、社会復帰を目指す中で、再発するケースが多いことから、あるがままに生きる生き方を重視するようになりました。また、障害者年金の支給開始により、生活費を得る環境が改善されました。

障害者労働現場の問題

障害者を虐待し、強制労働を強いる事件も発生しています。

作業をしない共同作業所の出現とその後

精神障害分野では、作業をしない共同作業所も登場しました。これらの施設は、一日のリズムを作ったり、人間関係の練習をしたりすることが目的であり、作業は必ずしも必要ではありませんでした。また、多くの精神障害者は、必ずしも就労を希望しているわけではありません。

自立支援から総合支援へ

近年、自立支援という言葉が使われていますが、2013年には障害者総合支援法が施行されました。しかし、この法律は働く意欲と能力のある障害者を支援するものであり、働く能力がない障害者は支援対象ではありません。

日本人高齢者の意識

日本生命倫理学会の報告によると、日本人高齢者は障害に対する否定的な考えや差別意識を持っている場合があります。

国際法との関係

1992年に日本は『障害者の職業リハビリテーション及び雇用に関する条約』を批准しました。また、日本は『強制労働に関する条約』も批准していますが、この条約はこの項目の趣旨とは関連性がありません。

補助金

障害者雇用に関する補助金として「特定求職者雇用開発助成金」がありますが、予算執行率が低調であったため見直されました。

生活保護

生活保護には、障害者加算があり、障害認定を受けている人に加算支給が行われています。

利点と欠点

利点

生活保護などの社会保障制度を利用することで、消費活動を通じて社会に参加できます。

欠点

現実的に働いていない人の中から、働きたくても働けない人を選別することは困難であり、また、本人が働けないことを立証することも難しいです。また、日本では「働かない権利」を主張すると、軽犯罪法違反や詐欺罪に問われる可能性もあります。さらに、労働価値説をベースとする社会では、「働かない権利」の主張は社会的に受け入れられにくい場合があります。

大学での研究

立命館大学大学院先端総合学術研究科に関連論文があります。

参考

参考文献
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関東弁護士会連合会『精神障害のある人の人権』明石書店、2002年。
岩波明『精神障害者をどう裁くか』光文社、2009年。
山森亮『ベーシックインカム入門』光文社、2009年。
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八木秀次『日本国憲法とは何か』PHP研究所、2003年。
東京大学社会科学研究所『基本的人権3』東京大学出版会、1968年。
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大島力『知識ゼロからの聖書』幻冬舎、2011年。
司修（画）『水墨創世記』月本昭男（訳）、岩波書店、2011年。
森岡孝二『働きすぎの時代』岩波書店、2005年。
ポール・ラファルグ『怠ける権利』田渕晋也（訳）、人文書院、1972年。
マルクス=レーニン主義研究所（編）『レーニン全集第26巻』レーニン全集刊行委員会（訳）、大月書店、1958年。
田中剛二『第二テサロニケ書―キリストの再臨と勤勉な生活の勧め』すぐ書房、1992年。
江端一起『キーサン革命宣言―精神病者のセーカツとカクメイ』アットワークス、2013年。
的場昭弘『超訳『資本論』』祥伝社、2008年。
pha『ニートの歩き方』技術評論社、2012年。
中川健一『日本人に贈る聖書ものがたりVIII 諸国民の巻（下）』文芸社、2012年。
北岡孝義 『ジェネレーションフリーの社会～日本人は何歳まで働くべきか』 CCCメディアハウス 2015年
和田秀樹 『テレビの金持ち視線　-「生活保護」を叩いて得をするのは誰か-』　kindle版　　KKベストセラーズ　2017年
井出英策 『幸福の増税論　-財政はだれのために』　岩波書店　2018年
泉谷閑示 『仕事なんか生きがいにするな』　幻冬舎　2017年
日本生命倫理学会編 『生命倫理　Vol28 No.1』　2018年
閔炳老 『諸外国の憲法事情　韓国』　国立国会図書館調査及び立法考査室　2003年

関連項目
人権
社会復帰 / 反社会復帰 / 社会参加
自己決定権
慣用句
働かざる者食うべからず
働けば自由になる
強制労働
障害者 - 身体[[障害]] - 知的[[障害]] - 精神障害 - 発達[[障害]]
ドクターストップ
関連団体
精神障害者患者会
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ジャン・カルヴァン - キリスト教宗教改革指導者
仏教
鈴木正三 - 江戸時代初期の僧侶。元徳川家の旗本
儒学
石田梅岩 - 江戸時代の思想家、倫理学者

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